第43話
年中森の生き物達が活発なこのイルミーラでは四季を感じ難いけれど、吹く風の冷たさも大分と和らぎ、春の訪れが近付きつつあるそんな日、
「マスター、お手紙っ!」
一通の手紙が僕に届いた。
封蝋からわかる差出人は、……このアウロタレアの町役場。
それを見ただけで何となく要件は察したけれど、ウキウキとした様子で隣に座ってこちらを覗き込むヴィールの為にも、僕は一応はペーパーナイフを用いて手紙を開封する。
そして取り出した手紙に書かれていたのは、やはり察した通りの内容、依頼だった。
「んんん……、環境汚染、防止ポーションのご依頼? マスター、これなーに?」
そう言って横から手元を覗き込んで来るヴィールの頬を、僕は軽く引っ張る。
別に僕は手紙を覗かれたところで気にはしないが、行儀は悪いし、人によっては怒るだろうから。
そう言った躾は必要だ。
と言ってもまぁ、別に怒ってる訳でも何でもないので、それはサッと軽く済ませ、
「えっとね、汚物処理用のポーションの発注だよ。このアトリエで暮らしてるとあんまりピンと来ないだろうけれど、ね」
僕はヴィールに今回持ち込まれた依頼の説明を始めた。
以前にも言ったかも知れないが、アウロタレアの町の、と言うよりもイルミーラの国のトイレは汲み取り式が一般的だ。
このアトリエのトイレは別の方法で処理しているが、これは僕が多大なコストを支払って実現させてるだけで、とても普通の家庭に設置できるような代物じゃない。
なので基本的にイルミーラの、と言うよりも大陸の多くの国では、トイレはとても臭いのだ。
故郷であるイ・サルーテでは下水が整備されて、トイレも水洗だったけれども、それはあの錬金術師の集う国が特別だっただけである。
さてでは問題は、トイレが汲み取り式であるならば、汲み取った汚物をどうするかと言う事。
アウロタレアの町の生活用水は、井戸の他にも近くを流れる川から引かれてる。
けれども生活で出た汚物をそのまま川に流すのは、これは絶対にNGだった。
もし仮にそれを大々的に行ってしまった場合、川の下流である隣国、ツェーヌとの関係は大いに拗れ、最悪の場合は戦争にだってなるだろう。
何故ならツェーヌは大きな湖を囲む形で成り立った国で、国民の多くが湖の主であると言う古き水竜を信仰しているからだった。
ツェーヌは王が古き水竜と契約を交わす事で、湖やそこに流れ込み、流れ出ていく河川を使った水運を行い発展している。
だから湖の汚染に関しては非常に気を使っているし、昔は湖の周りに住む人口を増やさぬ為に、三男、四男は成人後には国を出なければならない法律があったと言う。
そんな国を出なければならなくなった人々達が住み着いたのが、今では川の国と呼ばれる河賊が蔓延る無法地帯。
そう、昔は、そんな法律があったらしいと言う事は、勿論今は違うのだ。
錬金術師協会が勢力を広がるのと同時に、この大陸に広まったポーションがある。
それこそが今回発注された品である、環境汚染防止ポーション。
平たく言うと汚物を高速で分解、浄化して肥料に変えてしまうポーションだった。
汚物の処理はどの国にとっても重要な課題だろう。
下水を造って維持するのは、実はかなりコストが重い。
かと言って汚物をそのまま放置すれば病に繋がりかねないし、何より臭くて不快だ。
それ故に環境汚染防止ポーションはどこの国でも大変喜ばれ、錬金術師協会が各地に広がる一助となった。
と言う訳でこの環境汚染防止ポーションの作成は、僕達錬金術師の立場を維持する為に、非常に重要な仕事なのである。
……尤も、この環境汚染防止ポーションの作成は手間が掛かるし、何よりも報酬が安いので、錬金術師からはあまり好まれない仕事だ。
社会貢献の一環と言う奴で、基本的に裕福な錬金術師が妬まれない為には、こう言う仕事もこなす必要があるのだろう。
そしてこのイルミーラでは、この環境汚染防止ポーションの作成を、町に店を構える錬金術師達が持ち回りでこなしている。
つまり今回は、僕のアトリエにその順番が回って来たと言う訳だった。
まぁ役場からの手紙と言えば、この環境汚染防止ポーションの作成依頼か、税金に関する物ばかりである。
僕があの封蝋を見るだけでうんざりしてしまうのも、多分きっと仕方ない。
「うわ、今回必要量多いな……。人口が増えた訳でもないだろうに、前回の担当が手を抜いたのかなぁ」
ヴィールに説明をしながら役場からの手紙、発注書を確認し、その量に思わずぼやく。
この環境汚染防止ポーションの作成は持ち回りだが、当然ながらその規模や錬金術師の腕によって店の生産力には違いがある。
するとどうしても規模が小さく人手が足りない所や、錬金術師の仕事が遅い店は、環境汚染防止ポーションの作成に掛かり切りになると普段の商売に差支えが出てしまう。
故に努力はしたが発注量を満たす事は出来なかった。
と言う形で負担を次の担当に回すケースが結構多いのだ。
当然、そんな事をすれば役場から店に対する評価は下がるけれども、具体的なペナルティがある訳ではない。
だから普段の商売に差支えが出て、客を失うよりはマシと判断するのだろう。
店を構えて維持する以上、社会貢献にばかりに注力しても居られないから、仕方のない話でもあった。
税金の請求と環境汚染防止ポーションの作成依頼しか出して来ない役場なんて知った事かと言う気持ちは、僕にも良くわかる。
そもそも持ち回りなんて形にせずに、店の生産力を考慮して仕事を分配するべきなのだが、錬金術の素人である役人にそれを把握しろと言うのも無理な話か。
「あー、もう、これだと三日はかかるなぁ」
僕はポーションの素材が足りるかどうかを思い出しながら、手紙を放って伸びをした。
とは言え僕まで手を抜いて負担を次に回せば、やがて困る事になるのはアウロタレアの住人達だ。
誰かが環境汚染防止ポーションは作らねばならないし、……僕がやらなきゃ他にこの量をこなせそうな所は、カータクラ錬金術師店くらいしか存在しない。
アウロタレアの町に住む錬金術師は、ごく僅かしかいないから。
「マスター、ヴィールも! ヴィールも手伝うよ!」
胸に拳を当てて、ムンと気合を入れるヴィールが可愛らしいし、この子に胸を張って錬金術師を名乗る為にも、社会貢献しておこう。
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