第75話


 物事が順調に進んでいる時、まるで揺り返しのように悪い何かが起きる事が、稀にある。


 秋が終わり、冬が来た。

 大樹海の影響か、季節の変化は比較的穏やかなイルミーラも、冬になれば皆が着てる服は厚くなるし、暖炉には火が灯る。

 冬の間には、積もるかどうかはさておいて、何度か雪も降るだろう。

 まぁ仮に積もったとしても町から町の交通が断絶される程じゃないし、外で寝るような馬鹿な真似さえしなければ凍死もしない。

 この気候の穏やかさに関してだけは、イルミーラは本当に恵まれている。


 そんな中、ウィルグルフがバーナース伯爵の推挙により、イルミーラ国に仕え、彼の指揮の下に各町で森の魔力の調査も始まった。

 もちろん余所者の錬金術師が、貴族の推挙を得てるとはいえ、突然に多くの人を動かす高い立場に就いた事には、不満や反対も決して少なくはなかった筈。

 しかしウィルグルフは錬金術の腕も確かだけれど、口も上手いし、僕やバーナース伯爵のところで、事前準備も怠らなかった。

 それに何より、氾濫の予測が本当にできるなら、誰もがそれには期待せざる得なかったから。

 ウィルグルフが率いる森の調査班は、急速に態勢を整えて稼働を始めたそうだ。


 そういえば、僕はバーナース伯爵の末の子であるクルシアに魔術を教える為、定期的に屋敷に通っているのだけれど、その時、長女であるリッチェラに呼び止められて、ウィルグルフに関して色々と質問を受けた。

 彼はどういった家柄の人間なのか。

 彼は一体何が好きで、何が嫌いなのか。

 婚約者は居るのか、等々。


 どうやらウィルグルフの物腰が、随分とリッチェラの気を惹いたらしい。

 実際、彼は伊達男で、イ・サルーテにいた頃も良くモテてていたし、遠い異国から来た事もあって、この国の男性とは雰囲気が違う。

 これまで見た事のないタイプのウィルグルフが、リッチェラには魅力的に見えたのだろう。

 だが質問の内容がとても貴族的というか、単なる憧れではなく、相手をしっかりと見定めようとしてる物で、ちょっと面白い。


 ウィルグルフは、名家であるキューチェ家の分家の一つである、サンテ家の……、確か三男だ。

 といっても、イ・サルーテ以外の人間からすると名家と言われてもピンと来ないだろうから、貴族に例えて説明をしようか。

 まずキューチェ家が、イ・サルーテという国の七分の一を有するので、立場的には高位貴族の諸侯のようなものだった。

 具体的には伯爵とか、侯爵とか、その辺りだろうか。

 尤もイ・サルーテには王がおらず、七つの名家が国を、ついでに言えば世界的な組織である錬金術師協会すらも動かしているので、余程の大国の高位貴族でもなければ、権威は名家が上回ると思う。


 そしてサンテ家は、キューチェ家を支える分家の一つなので、他の国でも男爵や子爵くらいの扱いはされる筈だ。

 但しウィルグルフはあくまで三男で、サンテ家を継ぐ立場ではないので、今の段階で伯爵令嬢であるリッチェラと釣り合うかといえば、……かなり微妙なところである。

 でも彼はイルミーラ国に仕えたし、取り立てられ方次第では、もしかしたらといったところか。


 後、これはまだリッチェラには言えないが、イルミーラ国に錬金術師協会の支部ができて、ウィルグルフがそこでも立場を得れば、十分に釣り合うようになる予定だった。

 バーナース伯爵は協力者なので、支部の話は知っている。

 リッチェラがウィルグルフを相手に望んだならば、その辺りも踏まえて是非の判断をするだろう。

 まぁその辺りは、僕が口を挟める話じゃないけれども。


 ただ口にはしないが、個人的な意見としては、リッチェラにはウィルグルフを勧めはしない。

 何故なら彼が、十歳も年下の少女を、女として見て、相手にするとはとても思えないから。

 当然、ウィルグルフがバーナース伯爵家に滞在してる時は、リッチェラに対して一人前の女性と接する振る舞いをした筈だが、それは礼儀の上での対応である。

 彼の好みは、あまり気兼ねなく遊べる大人の女性だ。

 ……いや、その好みは遊び相手に対するもので、伴侶とするなら全く別のタイプを好むのかもしれないけれど。


 この事を口に出さないのは、それが余計なお世話でしかないからだ。

 リッチェラが無邪気にウィルグルフに憧れる町娘なら、僕もそれとなく、或いはハッキリと忠告したと思う。

 憧れのままに勢いで動けば、ウィルグルフは大人だから困っても別にいいけれど、本人が傷付く事になりかねない。

 だけどリッチェラは貴族の令嬢としての立場を忘れず、冷静に相手を見定めようとしているから、最終的な判断は父親のバーナース伯爵に求める筈だ。

 もしそこでバーナース伯爵が是との判断を下したならば、受けるか受けないかはウィルグルフが決める事である。

 どっちにしても半端な対応はしないと思うし、そもそもできない。

 

 僕はウィルグルフが下した決断を、それがどちらであっても褒めず貶さず、単に気楽に笑ってやろう。

 誰かが大きく傷付いたりしないなら、他人の恋愛事なんて良い娯楽なのだ。

 彼らの関係がどうなるのか、忙しい日々の息抜きに、見守らせて貰えばいい。


 ウィルグルフは王都に行ってしまったけれど、時々はアウロタレアにやって来て、僕と森の調査結果に関して意見を交わす約束をしてる。

 錬金術師協会の支部がどうなるかの話し合いもあるし。

 その時はバーナース伯爵の屋敷にも立ち寄るだろうから、進展があるかもしれないし、ないかもしれない。

 森の調査班は動き出したばかりだから、ウィルグルフも暫くはイルミーラの各町を飛び回って、忙しくする事になるのだろうけれど。


 ……なんて風に思ってたから、僕はそれを知った時、本当に、心の底から驚いた。

 ペーロステーよりも更に南の、イルミーラでも南部に位置するサウシュマテで氾濫が起こり、町が森に飲まれたと、またそこにはウィルグルフが森の調査に訪れていたと、バーナース伯爵に聞かされて。

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