3
門をくぐり、砂利の駐車場に出た。
「タイヤだけど、とりあえず、タイヤ交換をしてもらうよう手配してるよ。今日の午後にはできてるんじゃない?」
「ありがとうございます。あの、どこに行くんですか」
素直に一夜についていき、駐車場に出た。あれだけ停まっていた車がほとんどない。駐車場の端に停めている黒のコンパクトカーに乗るよう、一夜に促された。
叶は後部座席に乗り込む。一夜が駐車場から車を出した。
「天水の家。そこでなら邪魔も入らない。それに、今、美千代さんのことで屋敷中大わらわだからね」
「それ、本当だったんですね」
「昨夜のことで病状が悪化して……。入院しているべきなんだけど、希さんの葬儀や君のことが気になって仕方なかったんだろうね」
「さっきの話の続きなんですけど、私、美都子さんの夢を見たんです。天水さんがわたしみたいに蔵に入っていてみつちさんのお祓いをしてました。そのときに、美都子さんが巫女装束で舞ってました。美都子さんは成功したんですよね」
夢で美都子の舞いが目に焼き付いている。舞えと言われたら、今なら出来るかも知れない。
「成功した。本当に、夢で美都子さんのことを見たの?」
「そんなことより、かりはらって何ですか?」
「かりはら? それは巫女の役目の一つだよ。巫女はこの役目を全うさせないといけないとは聞いてる」
「かりはらについて、希は何も言ってなかったんですか?」
「希さんからは聞いたことがないな」
そこで話が途切れて、叶は口を閉じ、窓の外を眺めた。
五分ほど走らせていると、おみず沼から離れて菟足村に入っていった。
菟足村は温泉が近くで湧いているからか、小さな村の中心に、ぎゅっと民宿が肩を寄せ合うように建っている。
古めかしい民宿や民家の外観と、ちらほらと温泉を汲み上げるエアー・リフト・ポンプが見えて、所々で温泉の湯気が上がっている。菟足温泉の歴史の古さを感じさせた。
叶を乗せた車は、菟足村を抜けてさらに二分ほど山沿いを登っていき、天水家に辿り着いた。
「着いたよ」
叶は言われるがままに車から降りた。
「隣の山に菟上家がある。こちらのほうへは村を通らないと道がないんだ。ほら、おみず沼の端が見えるよ」
言われて私道のガードレール沿いに立つと、眼下におみず沼の端が見えた。梅雨の曇り空を映して、湖面が濃い緑色を帯びている。こうして見ると、おみず沼の端だけで菟足村の大きさほどある。
叶は駐車場に立ち、辺りを見回す。剪定された樹木に囲まれるように、平屋の立派な民家があった。菟上家ほどではなくても充分に大きい。
着の身着のままで菟上家を出たので、バッグも何もかも置いてきてしまった。それがなんとなく手持ち無沙汰である。
「荷物はあとから持ってくるよ。今は本家にいるよりも、ここのほうが落ち着くだろ」
希の葬式のあと、すぐに美千代が倒れて、叶どころではなくなっているのは、一夜と一緒に菟上家を無事に出られたことで窺える。
「とにかく着崩れを直そうか」
言われて叶は自分を見下ろした。裾が乱れ、半衿が広がっている。蔵の中で泣きわめいたときに、着物も一緒に乱れてしまったのだろう。そのことを思い起こし、恥ずかしくなった。
一夜に案内されて、叶は天水家の玄関に上がった。田舎の家はどこも同じなのだろうか。左手の広縁とは反対の縁側を通って、角を曲がり、突き当たりのガラス障子を開けて中に入るように言われた。
ガラス障子の真向かいにもふすまがあり、そこからも出入りできるようだ。部屋の片側には本棚があり、所狭しと古書が並んでいる。座卓の他に、文机もあった。あまり整理上手ではないようで、文机周りに平積みに古書を置いている。
叶に座るように勧めたあと、一夜は縁側とは反対のふすまを開けて部屋から出て行った。
どうも通いの家政婦を呼んでいるようだ。
すぐに戻ってくると、一夜が叶の真向かいに腰を下ろした。
改めて一夜を見る。普段着の一夜は少し若く見えた。考えてみたらいつも直衣や狩衣を着ているわけではないのだから、これが普段の一夜なのだろう。
やがてやってきた家政婦に案内されて別室へ行き、叶は着物を着付けてもらった。天水家に女性がいないので、洋服を借りることができなかったのが残念に思えた。慣れない着物を一日中着ているのはとても窮屈だ、と叶はうんざりしていた。
一夜の部屋にまた戻ってきて、叶はへたり込むようにざぶとんに座った。
目の前の座卓の上にお茶と果物が並んでいる。それを見た途端、叶は喉の渇きを覚えた。
「疲れたろ?」
当たり前だと言いたかったが、一夜に文句を言うのは筋違いだ。
「はい」
思った以上に疲れていたらしく、気弱な声が口から漏れた。
「メロン切ったから、食べて」
明るい緑色のメロンの果肉を、食べやすいように一口大に切ってガラス鉢に盛り付けている。氷の浮いた麦茶がおいしそうに見えてしまう。
「いただきます」
メロンを頬張ると甘い果汁が口いっぱいに広がって、叶は自分がどれくらい空腹に耐えていたか、自覚した。
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