第35話


 サイローがエイローヒ神殿を出て、独り立ちする日が明日に迫っていた。

 明日からの住処がない彼は、これからは宿を借りてそこで暮らす事になるだろう。

 彼が僕の所有する田畑に仕事に来るのは、今日が最後の日だ。

 薬草畑の管理に関しては、この数ヵ月で別の孤児にきちんと引き継いでくれていた。

 だからその日も特別な事は何もなく、水田の、薬草畑の手入れも終わる。


 独り立ちの準備は、もう殆ど終わってるらしい。

 借りる宿も決まっているし、雑用を手伝えば宿賃を負けてもらう約束もしてあるんだとか。

 僕が薬草畑の管理のお礼にと渡していた駄賃も貯めて、厚手の外套としっかりとしたブーツも購入済みだ。


 装備に関しては、僕も相談を受けた。

 まだこれから大きく身体を成長させるであろうサイローには、鎧の購入は些か厳しい。

 サイズに余裕がある、大きすぎる鎧は動きの邪魔をするし、逆に成長して小さくなってしまった鎧も動きを阻害し制限してしまう。

 適宜買い替えるのが一番なのだが、駆け出しの冒険者にそんな余裕があろう筈もない。

 ならば暫くの間、森の最外層で採取をしながら、精々小鬼や狼と戦う程度ならば、頑丈な外套を身に纏った方が生存率は高くなる。


 またブーツは良い物が必須だ。

 森で活動するならば、足は最も守らなければならない。

 万一森の中で歩けない様になってしまえば、待つのは確実な死だった。

 獣や魔物に襲われて怪我をする事もあれば、生えた根に足を取られたり、歩き過ぎで足に疲労が溜まる場合もある。

 故にそれ等の危険を少しでも減らす為、ひいては自分の命の危険を減らす為、ブーツは必ず足に合った良い物を選ばねばならない。


 武器に関しては、僕から渡すと以前から約束をしている。

 サイローが訓練で振っていた木剣と同じ長さ、似たバランスの鋼の小剣を、鍛冶屋で発注して鍛えて貰った。

 尤もピカピカの鋼の剣は新米冒険者が持つには過ぎた代物なので、敢えて見た目は中古に見える様に古ぼけさせてる。

 そりゃあ見た目も新品の方が格好は良いだろうが、その格好の良さが要らぬトラブルを招く事だってあるから。


 それから盾に関しては、サイローが訓練で使っていた盾に、僕が鞣した魔物の革を張って補強した。

 見た目は兎も角、実用性は高い代物に仕上がったと思う。

 もしも見た目が気になるならば、実力が付いた後に自分で見合った装備を購入すれば良い。



「サイロー、今日まで働いてくれてありがとう。本当に真面目に、熱心に手を抜かずに頑張ってくれたから、とても助かったよ」

 最後の仕事を終えたサイローに、僕は剣と盾を手渡して、今までの礼を言う。

 これは僕の本心からの言葉だ。

 別に他の孤児の仕事が悪いと言う訳ではな……、まぁ時々ふざけて遊びだしたりもするけれど、大きな問題がある訳じゃない。

 でもサイローの仕事はとても丁寧で繊細だったから、それを僕は惜しくも思う。


 けれども次の道を歩もうとする人間の後ろ髪を引っ張った所で、何の益にもなりはしない。

 僕は同じ手を伸ばすなら引くのではなく、その背を押してやりたかった。


「明日からはもう、子供扱いも特別扱いもしないよ。客として、僕のアトリエに来てくれる日を待ってるから」

 送り出す言葉は、僕自身の甘さを戒める為にも、少しばかり厳しめに。

 サイローは僕の言葉に、神妙な顔で頷く。

 その顔を見ながら、僕は何があっても生き残って、ゆっくりとで良いから着実に強くなって欲しいと、僕は願う。

 だって強くなって稼ぎが増えれば、安定した生活を送って、冒険者を引退した後の人生も考える事が出来るから。

 彼が冒険者になる日が、あの氾濫の後で良かったと、心底そう思ってる。


 でも僕等のやり取りを隣で見ていたディーチェは、

「大丈夫ですよ。そんな事を言ってもルービットさんは、何だかんだで助けてくれますから。大きな怪我をした時、本当に困った時は、無茶をする前に訪ねて来て下さいね」

 クスクスと笑いながらそんな事を言った。

 そんな彼女がサイローに渡すのは、応急手当の用品と幾本かの回復ポーションがコンパクトに詰められた小さなポシェット。

 他の荷物とは別に身に付けていれば、何かあった時にすぐに対処が可能になるであろう便利な品だ。


 ……まぁ確かに、例えば肉体的に欠損が生じる様な怪我を負った時、そのままにして頑張られるよりは、早めに相談に来て欲しいと思う。

 再生のポーションは確かに高価だが、信頼が出来る相手ならば、金銭ではなくて物納や労働で対価を取る方法もあるから。

 しかしそれを今言われると、どうにも空気が締まらなくて、恥ずかしい。


 あぁ、でも、サイローの性格ならば、僕の言葉通りに客として対価が払える様になる日まで、困った事があってもアトリエには来ずに自分で解決しようとするだろう。

 だったらもしも彼に何かあった時、僕は自分の言葉に後悔を抱く。

「……うん、そうだね。何かあったら、迷わず相談しに来るんだよ。金がなくても気にしなくて良い。サイローが相手なら、その分は働いて返させるから」

 僕は決まりの悪さに頭を掻きながら、自分の言葉を訂正する。

 するとサイローは嬉し気に、とても嬉し気に、笑みを浮かべて頷く。



 サイローは、冒険者登録は既に済んでいて、明日から一週間ほどは斡旋された駆け出し達と共に、冒険者組合で訓練を受けると言う。

 尤も彼は既に基礎は身に付けていると認められていて、主に他のメンバーとの連携を中心に学ぶ事になるらしい。

「ルービット兄ちゃん、俺、絶対に生き残るよ。生き残って、多分時間はかかるけれど、いつか兄ちゃんみたいに誰かに優しくできる大人になってみせる」

 帰り際、サイローは僕にそんな事を言った。

 何だかとても面はゆい話だ。


 町に入った所で別れ、サイローがエイローヒの神殿に向かって歩いて行く背中を見送った。

 最後の夜を、彼は家族である女司祭や、他の孤児達と一体どんな風に過ごすのだろうか。

 僕は女神エイローヒを信仰していないし、彼女が大人となった男を庇護しない事も知っている。

 でも今だけはエイローヒに、サイローの前途に光が満ちている事を、僕は願わずにはいられない。

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