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 十六歳になった美千代は、美豆神社に養子に入った文蔵ふみぞうが気になって仕方ない。自分より一つ上の端正な顔つきをした少年で、宮司の跡取りとしても期待されている。

 文蔵も自分を慕ってくる美千代を妹のように可愛がった。それがあまりに優しくて、美千代はてっきり文蔵も自分のことが好きなのだと勘違いした。

 美豆神社の宮司は菟上家当主と結婚するのは分かっていたが、絶対なわけではないと思い込んだ美千代は、すっかり期待してしまったのだ。

 文蔵も美千代と距離を置いて遠ざけておけば良かったものを、残酷に接してしまったせいで、美千代はこのあと深く水葉を恨むことになる。

 水葉が十六歳になったある日、大叔母が水葉と文蔵を呼び、告げた。

「水葉、文蔵。おまえたち、結婚を前提に婚約しなさい。水葉が十九歳になったとき、婚儀をおこないます。異存はないですね」

 水葉が顔を赤らめて答える。

「はい、叔母さま」

「文蔵もよろしいですね」

「はい」

 許嫁として二人は三年後、結婚する約束をしたのだった。



 水葉も美千代と同じ、文蔵のことを好いていた。しかも、美千代の気持ちも知っていた上で、文蔵が自分と結婚することを美千代にひけらかした。

「文蔵さん、私と結婚するのを喜んでたわ。私も早く十九歳にならないかしら。ああ、でも、神様との赤ちゃんも望まれているんだった! 文蔵さんと、神様の赤ちゃん、どちらが先に生まれてくるのかしら。うふふ」

 美千代は二十三歳。結婚を約束した男性はいないし、お見合いの話もない。

 水葉の側付きみたいな役割をこなしているだけの存在だった。悔しくても言い返せば、水葉から得体の知れない力で痛めつけられるだけだった。

 美千代は聞こえなかったふりをして、寡黙に水葉の着替えを手伝った。屋敷に閉じこもっていたら鬱屈してしまうから、美千代は夜遅くまで町に出て遊ぶようになった。

 悪い友達もたくさんできた。学生運動をしているにわか運動家の仲間と付き合うようになったときには、ほとんど菟上の屋敷に帰ることがなくなっていた。

 日に日に積もる憎しみと恨みと嫉みに、美千代は苛まれ苦しんでいたが、水葉はそんな美千代を見てあざ笑い、如何に自分と文蔵が仲睦まじいか、見せつけた。

「ほら、このネックレス。文蔵さんがわたしにプレゼントしてくださったのよ。アコヤガイの真珠ですって! この前は町の映画館とレストランに連れていってくださったの」

 自慢げに話す水葉の言葉を美千代は無視した。祈祷の日には帰らざるをえず、水葉の世話をした。そうでないと遊ぶ金をもらえなかったからだ。

 付き人のように扱われるが、自分は付き人ではない。だから、愛想笑いも浮かべないしお世辞も言わない。黙って、巫女の装束に着替えるのを手伝った。

 あと数ヶ月で、十九歳になった水葉は文蔵と結婚する。水葉がいなければ、文蔵と結婚するのは自分だった、と美千代は歯がみする。確かにそうなのだ。巫女が亡くなった後、宮司は当主代理となった姉妹と結婚し、子をもうけることになっている。

 女系の家柄なので、どうしても跡取りの女児が必要になると言うことだった。その場合は離婚するもしないも自由だと教えられた。

 水葉が死ねば、自分と文蔵はやっと結ばれる。

 美千代はそんな仄暗い考えに囚われるようになった。

 だから、三ヶ月後に結婚を控えた水葉を、徹底的に痛めつけてやろうと計画を練ったのだ。



 水葉が死んだ。美千代は暗い笑みを浮かべる。凄惨な最期だったし、とんでもない恨み節を遺したけれど、死んだ人間に何ができるのだ。そんなもの怖くない。

 文蔵と結婚も決まったが、周囲で葬式が増えた。初めは年老いた大伯父から順に、だんだんと若い者へ、死が伝染していった。

 皆、水葉の祟りだと恐ろしがった。遺書には末代まで祟るとは書いていたが、だれにも見られないように遺書を握りつぶして破り捨てたので、水葉が何を思って死んだか、だれも知らない。

 けれど、文蔵と結婚してすぐに、度々蔵で寝るようにと、大叔母が美千代に強いるようになった。

「蔵に神様のおとないがあるから、かりはらのお役目を全うするまでは蔵で寝るように」

 気味の悪い蔵にしょっちゅう寝かされ、気味の悪い夢を見る。

 黒くて大きな靄みたいなものが蔵に入ってきて、自分の腹に潜り込み、内臓をかき混ぜる。それがおぞましく気持ち悪くて吐き気がした。

「大叔母さま、どうしても蔵で寝ないといけないのですか。あそこは気持ち悪くて……、寝るだけでかりはらが出来るとは思えないのですけど……?」

 美千代の言葉に、大叔母はヒステリーを起こした。

「口答えは許しません! 蔵で寝て、かりはらの役目を全うするのは決まり事なのですよ! とにかく、霊力のある子が出来るまで、文蔵よりもかりはらを優先させなさい!」

 大叔母は激高するだけで取り付く島もない。

 美千代は憂鬱になった。こんな決まり事など聞いてない。何故、蔵で寝るだけで神様の子を授かるというのだ。けれど、大叔母の切羽詰まった様子を見ていると、よほどのことなのかと暗に思う。何故なのかと問うても、神経質に怒鳴り返されるだけだった。

 美千代には神様を敬う気などない。神様というと水葉の憎たらしい態度を思い出すだけだ。だから平気で、独り寝は嫌だと言って、文蔵を蔵に誘い込んだ。

 どういう形で寝ようと、それは自分の勝手だ、と美千代は考えた。

 ほのかな背徳感に、文蔵もまんざらでもないようで、夜中に誘い込んでから明け方まで、美千代の体を求め続けた。これで子が出来れば、それでいいんだろう。霊力があるないは運次第だ。

 水葉が何も言い残さずに死んだので、美千代は口伝も何も受け継がなかった。期待していた大叔母ですら、口やかましく言う割りには、何も知らないのだった。知らないくせに口を挟んで命じてくるのが、美千代には忌々しく思えた。

 そのかわり、講に集まる、古いしきたりや巫女舞などを知る老人から、水葉から教わることができなかったものを教え込まれ、文蔵の養父の宮司にも教わった。毎日毎日、練習に明け暮れて、町に遊びに行く暇もなくなったし、美千代も悪い仲間と縁を切った。

 人はバタバタと死んでいき、大叔母と伯母も死に、菟上本家の人間が自分と文蔵だけになったとき、ようやく美都子が生まれた。

 それを機に人死にがパタリと止んだ。美都子は祟りを収めた文蔵との子供だ。奇跡の子に違いない。たとえ、死んだ叔母や祖母が神様の子だと言ったとしても。



 菟上本家の生き残りは、私と美都子と夫の三人だけだ。将来、美都子が菟上家を継いでいく。それまで私が菟上家の当主で巫女だ。



 ざまぁみろ、水葉。私が勝った。

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