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 叶は俯いたまま、「まさか」と思い直す。

 美千代は水葉について嘘を吐いていた。水葉が文蔵以外の男と密通していたと。しかも、美千代は文蔵に横恋慕していた。水葉が死ねば、当主の地位と誰からも敬われる巫女の地位だけでなく、文蔵も手に入れることができる。美千代の深い業を感じて、身震いした。

「叶さん」

 名前を呼ばれ我に返り、叶は顔を上げて一夜を見つめた。

「大丈夫?」

「はい。でも……」

 叶は忘れてはいけない言葉を口にする。

「私に霊力なんてないです。当主には向いてません。それに、鎮魂祭をいきなりやれと言われてもできません」

 続けて訴えようとしたのを、一夜が遮るように、

「これは決まっていることだから。霊力を持つ姉妹の一人が亡くなったら、残った姉妹が当主になる。巫女の役割も同じように引き継ぐことになる。希さんが死んだと分かった時点で、君が当主と巫女になることは決められていたことなんだ。できない、とかそういう問題じゃないんだ」

 と、強く言い切った。

 叶は、一夜が菟上家のいいなりになっているのが理解できない。いくら美豆神社の宮司は菟上家の当主と結婚する取り決めがあるにしても、それは時代遅れの因習ではないか。

「じゃあ、一夜さんはいきなり私と婚約することになっても不服はないんですか」

「昔から決められてた。俺はそれも含めて承諾したから宮司になるんだ。ほら、皆が君の答えを待ってる」

 叶は一同を横目で見て、声を潜める。

「でも、葬儀が終わったばかりで、まだ納骨も済んでないんですよ? 喪もあけてじゃないですか」

 菟上家だけでなく、分家の親族まで美千代の無理難題に疑問を持っていないことに驚いた。

「それに巫女になれるわけがないじゃないですか。私にそんな能力なんてないです」

 美千代も霊力を持っていなかった。それでも巫女になったのは、様々な欲が絡んでいたからだ。叶には巫女や当主に対する固執などない。むしろ、こんな気味の悪い屋敷に閉じ込められて、自分の人生や日常を壊されてしまうことを恐れていた。

 もう一度、叶は断る。

「とにかく、私は継ぎません。他の見合った人を当主にすれ————」

 叶が言い終わらないうちに突然大きな音を立てて、広縁側のガラス障子が一斉に外側に倒れた。倒れた拍子にガラスがけたたましく、たちまち割れてしまう。

 叶は言いかけたまま、目を見開いて固まってしまった。

 飛び散るガラス片に驚いて分家一同が立ち上がり、広縁から離れる。奥に控えていた分家の女性たちが慌てて座敷に駆け込んできて、何が起こったかを見た。

 叶もあっけにとられてそれらを見ているしかなかった。

 動じてないのは天水と一夜だけだ。一夜が優しく諭すように叶に言い聞かせる。

「ほら、神様の神意はこうだ。君は巫女にならないといけない。服喪の時でも、巫女を絶やしてはならない。たとえご祈祷ができなくても巫女不在にしてはならない」

 叶は、まるで何事も起こってないように振る舞う一夜の姿を、異質なものを見るような目つきで見つめた。

「あ、あの、一夜さんは、こんな、こんなことが起きたのに、なんで平気なんですか……」

「神意は俺たちの意思の範疇外のものだ。君は断ろうとしたが、神意では巫女を求めるみつちさまの意志が顕された。だから、君が巫女となって当主代理になるのをみつちさまは認められたんだ」

 この人が何を言っているのか、分からない。本当にこれをみつちさまの意志だと思っているのか、と叶は体の芯が冷えた。

 みつちさんに魅入られる前、叶が拒絶したのと同時に湯飲みが畳に勝手に落ちた。あのときは感情的になっていて、そのまま屋敷を飛び出したけれど、後から考えると恐ろしいことが目の前ですでに起きていたのだ。それなのに、この人たちは恐れてもいない。

 しかも、戸惑う分家の人たちに交じって、黒い人影が広縁のどん突きへと消え去るのを、叶の目が捉えていた。

 日に日にはっきりとしてくる黒い異形の着ているものが、黒い振り袖なのだ、と何故か分かる。そのアンバランスさが、叶には不気味に思えてならない。

 氷川家で暮らしていた時、あの異形は家の中には入ってこられなかった。それなのに、菟上家では屋敷の中だけでなく、こうしてものまで壊せるほどに強い。

 祟りは終わったと一夜たちは考えているようだが、本当は祟りなんて消えていないし終わってもいないのではないか。

 そんな叶の気持ちも知らず、一夜が叶に言って聞かせる。

「鎮魂祭では巫女舞は必要だ。巫女舞だけならご祈祷より覚えるのが早いんじゃない?」

 叶の返事を無視して、天水と一夜は叶が承諾したものとして話を進めている。まるで、何かに急かされているようだ。

 しばらく周囲は騒がしく、分家たちがおのおのガラス障子の始末をしていたが、菟上本家の取り決めの答えを聞くために、やがて着座した。

「叶さんが鎮魂祭において巫女を務めることになりました。当主も明日から叶さんに継ぐことになるので、お力添えをどうぞよろしくお願いいたします」

 と、一夜が皆に告げ、天水と共に頭を下げた。

 叶だけが、二人の取り決めに納得できず、頭を下げることを拒絶した。

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