第2話


 ルービット・キューチェ、十七歳。

 出身は錬金術師達が統治する国、イ・サルーテだ。

 イ・サルーテはこの大陸で最も錬金術が発達した国で、錬金術師協会の本部もそこに存在してる。

 僕はそこの統治階級である、領地持ちの錬金術師の家に生まれた。


 恵まれた生まれだと、自分でも思う。

 何せ他の国で言うならば、貴族の家に生まれた様な物なのだ。

 けれども何よりも有り難かったのは、優れた錬金術を思う存分に学べる環境にあった事。

 だって僕は、生まれるよりも以前から錬金術に憧れていたから。


 つまりは、そう、僕は所謂、前世の記憶を持った人間だった。

 しかもその記憶は、こことは異なる別の世界に生きた人間の物。


 ……だからと言う訳ではないけれど、僕の錬金術を習得する速度は、客観的に見ても早かったのだろう。

 父が跡取りとして考えていた五つ上の兄と、僕を比較して揺らぐ位には。

 僕は十歳にして錬金術の基礎を学び終えて、錬金術師協会から一人前として認められたし、十二の頃にはオリジナルの錬金アイテムを研究、開発しては協会にレシピを登録していた。


 勿論、家の跡取りに必要となる要素は錬金術の腕だけじゃない。

 領地の統治や、家中の掌握も必要となる。

 それ等の点で兄はとても優れていたのだけれど、やはりどうしても錬金術師の国であるイ・サルーテでは、錬金術の腕のみを重視する人間も多い。

 故に僕は家を割らぬ為に旅に出た。

 イ・サルーテではあまり手に入らぬ素材を得て、新たな錬金アイテムを研究、開発すると言う名目の元に。


 まぁ実際、僕の開発した錬金アイテムの一部は、実家にレシピとその権利を送っていて、兄はそれ等を使って上手くキューチェ家の名を高めてくれているそうだ。

 家族との仲も、少なくとも手紙のやり取りをしている上では、良好だと思ってる。



 そしてそんな僕が旅をしながら流れ着いたのが、人類圏の最西端、森と樵の国であるイルミーラだった。

 ではこのイルミーラがどんな場所かを説明するには、先にここよりも更に西、大樹海と世界の壁について語る必要がある。

 

 まず世界の壁とは知られている限りの世界の果てで、天に向かって伸びる大山脈だ。

 それを越えた先に何があるのかは誰も知らず、一説には奈落に向かってどこまでも落ちる断崖になっているのだとか。

 尤もそれを確認した人は誰も居ないのだから、その一説はどこかの誰かの妄想に過ぎないのだけれども。


 またその世界の壁の麓から東には、どこまでも続く木々の海、大樹海が広がっていた。

 大樹海は多くの魔物が住み、人が足を踏み入れれば生きて帰る事が難しい、とびきりの難所である。

 故にそれを踏破し、世界の壁に辿り着いた者は、まだ誰一人としていないらしい。


 ……さてこの大樹海だが、実は単なる難所に終わらず、東に向かって、つまりは人が暮らす領域に向かって広がろうとする厄介な性質があるのだ。

 種を飛ばし、魔物を送り込み、ジワジワと人の領域を飲み込もうとする木々の群れ。

 その大樹海の拡張を何とか抑え込み、あわよくば人類の生存圏を押し広げようとしているのが、森と樵の国であるイルミーラだった。


 イルミーラは大樹海でも浅層、魔物の脅威が低い部分を森と呼び、そこを切り開いて国土を広げている。

 広がろうとする大樹海、国土を広げようとするイルミーラの戦いは、もはや木々と人の戦争と言っても良いだろう。

 切り倒した木がたった一年で再び大木に戻ってしまう様な地を、人類は必死に開拓し続けていた。

 兵士や冒険者が魔物を倒し、追い払い、その隙に樵達が全力で木を切り倒す。


 当然ながらイルミーラの最大の産物は、切り倒された木を加工した木材だ。

 森、浅層部分ではあっても大樹海の木々を加工した木材は質が非常に高く、大陸全土で需要がある。

 それから魔物の素材や、大樹海と言う環境が生み出す品々も、利用価値は非常に高い。

 僕もこの、大樹海産の素材が目当てで、イルミーラに流れ着き、住み着いた。


 イルミーラは決して大国ではないけれど、豊かな国だと言えるだろう。

 勿論その豊かさは危険と引き換えの物だけれど、だからこそ冒険者や樵達は大いに稼ぎ、またその稼ぎを盛大に散財した。

 彼等の為の娯楽施設、酒場や娼館、劇場や闘技場等も数多く、独特の文化が発展している。


 そして僕の住処があるのは、そんなイルミーラの中でも森に近い、謂わば前線の町の一つ、アウロタレアの歓楽街だった。



「よぉ、ルー坊。今帰りかい? どうだい何か食ってかないか?」

「あら、ルービットじゃない。随分と疲れた顔してるわね? うちでお風呂入ってく?」

 僕がアウロタレアの歓楽街に住み着いてから、もう二年近くが経つ。

 顔見知りもそれなりに多く、先に声をかけて来たのが酒場の主人であるグリームで、次に声をかけて来たのは売れっ子娼婦のビッチェラ。

 グリームは休憩で外の空気を吸いに、ビッチェラは客の見送りに顔を出してたと言う辺りだろうか。

 因みに娼館でお風呂に入ると言うのは、当たり前だがそう言った行為が付属してくる。


 まぁさて置き、僕は二人に手を振って否定の意を示し、帰路を急ぐ。

 僕の住処はアトリエと店も兼ね備えており、冒険者相手にはポーションの類や便利な錬金アイテムを、娼婦を相手には化粧品や性欲を高めるお香なんかを販売してる。

 或いは性病の予防や治療の薬を求められたり、避妊や堕胎を行う為の秘薬を錬金する事も度々だ。

 要するに歓楽街に根を張る様なやり方で、僕はこの地で錬金術師として生計を立てていた。


 色々と声を掛けて来る歓楽街の住人達に、頷いたり首を横に振ったりしながら、僕は自分の住処に辿り着く。

 そこは左右を大きく目立つ娼館に挟まれた、地味な色合いの建物。

 元はこの建物も娼館だったが、左右の商売敵に挟まれて経営不振になってた所を、僕が買い取って改装したのだ。

 錬金術師は稼ぎの良い職業だし、また僕の場合は実家であるキューチェ家から支援の資金が出ていたけれども、それでも大きな買い物だった。

 でもその時に相手の足元を見て買い叩かず、思い切った大金を積んだからこそ、歓楽街の人々は僕を受け入れてくれたのだと思ってる。


 建物の元の持ち主であった娼館の経営者は、そのお金を使って新しい商売である酒場を買ったのみならず、所属していた娼婦達にも次の道を探すのに十分な支度金を持たせることができたそうだから。

 そう言った噂は人の口から口に伝わって行って評判を生む。


 懐から鍵を取り出し、防犯用の仕掛けを解除して、僕は漸く我が家、自分のアトリエへと帰って来た。

 けれども僕は荷を解かず、店舗となってる一階を通り過ぎて地下へと向かう。

 因みに元の建物は三階建てで、地下は存在しなかった。

 だけど僕はこの建物を改装した際、地下にも二階分のスペースを拡張してる。


 改装を担当してくれた大工には、

「こう言うのは改装じゃなくて、ほとんど建て直しって言うんだぜ。世間知らずの坊ちゃんよ」

 なんて風に言われてしまったが、それでも僕にはどうしても地下室が必要だったから。


 地下一階は、店舗で販売する為のアイテムを錬金する為のスペースだ。

 錬金し慣れたアイテムは、今更作成に特に危険もないけれど、念の為に周囲に被害を及ぼさない、頑丈な地下で行う。

 そして地下二階は、新しい錬金アイテムの研究、開発や、作成に万一の危険が伴う危険物を錬金する場所になっていた。

 逆に上の二階、三階は居住スペースとして使っているが、まぁ一人で使うには広すぎるにも程があるので、僕は完全に持て余してる。


 地下一階も通り過ぎ、研究、開発の為のスペースである地下二階へと辿り着いた僕は、そこでやっと荷を下ろして外套を脱ぎ、

「ただいま。思ったよりも手間取って、少し帰りが遅れちゃったよ」

 唯一人の同居人へと声を掛けた。


 僕の声に薄っすらと目を開いて反応を返してくれたのは、部屋の真ん中に据えられた巨大な培養槽の中に浮かぶ、小さな人型。

 身長は五十センチ程で、背中に透明な羽の付いたそれは、一見すればまるで妖精の様にも見える。

 そうなると僕は妖精を捕まえてこんな場所に閉じ込めてる酷い人間と言う話になるのだが、勿論そんな事は決してなかった。

 残念ながら僕は錬金術の為とは言え、流石にそこまでの非道は行えない。


 ……尤もこの培養槽の中の存在、ホムンクルスの作成も、見る人から見れば十分に倫理観の欠落した行為に見えるのだろうけれど。

 そう、僕にとって我が子とも言うべきこの存在は、人造の生命であるホムンクルスだった。

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