第68話


 バーナース伯爵の子供達、リッチェラ、ティアルス、クルシアの三人に、魔力のコントロールを身に付ける為の瓶を渡してから一ヵ月半が経ち、僕はその結果を聞かされる。

 三人の中で魔力のコントロールを物にしたのは、クルシアのみ。


 ただそれは、ティアルスとリッチェラに才がなかったとかいう話じゃなくて、バーナース伯爵は子供達の内、自らの後継であるティアルスだけには、魔術を学ぶ許可を出さなかったからだ。

 魔術は確かに有用な、強い力ではあるけれど、制御を誤れば危険が大きいし、何よりも伯爵家の後継ぎには、他に学ぶ事が沢山ある。

 貴族は魔術を使うのではなく、魔術師を使う役割だから、魔術を学ぶ利はなく、逆に魔術に傾倒されても困ると考えたのだろう。


 それはまぁ、間違った考え方じゃない。

 ティアルスは元々、それ程に熱心に魔術を会得したいと思っていた訳でもないし、父親の言葉を受け入れた。

 姉であるリッチェラは、そんな弟を仲間外れにしない為、自分も魔術を学ぶ事を辞退したという。

 なんというか、やっぱり彼女の振る舞いには、卒がないなぁと、そう感じる。


 結局のところ、僕はクルシアのみに魔術を教えればいいようだ。

 後継ぎでない貴族の子弟が魔術師として身を立てる事はままある話で、本人の望みならばとクルシアには許可が下りた。

 恐らくバーナース伯爵は、次の当主であるティアルスや、リッチェラと僕の間に縁を作って置きたかったのだろうけれど、アテが外れた形だろう。

 尤も、魔術を学びたいと言い出したのはクルシアで、そもそもはバーナース伯爵が講義の内容を指定しなかったのだから、落ち度があるのは、他ならぬバーナース伯爵である。


 しかしその代わりに、あの日、同席していた魔術師らしき人物、何でもバーナース伯爵が抱える魔術師隊の長、リュロイ・パッサスが、自分も僕の講義を受けたいと言い出したらしく、僕は何故か、本職の魔術師、しかも相当な熟練者に、魔術を語る羽目になった。

 どうやら彼は、僕が渡した瓶、あの魔力で色が変わる溶液にいたく興味を持ったそうで、僕から学べば新たな何かが見付かるかもしれないと、そう考えたのだとか。

 ……何ともやり辛い話だけれど、非常に優秀な助手ができたと、そう思う事にしよう。



「さて、という訳で今日からは、僕がクルシア、ヴィール、……それからリュロイ氏に魔術を教えていく事になるよ。はい、拍手」

 そう言って、僕が自分で手を打って鳴らせば、クルシア、ヴィールは大喜びで、リュロイは少し戸惑ったように、拍手をする。

 流石にリュロイは、無理を言った自覚があるらしく、少し申し訳なさそうだ。

 でも、別に構わない。

 僕も引き受けた以上は、たとえ相手の方が魔術に詳しくても、全力を尽くそう。

 錬金術師の視点だからこそ知ってる、魔術師の彼が知らない何かを、教える事だって皆無じゃないだろうし。


「でも今回は最初だから、魔術とは何かって話から入るよ」

 もちろん、力を注ぐべきは熟練者のリュロイじゃなくて、これから始めて魔術に触れるクルシアとヴィールだ。

 むしろこの二人を教える事に関しては、リュロイの力を積極的に借りたいとすら思う。


 魔術とは、即ち魔法を模倣し、人の手で扱えるようにしたものである。

 では一体魔法とは何か。

 それは魔力を用いて引き起こされる全ての現象の事だった。

 例えば竜が炎の吐息を吐くのも、重さを感じさせず空を飛ぶのも、魔法である。

 森の巨人が歩いた時、足跡から草木が芽生えるのだって、魔法だ。

 人狼が怪我をしてもすぐに癒えてしまう再生も、カトブレパスの視線が何かを石化させるのも、全てを含めて魔法と呼ぶ。


 だが人は、これらの事を何一つ、自分達では行えない。

 火は吹かないし、飛べないし、草木は生えず、再生もしなければ、視線は何も起こさない。


 しかしそれができる存在が居るなら、自分達もそれを扱いたいと、観察し、仕組みを解析し、魔力の使い方と世の理を知り、遂には魔法を模倣した。

 それこそが魔術である。

 魔法を模倣した、魔力を用いた人の技術という意味では、錬金術も魔術の一種だった。

 故に魔術を使えば、人は火を出し、空を飛び、草木を生やし、再生もできるようになるのだ。

 まぁ、できるようになるのだって言っても、当然ながらとても難しくはあるのだけれど。


「まぁ、ここで大切なのは、『魔力の使い方と世の理を知り』って部分だよ。この二つを知らないと、魔法の模倣、つまり魔術は扱えない」

 なんて、少し大げさに言ってるけれど、魔力の使い方は既に皆が知ってるし、世の理に関しては、別に知らなくても構わない。

 新たな魔術を開発する為にはそれを知る必要があるけれど、行使するだけなら、術式を覚えれば十分だ。

 例えるなら、1+1=2が、どうしてそうなるのかは知らずとも、式と解の求め方が分かっていれば計算はできる。

 数学者や哲学者になるなら話は別だが、既に出来上がったものを扱うだけなら十分だ。


 尤もそれで十分なんて風には言ったけれども、当然ながらそれ自体が難しい。

 式と解の求め方が分かっていても、五桁以上同士の乗算の計算が、即座にできないのと同じである。

 いや、できる人もいるのだろうけれど、普通は割と手間取る筈だ。


 魔術も同じく、複雑な術式を想起して脳裏に展開するにはそれなりに時間が必要だった。

 ある程度は魔力に載せるイメージに任せて省略出来るとはいえ、即座にというのは難しい。

 特に命が掛かった戦闘中ともなれば、余程に優れた頭脳と、何事にも動じない鋼の精神力を、二つとも持ち合わせねば、まともに魔術なんて使えやしないだろう。

 けれども魔物や厳しい自然環境といった脅威の前では、魔術の力はどうしたって頼もしく映る。

 当然のように、どうにか素早く魔術を扱えないかと試行錯誤がなされて……、術式の事前準備という、簡略方式に行きついた。


 簡略方式には幾つかあるが、最もメジャーなのは魔術杖式と呼ばれるものだ。

 僕もクルシアとヴィールには、魔術杖式を使わせる心算である。

 何故かと言えば、魔術杖式が最も安全な簡略方式であるからだった。

 例えば、僕が扱う装填術式で魔術の発動に失敗すれば、場合によっては腕が吹き飛ぶけれど、魔術杖式の場合は杖が壊れるだけで済む。


「もちろん腕と杖、どっちが安上がりかは人によるよ。僕は錬金術師だから、手足が吹き飛んでも再生のポーションで治せるから、装填術式を使ってる。……まぁ、手足が吹き飛ぶのって物凄く痛いけどね」

 僕は笑ってそう言うが、クルシアの顔は蒼褪めて、リュロイは苦笑いを浮かべた。

 まぁ安上がりかどうか以外にも、装填術式は自分の身体を使うから、魔力の通りの善し悪しなんて気にする必要がないとか、体術と組み合わせ易いってメリットはある。


 ちなみにリュロイは、簡略方式ではなくて、正しい形で魔術を発動させる事に慣れてる筈だ。

 というのも、魔術師隊が扱う大技、複数人で行使する大規模魔術、戦術級と呼ばれる魔術は、簡略する方法がない為、素の形で魔術を発動せざる得ない。

 まして隊を率いる長であるならば、世の理を知って、他の魔術師のズレを補正して、大規模魔術を完成させられる実力者である。

 つまり自分で、新たな魔術を生み出せる人物だろう。

 僕も自分で研究し、新しい錬金術のアイテムを、新しい魔術を生み出してきたって自負があるから、引け目を感じはしないけれど、……純粋な魔術に関してなら、むしろ逆に習いたいくらいの人物だった。


 そう説明してやると、クルシアとヴィールは、素直にリュロイに尊敬の目を向ける。

 リュロイに関して詳しく知らないヴィールはもちろん、クルシアも、自分の家庭教師をしてくれてるのが、それ程に優れた人物だったとは思ってなかったらしい。


 しかし説明ばかりが続いては、ヴィールはともかく、クルシアはそろそろ飽きてきた頃合いだろう。

 僕は説明を中断して、ポシェットの中から、今日の為に作ってきた道具を取り出す。

 その道具を見て、ただ一人だけ、それが何なのかを理解したリュロイは、驚きに目を見張った。


「じゃあ、そろそろ説明ばかりで飽きて来た頃だろうし、実際に魔術を使ってみようか」

 僕が取り出したのは、先日、石から戻したばかりのトレントの枝を加工した杖。

 けれども単に杖にしただけじゃなくて、クルシアとヴィールが訓練に使った溶液も組み合わせて、魔力を通すと赤いラインが浮かび上がるようにしてあった。

 そして先端には、安全な、薄っすらと光を放つだけの術式が刻んである。


 今後、クルシアとヴィールに扱って貰う魔術杖式は、杖にしっかりと魔力を通さなければならない簡略方式だ。

 これは、手に持った瓶にしか魔力を流した事のないクルシアは、少し手間取るかもしれない。

 ただ目に見えて、ラインが浮かび上がって魔力の通りがわかるなら、随分とイメージは掴み易くなる筈だった。


 まぁ、単に光を放つだけの杖に、生き返ったトレントの枝なんて、勿体ないにも程があると、リュロイは思ったのだろうけれども。

 素材は僕が自分で採って来たから、別に金は掛かってないし、その辺りさえ気にしなければ、初心者の練習にはとても適した道具である。

 リュロイも、今後とも僕と付き合いを持つ心算なら、これくらいは慣れて貰おう。

 物を用意するという点においては、錬金術師は魔術師を遥かに凌駕するのだから。

 欲しいなら、枝の一本や二本は、後でこっそり融通もするし。

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