エピローグ
1
叶は気がつくと、真っ暗闇の中、横たわっていた。体の感覚はないが、確かに横になっているのだけは分かる。暗闇なのは、瞼が閉じているからだ。
規則的な機械音が聞こえる。だれかが何か話しているような声も聞こえる。聞き取れるのは、目が覚める可能性はない、という言葉だ。
——私、目が覚めてる……! 気付いて!
伝えたくても唇の感覚もない。
いつ脳死状態になってもおかしくない、とも話をしている。
聞き覚えのある青年の声が、その言葉に静かに応える。心臓が動いているのなら、生かしてあげたい。目が覚めるまで待ちますよ。
おなかの赤ちゃんも危ないですよ。どうしますか? 母体が耐えられるか分からないです。
——赤ちゃんって……?
叶は自分の中にいる存在にぞっとする。死に物狂いで叫ぶ。まるで身動きの取れない絶望の底へ、徐々に沈んでいくようだ。
——産みたくない! 私、目が覚めてる! お願い、気がついて!
——お願い、気付いて……、お願い…………
次第に周囲から聞こえていた声が遠ざかっていく。何も見えず、動けず、感じず、聞こえず……
何もない闇の中に、叶は取り残された。
「叶さん、意識不明の重体なんだってねぇ……」
「このまま昏睡状態が続くと聞きましたよ。目が覚める見込みはないとか」
「首の骨が数カ所折れたって天水さんが言ってましたよ」
「私は脳死状態って聞きましたけどねぇ」
「赤ちゃんがおなかにいるらしいね、帝王切開で取り上げるって聞いたけど」
どこからともなく深いため息が聞こえる。
「いやいや、産めないでしょう。期待はできないですよ」
「それじゃあ、菟上本家の血筋は、叶さんで絶えますね……」
「残念だなぁ……、希さんと引けを取らない巫女さんだと思っていたのに」
「やはり、例の祟り、ですかねぇ」
「また、あんなことになったら、こっちにまで火が付くんじゃないか?」
「早く跡取りを決めないとねぇ。分家筋に霊感が強い娘がいるはずだけど」
親族会議の席で、ぼそぼそと小声で話をしているのが聞こえてくる。
こんなに不幸が続くのは、水葉が死んで以来だった。
座敷の片隅に、肩を寄せ合って氷川夫妻が座っている。
親族会議が終わり、茶話会の時間が来たら来たで、分家の親戚は本家とより近い分家筋が祟られるか、それとも霊力の強い分家の娘が跡取りになるかで、ざわざわと騒がしい。
「なぁ、天水さん。そちらでもう選別を始めてるんですか」
分家の一人が一緒に折詰を食べている天水に訊ねた。
「そうですねぇ、でも、こういうことは全て一夜に任せることにしたので、私はノータッチなんですよ」
「ああ、そちらも代替わりだったんですねぇ。天水さん、今までご苦労様でした」
「いえいえ」
「そう言えば、一夜さんはどちらへ?」
天水は笑顔を浮かべる。
「多分、思い当たる分家に打診しに出掛けているんじゃないでしょうか」
「ほぉ、そうですか、それは良かった」
すると、その場にいた分家の幾人かが、ほっとした様子で頷き合うと、また別の話題に移った。
美千代の忌明けした朝、おみず沼では七月下旬にも関わらず、小糠雨がしつこく降り止まない。
砂利道に雨溜まりができ、雨水が小川のように細い筋を作って坂を流れ落ちる。
その砂利道を、黒塗りの車が音を立てて上ってきた。
やがて、車は菟上家の駐車場に入り、ゆっくりと止まった。
運転席が開き、一夜が降りてくる。傘を差し、後部座席のドアを開いた。
ドアから、黒い着物を着た少女が降りてきた。濡れないように、一夜は傘を掲げる。
傘の下、少女がどこか不安そうな表情を浮かべて菟上家の門を見上げている。
「さ、今日からここが君の家だよ」
黒地に宝尽くし柄の振り袖姿の少女が戸惑うような顔つきで一夜を見て、目線を屋敷に移す。それを見て一夜は、共に菟上の屋敷を眺める。
「心配しないで、俺が付いてるから大丈夫。菟上本家の
「でも、叶さんの赤ちゃんは?」
「生きていて、霊力があれば、君の跡を継ぐと思う」
「そう……」
少女が複雑そうな面持ちになる。
暗雲の垂れ込める空の下、一夜に促されて少女が歩き出す。
一夜は少女に微かな笑みを向け、背を優しく押した。
了
とがはらみ ---かりはらの贄巫女--- 藍上央理 @aiueourioxo
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