第42話
アトリエ一階の店舗スペースで、僕は魔道具を使って湯を沸かしながら、人数分のカップと来客用の茶葉を用意する。
ポットに茶葉を入れ、ぽこぽこと湯が沸くのを見詰めながらじっと待っていた、その時だった。
「ねぇねぇ、マスター! どう、綺麗?」
ふとヴィールが声を掛けて来たので湯から視線を上げると、そこに居た彼の顔には薄っすらと化粧が施されている。
お茶を入れる前で良かったと、本当に思う。
もし仮にお茶を飲んでる時にその顔を見せられたなら、思わず吹き出してしまっていただろうから。
けれどもそれは思わず笑ってしまう様な落書き染みた顔になっていたからではなく、元々整った顔立ちが、見事に妖しい魅力を引き出されていたからだ。
もし仮にこの姿のままで歓楽街を、或いは大通りであっても歩かせたなら、僕はヴィールが誘拐されてしまう心配をしなくちゃならなくなるだろう。
「……あー、うん。綺麗だけど、ヴィールに化粧はまだ早いし、その化粧品は女性用だからね。ヴィールには合わないから落として来なさい」
僕は魔道具を止めて何とか言葉を絞り出し、乾いた布を取り出してヴィールに渡す。
彼は少し残念そうに唇を尖らせたが、言い付けには素直に従って水場へと向かった。
当たり前の話だけど、まだ経験の浅いヴィールが、自分であんな見事な化粧を施せよう筈がない。
僕はつい先程までは客扱いをしようと思った、ディーチェが残した化粧品区画に居る二人を睨み付けて、
「ちょっと二人とも、ヴィールに変な事を教えないでくれる? ヴィールと遊んでくれるのは有り難いけれど、ヴィールで遊ぶなら帰って貰うからね」
少し強めに注意する。
悪気がなかっただろう事はわかっているけれど、先程のは流石に些か刺激が強すぎる。
「あ、あはは、ごめんごめん。似合うとは思ったけれど、まさかあれ程とは思わなくって」
「確かにあの格好で表を歩いたら、妙なのに目を付けられちゃうわね。ごめんなさい。ルービット」
そう言って素直に謝る二人は、歓楽街でもTOPクラスの人気を誇る娼婦、ビッチェラとフレシャ。
この二人はディーチェが町を去って以降、仲の良かった彼女に頼まれていたらしく、化粧品売り場の飾り付けと、ヴィールの遊び相手として頻繁に僕のアトリエを訪れる様になった。
ディーチェが販売してた化粧品は、僕もレシピを教わったので補充位は出来るのだけれど、女性が好むディスプレイに関しては無知と言うか、全く興味が持てない。
故にビッチェラとフレシャがそうやって商品を並べて飾ってくれる事はとても有難く、またヴィールも二人には懐いてた。
以前の件からもわかる通り、フレシャは子供に対して優しく、ビッチェラは性格的に面倒見がとても良い。
自分に対して一杯の好意を注いでくれる美女二人にヴィールが懐くのは、まぁ当然だろうと僕も思う。
そして突然現れたヴィールと言う存在に対して、ビッチェラもフレシャも、必要以上に根掘り葉掘り事情を聞こうとはしなかった。
ヴィールの額や手の甲にある露出した霊核の一部である妃銀は、遠目には装飾品の様に見えなくもないが、間近で見ればそれが体内に埋まっていると一目でわかるだろう。
けれども敢えてそれを聞き出そうとはしない事に、僕は二人に感謝している。
だからまぁ注意位はするけれども、僕もビッチェラとフレシャの二人に対しては、到底本気では怒れない。
唯一つ、どうしても二人に知っておいて貰いたいのは、
「多分さっきので、ヴィールは化粧の仕方をちょっと覚えちゃったからね? あの子は本当に物覚えが早いから、あまり変な事は教えないでよ」
そう、ヴィールの学習能力に関してだ。
経験が足りず、単なる子供としか思えぬ見た目通りの振る舞いをするヴィールだが、その学習能力は並の人間の比ではなかった。
例えば僕がポーションを作っている時、ヴィールは時折、次に必要な素材を持って来て渡してくれる。
今のヴィールにはもっと他に経験する事があるからと、錬金術に関してはまだ教えてないにも拘らずだ。
ポーションと言っても種類は色々とあって、当然ながら作成手順も必要な素材も全く違う。
なのにヴィールは、これまで僕が行っていたポーション作成を見てただけで、その手順と必要素材を間違わずに覚えてるし区別できる。
それ程に、本当にヴィールの学習能力は、観察力と記憶力は高い。
なのでビッチェラとフレシャの二人にその心算がなかったとしても、うっかり妙な事を聞き付けて興味を持ち、学習してしまわないとは限らなかった。
その言葉にビッチェラもフレシャも、最初は親馬鹿だと笑っていたが、僕があまりに真剣に注意する物だから首を傾げ、それから思い当たる事があったのか漸く得心した様に頷く。
加えて顔を洗って戻って来たヴィールに化粧の仕方を尋ねてみれば、二人が施した手順を全く間違えずに言い当てていた。
……化粧をされる時って、目を瞑ってると思うのだけれど、一体どうやってヴィールはそれを感知していたのだろうか?
流石にビッチェラもフレシャもそれには驚いていた様だけれど、折角ならもっとちゃんと色々と化粧の仕方を教えて、買い物に来た女性に試供品を使って化粧を施すサービスをしたらどうかだなんて、盛り上がっている。
ヴィールの様な子が訪れた客に見事な化粧を施したなら、きっと評判になるだろうとも。
全く以て本当に、女性の感覚は僕には良くわからない。
化粧をされると言う事は、今してる化粧を落とすと言う意味で、僕の店に買い物に来る女性の多く、つまり娼婦は化粧をしない素の顔を晒すのは嫌がる物だと思うのだけれど、彼女達の自信は一体どこから来るのだろう。
まぁ他人に化粧をする分には、ヴィールが自分に化粧をするよりはマシだから、僕も反対する心算はないけれど。
盛り上がってるビッチェラとフレシャを、笑みを浮かべて交互に見上げてるヴィールは、果たして二人のやり取りの意味を理解してるんだろうか。
僕は溜息を一つ吐き、すっかり冷めてしまったお湯を一度捨て、改めてお茶の準備を再開した。
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