第40話


「はい、ヴィールちゃん。次は右足を前に、ゆっくりで良いから。そしたら次は右足に体重を乗せて、そう、そう、上手」

 平行棒の間に立ったヴィールが、ディーチェの指示に従いながら歩行の訓練を行っている。

 ずっと培養槽の霊薬に浮かんでたヴィールは、当然ながら歩行の仕方を知らなかったからだ。

 幸い調整されたホムンクルスの肉体は、筋力的には何の問題もないから、その方法さえしっかりと体が覚えれば、比較的早く歩ける様になるだろう。


 因みに僕は、すぐにヴィールを甘やかすからかえって邪魔だと、ディーチェに叱られて訓練に参加させてもらえない。

 いやまぁ、確かに甘い自覚はあるから何も文句はないし、ディーチェが居てくれて本当に良かったと思うけれども、ハラハラと訓練を見守るだけと言うのはどうにも心臓に悪い物である。


 そう、ヴィールへの霊核の埋め込みは、無事に成功した。

 あれから一週間が経つけれど、霊核も霊薬も設計、計算通りに機能していて、培養槽の外で活動するヴィールに異常は見られない。

 培養槽から出ればすぐに色々な物を見に行けると思ってたヴィールは、それを楽しみにしていた分だけ多少拗ねたが、身体を上手く動かせないのでは仕方ないと今では納得し、動作訓練に専念してる。

 一応、日常動作の多くは既に習得し、食事位は何とか一人でとれる様になっていた。


 それはホムンクルスの学習能力が高い事は勿論、見る物、触れる物、全てを真新しく感じるヴィールの熱意が生んだ結果でもあるのだろう。

 歩行には多少苦戦してるが、この分なら並の人間以上に動ける様になる日も、多分近い。


「マスター!!」

 歩行訓練がひと段落し、椅子に座ったヴィールが僕を呼ぶ。

 僕は訓練を眺めながらも進めていた作業の手を一旦止めて、彼に向かって歩み寄る。

 ヴィールは培養槽を出て、霊核の埋め込みを終えて、目覚めればすぐに喋った。

 どうやら僕やディーチェの言葉を聞いて、培養槽の中で覚えたらしい。

 僕のホムンクルスは実に天才だと、誇らしく思う。


「何、ヴィール?」

 実は要件は分かってた。

 分かってはいるのだけれど、ヴィールと会話を出来る事が嬉しくて、僕は敢えて問いかける。

「頑張った。撫でて!」

 凄くストレートな物言いで、頭をこちらに向かって突き付けて来るヴィールに、僕はどうしても笑みを抑え切れない。

 向けられる好意が嬉しくて、僕はヴィールの頭に手を置いて、慈しむ様に撫でた。


 ディーチェがちょっと、本当に甘いなぁと言わないばかりの、呆れた様な視線を向けて来た。

 けれども実際の所は、訓練を離れればディーチェもヴィールに対しては大分と甘い。

 要するに僕とディーチェの違いは、訓練の時に割り切れるかどうかだけなのだ。

 ……うん、ちょっと我ながらどうかとは、多少思う。



 ヴィールが市民権を得られるよう、この町の領主であるターレット・バーナース伯爵にはお願いしてある。

 実際の市民権の発行は、ターレット伯爵がヴィールと対面してからとなるそうだけど、多分問題はないだろう。

 市民権がなくても町の滞在は可能だが、事件に巻き込まれた時に町の衛兵に守って貰うなら、市民権はあるに越した事はない。

 その分、多少の人頭税は取られてしまうが、必要経費と考えれば安い物だ。

 また歓楽街では、自警団の長や顔役達に話を通して、僕の関係者として周知して貰う手筈になっていた。


 これからヴィールがこのアウロタレアの町で生きるにあたって、他の皆が持ってる権利は彼にも与えてあげたい。

 可能ならばこの町だけじゃなくて、この国のどこであっても、或いはこの世界のどこであっても。

 だけどそれには、多少の時間が必要だろう。

 今の僕には、まだこの国、イルミーラの王には直接の面識がない。

 錬金術師協会への働きかけは、ディーチェが、恩師が、実家であるキューチェ家が行ってくれる手筈だが、そちらも結果が出るには時間が掛かる。


 まぁ、少しずつだ。

 ここまで来るにも時間は掛かった。

 この先に進むにも時間が必要で、それは今まで通りで何も変わらない。



「ルービットさん、一つ、聞かせてください」

 夕食、入浴を終えてヴィールが寝付いた後、まったりとお茶を飲んでいると、対面に座っていたディーチェが真剣な面持ちで口を開く。

 さて、一体何を聞かれるのだろう?

 僕はディーチェの雰囲気にカップを置いて居住まいを正し、彼女の目を見て先を促す。


「ホムンクルスを培養槽の外で活動させると言うルービットさんの目標は、ひとまず達成された風に私には見えます」

 こちらを見透かそうとでもするかの様に、ディーチェもまた僕の目をじっと見たままに言葉を続ける。

 あぁ、確かに、ひとまずは目標達成と言う所か。

 経過を観察する必要はずっとあるとは言え、幸いにも今は何の異常も出ていないし、その予兆も存在しない。


「ならば、この先、貴方は何を、どこを目指すのでしょうか。私はそれが知りたいです」

 そして問われたのは、これから僕の目指す先。

 僕はその問い掛けに、思わず瞳を閉じて考えた。


 実の所、気になってる事は幾つかある。

 例えば僕等が扱う錬金術は、元々は大昔に栄えた文明の技術の名残がベースになってるんじゃないだろうかとか。

 大樹海の先、世界の壁の向こう側はどうなっているんだろうかとか。

 別の世界を知ってるからこそ、気になる不思議は色々とあった。


 錬金術は他の技術に比べて、異常に進んだ技術に思う。

 そりゃあ魔力なんて不思議な物を利用しているから、他の技術よりも便利なのは当然だとしても、少しばかり異常が過ぎた。

 また各国、各地域が発行してる貨幣に関しても、一律で金属比率が同じで価値も保証されてるなんて、やっぱり異常だ。

 僕はその理由は過去に栄えた文明にあるんじゃないだろうかと、そんな風に思ってる。


 御伽噺に名前が出て来る薬、エリクシールが実在したと自ら証明してしまった事で、僕のその考えは強くなった。

 大昔にはエリクシールを生産出来た文明が存在し、けれども何らかの理由で崩壊したのだろう。

 故にエリクシールは名前や効能のみが御伽噺の形で残り、貨幣に関しては金属比率や価値の決まり事なんかが残ったんじゃないだろうか。


 仮にそうだとするならば、その古代に栄えた文明の残滓は、きっと世界の壁の向こう側にあるんだと僕は推察してる。

 だって当たり前の話だけれど、氾濫の様な形で大樹海が広がろうとするなんて、何か原因があるに違いないから。

 その向こう側には大きな秘密が隠されてるんだろうと疑うのは、至極当然の事だった。


 でもディーチェが聞きたいのは、多分そういう話じゃないんだろう。

 彼女が僕のアトリエに来た時、見た事のない物が見れたと大はしゃぎをしていた。

 要するに錬金術師として、僕はまだ未知を追い求める心算があるのかと、ディーチェは問うている。

 その答えは、勿論、是だ。

 僕の探求は、まだまだここじゃ終わらない。


「次に目指すところは、一杯あり過ぎて困るけれど、取り敢えずはヴィールにもパートナーが必要になると思うし、そしたらいずれは生殖能力も必要だね」

 第一、まだ僕のホムンクルスは完成した訳じゃなかった。

 パートナーと生殖能力を得て、子孫を作れる様になっても、それでもまだ未完成だ。

 僕が生きてる間なら、ヴィールの子にも霊核を作ってやれるだろう。

 だけど仮に、その更に子、孫が生まれた時に、僕が居なければ誰が霊核を作るのか。


 錬金術を覚えたヴィールに後を任せると言う選択肢は、存在する。

 しかしそれでは、未完成のまま次代に引き継いだだけでしかない。

 ならば僕が目指す先は、霊核を必要とせずに外で活動出来て、それを子孫に引き継げるホムンクルスだ。

 完全に独立した一つの生き物になったなら、その時こそ僕はホムンクルスを完成させたと胸を張って言える筈。


「だから先はまだまだずっと続くよ。ホムンクルスだけじゃなくて、作りたい物は一杯あるしね。今回の成果には一先ず満足してるけれど、……お腹一杯には全然なってないかな」

 寧ろ作りたい物があり過ぎて、寿命が足りない気がしてならない。

 例えばホムンクルスの活動方法の一つとして考案していた、培養槽を搭載可能なゴーレムの案を流用して、人が乗り込んで操作出来る代物とか。

 寿命が、研究時間が足りなかった時は、エリクシールで若返ると言う禁断の手段も、一応は可能だ。


 思わず溢れ出た僕の錬金術への欲求に、ディーチェは何故だか本当に嬉しそうに、笑みを浮かべる。

「ホムンクルスを子孫も残せる完全に独立した生き物にって、……ルービットさんはホムンクルスの神様になりたいんですね。でもそれでも物足りなくて、他の物も作りたいって、本当に欲張りだと思います」

 彼女の言葉に、僕は思わず得心した。

 あぁ、成る程。

 確かにそれは、ホムンクルスと言う新たな種族の創造と言ってしまえる、大それた事だ。


 だけどそれを指摘したディーチェの声に僕を咎める様な響きは全くなくて、

「わかりました。私は一ヵ月後、錬金術師協会に妃銀の技術を伝える為、この町を出ます。……だけど、二年以内に全てを終わらせて必ずここに戻って来ます。次は追われてじゃなくて、私自身の意思でここに帰って来ます」

 それどころかまるで新発見をした時の様な、強い喜びの色に満ちている。 

 そして彼女は、たった二年で妃銀の技術の伝授も、錬金術師協会にホムンクルスの技術や権利を認めさせる活動も、全て終わらせると宣言した。


「だってルービットさんはまた、私に見た事のない物を見せてくれるでしょうし。……何より、共同研究者、必要でしょう?」

 椅子から立ち上がり、身を乗り出して、僕に向かって手を差し出すディーチェ。

 確かに、違いない。

 やりたい事は山ほどあるけれど、彼女が共同研究者となってくれるなら、その多くはきっと実現出来るだろう。

 人柄も、才も熱意も信条も、何より僕との相性も、ディーチェは最良の協力者だ。


 僕もまた、椅子から立って、その手を強く握る。

 会えなくなる二年と言う時間は決して短い物じゃない。

 だからこそ僕は、その二年で帰ってきた彼女が驚く何かを作って待つとしよう。

 僕が生み、ディーチェと育てたホムンクルスである、ヴィールと共に。

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