第21話


 だが確かに森蜂の蜜の採取は困難だが、決して不可能と言う訳でもない。

 と言うより完全に不可能だったら、そもそも味も効能も、その価値自体が知られていないだろう。

 例えば超一流の斥候技術の持ち主ならば、身体に泥を塗って自らの匂いを誤魔化せば、気配を殺して魔蟲達のコロニーを抜ける事も出来る。

 或いは多彩な術を操る優れた魔術師ならば、魔蟲達の無力化も可能だ。


 または冒険者達が大勢集まれば、犠牲者を出しながらも魔蟲を倒し尽くして巣に到達する事だって能う筈。

 それで労力と被害に見合った成果が得られるかどうかは、全く別の話だが。


 僕は別段に超一流の斥候技術の持ち主だったりはしないが、それでも隠者の外套の効果を発揮させれば、時間を掛けてゆっくりと魔蟲のコロニーの突破は可能だ。

 その位に、僕が開発し、愛用している隠者の外套の性能は高い。

 もし仮にこの隠者の外套を本職の斥候が使ったならば、それはもう誰にも発見できないだろう。

 要塞や王宮であっても容易く忍び込めるだろうし、そうなると軍の司令官であっても、王であっても、暗殺し放題である。

 錬金術師協会から自らが使う物以外の作製を禁止と言い渡されたのも、まぁ仕方のない話だった。



 ……さて、アウロタレアの町から森に潜って、およそ二日と半日位を歩けば、目的の場所は見えて来る。

 尤もこれは、僕が単身かつ身を隠す錬金アイテムを持ち、更にこの森を歩く事に慣れているからこそ可能な速度で、パーティで活動する普通の冒険者は、移動にこの倍近い時間が掛かるらしい。

 森の深さで言うならば、外層を抜けて、内層に少し入り込んだ辺り。

 そこには半径数kmの、森の広さから考えれば極々僅かな範囲だが、アウロタレアの冒険者達が魔蟲区と呼んで区別し、恐れる場所が存在している。


 勿論、もともと森は、それも内層であれば危険に満ちていて当たり前の場所だ。

 けれども魔蟲区の危険性は最内層以上とも言われ、内層で活動が出来る様になった一人前と評される冒険者が、油断から迷い込んで帰って来なくなってしまうケースは、決して少なくないと言う。


 でも多くの冒険者が恐れて避ける場所だからこそ、魔蟲に対処が可能な一部の例外にとっては、魔蟲区は非常に稼げる場所である。

 例え森蜂の巣には辿り着けず、蜜を得られなかったとしても、周辺の魔蟲の素材はどれも需要が高い。

 僕も多用する素材であるヒュージスパイダーの糸は、粘着性のトラップにも使えれば、加工の仕方でサラリとした肌触りの丈夫な繊維に。

 そしてその繊維を編めば、大陸中の貴族が求める雲絹と呼ばれる最高級の布地になる。

 因みに蜘蛛絹でなく雲絹なのは、その布がまるで空に浮かぶ雲の様に軽い事と、後はイメージをより良くする為にそう呼ばれるのだろう。


 他にも星蟲と呼ばれる巨大なテントウムシは、軽くて頑丈な鞘羽が革鎧や盾の補強に使われる高級素材で、迷彩蟷螂の鎌も、特殊な刀剣の仕上げに砥石として使われるらしい。

 当然、ここに錬金術が絡めば魔蟲素材の利用法はもっと増える。


 だから魔蟲区では他の採取者と出会う場合も、実は割とあったりするのだけれども、今日は誰も居ないらしい。

 魔蟲区への進入路に印がない事を確認してから、僕は取り出した緑の旗を地に突き立てて先に進む。

 この旗は、魔蟲区内で採取を行っている者が居ると、後から来るかも知れない採取者に伝える為の目印だ。

 旗の色が緑なら、魔蟲区内でこっそりと採取を行っていると報せ、旗の色が紫なら、魔蟲区内で狩りをしていると後続の採取者に知らせる。


 魔蟲区内で誰かが戦えば、魔蟲達は殺気立ち、その活動を活発化してしまう。

 故に誰かが緑の旗を立てていたなら、後続はそれを発見してから数時間は、魔蟲区内で狩りをせずに待機するのが暗黙の了解だ。

 さもなくば、先に魔蟲区内に入った誰かが、殺気立った蟲に囲まれてしまうかも知れないから。

 また誰かが紫の旗を立てていたなら、自殺目的でないのなら、魔蟲区内へ忍び込むのはもう暫く待った方が良い。



 少しずつ蜜の匂いが濃くなる森の中を、僕は姿勢を低くしてそろりそろりとまるで亀の歩みの様にゆっくりと進む。

 この時最も重要なのは、足が地に触れた時に発生する振動を消す事だ。

 実は森の中では、多少の物音は風や、その風が揺らした葉鳴りの音に紛れて消える。

 流石に金属同士が擦れ合う様な物音は厳しいが、その手の音は金属鎧を着込んだりしない限りは鳴りやしない。


 但し足音、と言うよりも地に伝わる振動だけは、地中に潜む魔蟲達に感知されてしまう恐れがあった。

 彼等は獲物が上を通るのをじっと待ち構え、振動でそれを敏感に感知して、地中から飛び出し奇襲攻撃を加えて来る。

 故に足は殆ど上げずに、けれども地を擦らず、体重をゆっくり移動させて、一歩ずつぬるりと歩く。


 早く危険地帯での作業を終わらせてしまいたいと、気持ちは急く。

 少しでも刺激すれば周囲の全てが敵に回ると言う緊張感は、何度味わっても慣れる事がない。

 でも急いた気持ちに突き動かされて移動が雑になってしまえば、それこそ本当に魔蟲達に襲われてしまう。


 木々の間に張られたジャイアントスパイダーの巣を、糸に触れない様に身を低く屈めて潜り抜ける。

 ジャイアントスパイダーの糸腺は幾らあっても困らない素材だけれど、今は森蜂の蜜以外に浮気をしてる余裕はなかった。


 視界の隅に落ちてる白い物は、魔蟲に喰い尽くされた何らかの生き物の骨。

 恐らくは魔物か獣の物だろう。

 人間の骨であれば、近くに服か、武器や防具が落ちている筈。

 何れにしても、それが何であるかなんて確認に行く余裕がある訳ではなく、僕は一歩一歩確実に前に進み続けて、漸くそこに辿り着く。



 何千、何万の森蜂達が、森中から集めて来た蜜は溢れかえり、地に滴って巣を支える大樹の糧となる。

 魔力を帯びた森蜂の蜜を吸い続けた大樹は少しずつ変質し、木の皮ですら柔らかく甘味をたっぷりと蓄えた蜜樹と化す。

 その蜜樹の一部を幼虫が喰らって成長し、また同時に巣の規模を広げて行く。

 しかし蜜樹も食われる以上に、森蜂に与えられる蜜の滋養で成長し、決して枯れる事はない。


 辺りには脳が痺れたのかと錯覚してしまう程に、甘い匂いが満ちていた。

 ブブブッと羽音を鳴らして、無数の森蜂が辺りを舞ってる。

 もうここに至っては、人は二本の足で歩く事も許されない。

 地に伏せ、飛び回る森蜂達にぶつからない様にしながら、這って前に進むのみ。


 そして蜜樹の下、森蜂の巣から蜜が滴り落ちて来るそこに辿り着けば、僕はポシェットから空の瓶を取り出して、落ちて来る蜜をそっと受け止める。

 そう、森蜂の蜜の採取とは、こうして溢れた蜜を分けて貰う事だ。

 勿論、巣を破壊すれば大量の蜜を得られるだろう。

 だけど森蜂の巣を失えば、それを中心とした魔蟲のコロニーは消滅する。

 ……否、単に消滅するだけでなく、散らばり、場所を移して、予測の出来ない危険地帯が森のあちらこちらに広がってしまう。


 更に森蜂が新しい巣を作り、蜜樹を育て、同じ様に蜜が採取できる環境を構築するには、長い時間が必要になる。

 つまり欲に駆られて森蜂の巣を荒らす事は、多くの人に多大な被害を与える行為だ。

 仮に一時的に大量の蜜を得、多くの財を築いたとしても、魔蟲のコロニーに出入りが可能な一流どころを全て敵に回せば、まぁ長生きは出来ないだろう。


 その場で動かずじっと待ち、瓶を蜜が満たしたら、厳重に封をしてポシェットに戻す。

 当然、動きはゆるゆると、森蜂達の注意を惹かぬ様に。

 瓶を交換し、再び蜜が満ちるのを待つ。

 二本、三本と瓶に一杯の蜜を得たら、僕はやはり来た時と同じ様に地を這ってその場を離れる。

 立ち上がれるのは巣からある程度離れて、森蜂達が見えなくなってからだ。


 零れ落ちた蜜なのだから、幾らでも採取可能に思うかも知れないが、採り過ぎると蜜樹が得る蜜が減ったと察するのか、森蜂達の索敵活動が活発になるのだ。

 つまりは、そう、僕は森蜂に蜜を分けて貰う側なのだから、あまり欲張るのは良い事じゃない。

 僕は這わねば蜜樹に近付けないのは、蜜を得る許しを請う為だとすら思う。


 得る物は得たが、決して帰りも気を抜かず、ゆっくり、ゆっくりと、僕は一歩ずつ魔蟲のコロニーを出口に向かって歩く。

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