第36話
「でさ、その時にラールがこうビュッと矢を放ってね、ブラックボアの目を一発で射抜いたのさ。アイツも言ってたよ、寧ろ以前よりも今の方が指の調子が良いってね」
ある日の午前、つい先日まで隊商の護衛として国外に出ていたらしいバルモアが、消耗品の補充に訪れていた。
尤も彼女程に腕の立つ傭兵が、森の最内層や大樹海の中層に遠征したなら兎も角、隊商の護衛に出てた位で大きな消耗がある筈もない。
僕が作った錬金アイテムであるブーツをチェックに出して、申し訳程度に魔物除けの香を少量購入してくれたが、買い物はその程度で終了だ。
後はもっぱら、僕やディーチェを相手に話がしたかっただけの様子。
尤もバルモアは買いこむ時は本当に大量に、値の張る物も購入してくれるので、大切な上客である。
それに彼女との会話は、嫌味がなくて心地良いから。
僕はバルモアを持て成す為に、少し良い茶葉を取り出して湯を沸かす。
でもそんな時だった。
カラカラと入り口のドアに取り付けたベルが鳴り、身なりの良い紳士が一人、アトリエの中に入って来る。
そしてその人は身なりだけでなく、歩く所作も美しい。
彼自身は貴族ではないだろうけれど、多分その家令辺りだろうと見当が付く。
正直、歓楽街にある僕の店に訪れる様な人種では、あまりない。
だけど不似合いな場所に踏み込んで来たにも拘らず、紳士の目には僕を、それに周囲の環境を見下す様な色はなく、こちらに向かって丁寧に一礼をした。
「ご歓談中に失礼します。ルービット・キューチェ様であられますな。我が主からの手紙を預かって参りました。どうぞお受け取り下さい」
僕は紳士の言葉に、思わず首を傾げてしまう。
どうやら彼の主とやらは、手紙の配達に、要するに使いっぱしりに、こんな有能そうな人間を出せる大物らしい。
一体どこの誰だろうかと手紙を受け取り確認すれば、封蝋に押された印璽は、ターレット・バーナース伯爵の物。
つまりはこのアウロタレアの町を統治する領主だ。
すると紳士は僕が領主からの手紙だと認識した事を確認すると、再び美しい一礼を披露して、その場をサッと立ち去ってしまった。
……手紙は、すぐに返事が必要な内容ではないらしい。
何だか少し気が抜けてしまって、僕は手紙をテーブルに置き、取り合えず湯沸かしに使っていた魔道具の熱を止める。
この魔道具は例えるならば卓上コンロの様な物だが、燃料の類は必要がない。
それに魔道具と言っても大した仕組みがある物でもなくて、雑に言うならば固形の合金に加工した炎銅を、断熱の素材で囲んだ物だった。
つまみを回せば断熱性の蓋が開き、炎銅の熱が上に置いたものを温める。
熱量は蓋の開き具合で調節すると言う、魔道具と呼ぶのも躊躇われる位にローテクな代物だ。
少し前にディーチェが作成した炎銅が残っていたので利用してみたが、どうにも売り物にする気にはならなくて、結局自分で使ってた。
そこそこ便利な品である事は間違いないので、こうして客にお茶を出す時などには重宝してる。
思わぬ事態に驚いた様子だったバルモアは、落ち着きを取り戻せばどちらにも興味がわいたのか、手紙と魔道具の両方に視線を行き来させた後、
「領主からの手紙だなんて、珍しいね。一体、どんな用事なんだい?」
取り敢えず領主からの手紙についての好奇心を優先させた。
まぁ魔道具に関しては、何時でも聞ける物だとも考えたのだろう。
僕としては厄介事かも知れないからあまり見たくない領主からの手紙だが、かと言って無視する訳にもいかない。
バルモアが興味があると言うのなら、今、この場で開封して読んでしまうか。
自分とディーチェ、バルモアの分のお茶を入れた僕は、カウンターの引き出しの中を漁ってナイフを取り出し、サッと切って開封する。
そして折りたたまれた紙を開くと、微かに人の心を和らげる働きのある薬草の香りがした。
この紙は、多分カータクラ錬金術師店で購入された物なのだろう。
以前の技術交流会あの店を訪れた時に、似た物が売られているのを見た事がある。
尤も領主が使っているだけあって、紙質はこの手紙の方が随分と上だけれども。
しかしそれにしても……、やっぱり面倒な内容だ。
一通り手紙に目を通した僕が顔を上げると、バルモアが早く内容を聞きたいと言わんばかりの目でこちらを見てる。
彼女の様が、まるで待てをされてる大型犬にも見えて、僕は少し笑ってしまう。
「もうすぐ武闘祭でしょ。予選を免除して本戦から出場させるから、武器部門でも素手部門でも、好きな方を選んで欲しいってさ」
一体全体、あの領主は何を思ってこんな事を言い出したのか。
正直な話、僕は剣の腕も格闘の実力も、武闘祭を勝ち抜ける程では決してなかった。
確かに氾濫の時は拳や蹴りを大鬼にぶつけていたが、あれも魔術を正確に当てる為にやってただけで、素の攻撃力は大した事がない。
そもそも錬金アイテムを温存する心算がなければ、魔術で戦う事すらリスクが高いと感じてたのに。
寧ろ予選なら何とか勝ち抜けるかも知れないけれど、本戦から出ろと言われても一体何をすれば良いのかと言う感じだ。
「はぁ、成る程ね。そりゃあ、当然か。今のルービットを予選から出場なんてさせたら、寧ろ市民から文句が出るよ。巨人を倒した英雄に対する扱いじゃないってさ」
するとバルモアはそんな事を言い出して、僕はその言葉に思わず眩暈を覚える。
あぁ……、何でそんな面倒な話になってるんだろうか。
僕はあくまで錬金術師で、得意とする土俵が全く違う。
もし仮に、魔術も錬金アイテムも全てが使用可能だったら、そりゃあ優勝も夢ではない。
回復のポーションや再生のポーションだけでも、貯蔵量が他とは比較にならないから、実力は兎も角としても物量で勝てる。
「で、どっちに出るんだい? アタシは武器部門に出るから、決勝まで行けたらぶつかるかもね。ね、武器部門にしないかい?」
なんて事を言うバルモア。
彼女は僕をある程度理解してくれてるから、本気でそう思ってる訳じゃなくて、和ませる為の冗談の可能性も……。
否、割と本気でそうなったら面白そうだと思ってる顔をしてた。
僕はちょっと面倒臭くなって来て、机の上に手紙を放り出す。
「どっちも出ないよ。倒した相手が素材になってくれる訳でもないのに、何で態々殴り合わなきゃならないのさ。僕って錬金術師だよ?」
実は武闘祭に参加すると、領主から金貨で五枚の報酬を支払うとも手紙には書かれていたのだけれど……、その程度の額なら武闘祭目当てで増える人出を見込んで、何か商売をした方が稼げるだろう。
つまり本当に僕には何のメリットもないのだ。
メリットのない要請には、例えそれが領主からであっても否と言いたい。
だがそれも領主の思惑次第である。
もし仮に、領主の狙いが僕を公衆の面前で負かす事であれば、それは敢えて受けても良いと思う。
領主が抱える手勢でもなく、冒険者としての登録もしていない僕は、アウロタレアの町の住人であると言う以外には首輪を付けられていない。
つまり領主としては手綱を握り難い相手だろう。
冒険者組合からは、深層の魔物を倒せる様な実力者が冒険者でないのは、組合としても肩身が狭いなんて意味の分からない勧誘もされた。
まぁ僕は冒険者組合を信用していないし、損しかしない勧誘に頷く事は決してないけれど、あれも首輪を付けたいと言う意味があったのかも知れない。
だから僕を公衆の面前で、力を示す場で負かして、その評価を引き下げたいと言う狙いがあるのならば、僕もそれには納得をするのだ。
森の巨人の討伐で、今の僕は身の丈以上に持ち上げられてる。
でも仮にもう一度、今度はまた別の深層の魔物がやって来たとして、僕が再び勝利出来るかと言えば、それはちょっと難しい。
あの時、森の巨人を僕が殺せたのは、相手が巨大な人であり、また植物でもあったから。
要するに手持ちの道具との相性が良かったからに過ぎず、僕が深層の魔物に勝てる戦力だと思われ続ける事には問題があった。
故に領主が僕の評価を引き下げたいと考えてるなら、互いの思惑は一致する余地があるだろう。
しかし逆に、単純に武闘祭を盛り上げたいと思っての申し出だったら、僕の敗北は逆に大きく盛り下げる要因になりかねない。
その辺りをどう考えているのか、金貨で五枚と言う報酬からは上手く考えが読み取れなかった。
負かしたいなら、どうしても引っ張り出そうともう少し報酬は張り込むだろうし……。
盛り上げたいから呼ぶだけにしては、多少報酬が多い気もする。
だけどもまぁ、後者の可能性が高そうか。
「勿体ないね。剣だってそこそこ扱えるだろうに。でもらしいかも知れないね。錬金術でだって、ルービットなら本当は、大通りに店を出す事だって出来るだろうし」
僕の決定にバルモアは、心底惜しそうに溜息を吐く。
わかってくれた様で何よりだ。
けれども大通りの店は、可能か不可能かはさて置いて、人手が足りなくて仕事に追われ続けて研究の時間も無くなりそうだから、絶対に選択肢に入らない。
その点でカータクラ錬金術師店は本当に凄いと思う。
町への貢献度から見ても、町で一番の錬金術師店の看板は、決して偽りではなかった。
「まぁ、折角のお祭りだから、他所の町から来た人を狙って、露店でも出そうかと思ってるよ」
何ならもうちょっと色々と改良して、この卓上コンロっぽい魔道具を売りに出しても良いし。
静かにお茶を飲んでたディーチェが、何かを言いたげな目で僕を見てるから、彼女に祭りを案内するのに時間を取っても良い。
いずれにしても武闘祭は参加者でなく観客、見物人として、祭りを楽しませて貰うとしよう。
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