第76話


 しかしその話をすべて聞いてみれば、サウシュマテの氾濫にウィルグルフが巻き込まれて行方不明になったとか、そういう最悪の事態の話ではなかった。

 最初は最悪の流れを想像してしまったが、どうやら彼の身は無事らしい。


 なんでも、サウシュマテに到着して森の調査を始めたウィルグルフは、すぐに他の場所ではありえなかった魔力の高さに驚愕し、町の責任者に異常を報せたそうだ。

 でも森の魔力の調査、氾濫の予測は未だにハッキリとした結果が出てる研究じゃないから、魔力が高かったからといって即座に氾濫が起こるとは言い難い。

 実際にどの程度の魔力の強さになれば氾濫が起きるのか、それを調べる必要があると、ウィルグルフは念の為に一旦は森の調査を中断したものの、王都に追加の護衛を要請し、氾濫が起きるまでサウシュマテに留まり森の魔力を調べ続ける事に決めたという。


 けれどもその調査の中断が、ウィルグルフの命を救う。

 それから五日後、王都に要請した追加の護衛が来る前に、サウシュマテは森から氾濫した魔物に襲われた。

 幸いだったのは、サウシュマテの領主がウィルグルフの言葉に、念の為ではあるが氾濫に備えて兵士と物資を準備させていた事。

 不幸だったのは、森から溢れ出した魔物が、城壁で防ぎ切れない空飛ぶ魔物、魔鳥の群れだった事である。


 女面鳥身の魔物であるハーピーやー、鷲の上半身と獅子の下半身を持つグリフォンは、大樹海の中層に生きる強力な魔物だ。

 その翼の前には城壁は全く意味を成さず、町に入り込んでは兵も市民も区別なく殺して回る。

 家に籠ろうとも、グリフォンの膂力の前には普通の住居は簡単に穴が開いてしまう。

 ただ魔鳥の多くは夜は森に引き上げる為、サウシュマテの領主は夕暮れには市民に、夜中の間に町から避難させる事を決め、ウィルグルフもその中に加えたらしい。

 ウィルグルフの警告のお陰で物資を用意していたから、速やかに市民を避難させられると、彼に礼礼を言って。


 また王都でも、ウィルグルフが追加の護衛を要請していた為、サウシュマテの異常は伝わっていて、即応体制が整えられていて、実際に氾濫の報せが来た時には、これまでになく素早く軍が動き出せたという。

 ……だが、それでもサウシュマテが滅び、森に飲まれてしまったのは、イルミーラの国軍以上に速く、大樹海の深層の魔物が来てしまったから。


 巨鳥、ルフ。

 海を行く船すら、その爪で捕まえて持ち上げるとされる程に巨大な、怪鳥。

 深層の魔物は、その生息地が遠いからか、現れるにしても時間が掛かるのがこれまでの氾濫だったのだけれど……。

 ルフはその翼で圧倒的な速度でサウシュマテに辿り着き、氾濫が起きて三日目には、町を破壊し尽くしたらしい。

 森は、人が居なくなればすぐに広がる。

 イルミーラの国軍は、本当に素早くサウシュマテに辿り着いたのだけれど、彼らが目にしたのは、既に芽吹いた木々が伸び始めた、森に飲まれ始めた町の姿だったという。


 巨大なルフの破壊は大雑把で、生き残った兵士も多かったらしいが……、最後まで踏みとどまって戦った、サウシュマテの領主は討ち死にをしたそうだ。

 与えられた町と運命を共にするのが、イルミーラの貴族の務めだと言わんばかりに。



「……ウィルグルフ君は動き出して早々に、この地の洗礼を受けたのだよ。私達は覚悟の上で前線の町に暮らしているが、他所から来た彼には辛い出来事だったろうな」

 バーナース伯爵はそう言って、小さく溜息を吐く。

 もし仮に、このアウロタレアが大樹海の氾濫で滅ぶ事があったなら、バーナース伯爵もサウシュマテの領主と同じように、最後まで留まって討ち死にをするのだろう。

 そうして大樹海に抗う姿を示してこそ、森に飲まれた町を奪還した時には、以前の領主の子や孫、或いはもっと末の子孫が、再び貴族として町を統治を許される可能性が生まれるのだから。

 もちろん、その子や孫、子孫も、自ら率先して戦い続ける姿勢を取らねばならないけれども。


 サウシュマテの陥落は、領主の死に様と共にイルミーラ中に知れ渡り、皆がそれを悲しみ、大樹海への怒りを燃やす事になる。

 森に飲まれた町を奪還すべしとの声も、高らかに上がる筈だった。

 氾濫で町が滅んでも、人と大樹海の争いが終わる訳では決してない。


 ウィルグルフは……、そりゃあ、ショックを受けただろう。

 目の前で町が滅ぶ衝撃が、軽い訳がないのだ。

 特に僕らは、イ・サルーテで学んだ錬金術師は、他の人よりもできる事がずっと多いから、何でも自分達で解決できてしまうんじゃないかって、心のどこかで思ってる。

 だからこそ、町を救えなかった無力感は、強く彼を苛む。

 そう、僕らはとても傲慢だから。


 しかし幸いにして、今のウィルグルフにはその無力感に打ち勝つ方法が見えてる。

 それは今回の件で得た情報を纏め、より早く、より正確に氾濫を予測する事だ。

 サウシュマテが陥落したのは、森の魔力の異常に気付いたのがギリギリで、尚且つ結果に確信が持てなかったからだった。

 もしも十日程早く、確実な予測ができていたなら、王都からの援軍は、氾濫が起きる前にサウシュマテに到着していた筈。

 更に十日早ければ、より入念な準備をして溢れる魔物を待ち受けられる。

 つまりウィルグルフが氾濫に打ち勝つ道は、目の前に真っ直ぐに伸びていた。


「ウィルグルフは、心配ないですよ。彼はやるべき事はわかってます」

 僕がそう口にすれば、バーナース伯爵は少し表情を緩めて、頷く。

 今回の氾濫は、サウシュマテの陥落は不幸な出来事だが、それでも予測の有用性を大きく知らしめた。

 その責任者であるウィルグルフに掛かる期待は確実に大きくなるし、バーナース伯爵としてもやはり心配はしていたのだろう。


「あぁ、そうあって貰いたいな。彼が無事で、本当に良かった。……だが今は、こちらの方がより大きな問題だな」

 確かに、問題はまだ他にもある。

 いや、僕にとっては、今はそちらの方がより深刻な問題だ。


 陥落したサウシュマテに辿り着いたイルミーラ国軍は、応援に向かった先が滅んでたからって、そのまま何もせずに引き返した訳じゃない。

 国軍は、まだ生えたばかりの木々を切り倒し、焼き払い、即座にサウシュマテの奪還を試みた。

 町が完全に飲まれれば、奪還には多大な年月が掛かるだろう。

 だが木々が芽生え始めたばかりのタイミングならば、新たな森の広がりを阻止する事は十分に可能だ。


 森の広がりを阻止しても、サウシュマテが陥落した事実は変わらない。

 しかし森さえなければ、すぐさま避難した人々が戻って、或いは足りなくなった人口を補う為に他所の町から人が移り住んで、すぐさま復興を開始できる。

 木々を殺し、人の営みで塗り潰すように再度征服をして。


 けれどもその為に最も大きな障害となるのが、町を破壊した後も近くに留まっていた巨鳥、ルフ。

 国軍は、というよりもそれに同行していたイルミーラでも名高い四英傑の一人、ハイシンクがルフと戦闘に入り、怪我を負いつつもこれを追い払ったらしい。

 ハイシンクは、王都で年に一度行われる大武闘祭の、素手部門で何年も連続で優勝し続けている覇者だ。

 一体どうやれば、素手で戦う闘士が大樹海の深層から来る、巨大で強力な魔物と渡り合えるのか、僕にはさっぱりわからないが……、でも問題はここからで、サウシュマテを追い払われたルフは、大樹海の深層には帰らずに、イルミーラの各地の上空を飛んでいる姿が、度々目撃されているという。


 氾濫において、稀に現れる大樹海の深層の魔物は、イルミーラでも四英傑と呼ばれる人々が相対するしか対抗手段のない、最も大きな脅威である。

 これがイルミーラの各町の上空を飛んでいる、つまり何時でも町を襲える状況は、非常に拙い。

 先程も述べた通り、大樹海の深層の魔物は、四英傑が相対するより他にないのに、イルミーラのどこがルフに襲われてもおかしくないのだ。

 四英傑は当然ながら分散して配置せざるを得ないし、……他にもルフと戦える可能性のある戦力には、町の防衛に協力を求める要請が出されるという話だった。


 例えば、ルフと同じ大樹海の深層の魔物、森の巨人を倒した事のある、僕のように。

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