第6話


 隠者の外套のお陰で多くの魔物をやり過ごせる僕だが、それでも全ての魔物から完全に逃げ隠れ出来る訳じゃなかった。

 全体から見れば一部ではあるが、視覚や嗅覚に頼らず敵を察知するタイプの、索敵能力に優れた魔物には、隠者の外套だけでは隠れ切れない。

 故に森の中で眠らざる得ない時はその手の魔物から奇襲を受けぬ様に、魔物が嫌う匂いを発する香を焚き、木を背にしながら薄っすらと浅い睡眠を取る。

 けれども知恵の回る魔物の中には、自らが嫌う匂いを発する場所にこそ、休息中の人間がいると理解している奴もいるのだ。


 夜中、僕がその気配を感じて目を開くとほぼ同時に、魔物除けの香を焚いていた香炉が、投石によってガシャンと割れる。

 幸い、香炉を少し離れた場所に置いて香を焚いていたから、その投石は僕自身には影響しない。

 咄嗟に周囲を見回せば、樹上に幾つもの光る眼と動く影が見えた。


 あぁ、恐らくは猛轟猿だろう。

 猛轟猿は体長が二m程の猿の魔物だが、恐ろしく身軽で枝から枝へと樹上を跳んで移動する。

 腕力が強くて人間の四肢位は簡単に引き千切るし、知能も高く、執念深い。

 一度敵対すれば、どこまでも執念深く追って来る。

 一匹や二匹なら兎も角、群れに出くわした場合、森の中で出会う魔物としてはTOPクラスに厄介な部類だろう。


 なので僕は、眠りを邪魔されて、更に香炉まで破壊されて腹が立つ気持ちはあるけれど、気配を殺してじっと動かない。

 先程の投石が香炉を狙ったのは、隠者の外套を着込んだ僕を見付けられなかったからである。

 そうでなければ、匂いへの嫌悪感も我慢して、この場に飛び込んで直接僕を狙った筈。

 猛轟猿はその位に賢い魔物だ。


 少しでも動けば、猛轟猿の思うつぼだろう。

 彼等は僕を見付けられなかったからこそ、香炉を破壊して動揺を誘おうとした。

 まぁ勿論、純粋に魔物除けの香の匂いが嫌いだった事もあるだろうけれども。


 猛轟猿はまだ、僕がこの場に居るとの確証を得ていない。

 だから彼等の執念深さは、まだ発揮されはしない筈。

 僕は静かにゆっくり手を動かしてポシェットの、マジックバッグの中身を漁って万一発見された時に備えながら、猛轟猿が諦めるのをじっと待つ。


 もし戦えば、猛轟猿の群れを殲滅する事は、簡単とまでは言わないが十分に能うだろう。

 けれども今回の目的は、魔物を退治する事じゃない。

 猛轟猿の骨は、偽魔鉄と言う名の魔法合金を作るのに適した素材だ。

 少しばかり惜しいと思う気持ちがないではないが、中層を目指してる今は、この程度の相手に構う時間と体力が惜しいから。


 ……そして夜が明け朝になる頃には、猛轟猿達も諦めたのか、その気配は消えていた。

 僕は立ち上がって尻に付いた土を払うと、再び中層を目指して歩き出す。



 結局僕が中層へと辿り着いたのは、最初の予定通りに五日後の事。

 幾度か魔物とのニアミスはあったが、大きなトラブルはなく必要最小限の時間で辿り着けた。


 因みに大樹海の浅層と中層の見分けは簡単だ。

 まず空気の濃さが全く違うし、潜む生き物の気配の強さも違う。

 ついでに一本一本の木々のサイズも、中層に来ると一回り以上大きい。


 さてしかし、本当に大変なのはこれからだ。

 ここから先はイルミーラ国でも一流、超一流と呼ばれる極一部の人間しか踏み込めない魔境である。

 僕は幾度も中層に来ているけれど、それでも何が起きるかはわからないから、素早く目的を果たしてしまいたかった。

 故に僕はまずは手近な木をよじ登り、枝の上でポシェットから取り出した笛をピロピロと吹き鳴らす。


 いや、これは別に遊んでる訳じゃない。

 この笛の音は大樹海に広く生息する鳥の一種、尾美黄鳥の鳴き声を再現した物なのだ。


 尾美黄鳥はその名の通り、美しい黄色の尾羽を持つ鳥で、好奇心が非常に強い。

 その結果として大樹海の生き物に良く捕食されてしまうのだが、尾美黄鳥は同種の間に精神的な繋がりを持って情報共有しているとされ、仲間が犠牲になる事で知り得た危険には近付かない。

 そんな知能の高い鳥でもあった。

 当然ながら、彼等はその身に魔力を秘めた魔鳥、つまりは魔物の一種である。


 でも全ての魔物が人に対して敵対的な訳では決してない。

 僕はこれまで幾度となく大樹海の浅層、中層へと通い、尾美黄鳥に出会って来た。

 そして一度も彼等を傷付けようとはせず、寧ろ友好的に接し続けた結果、僕、ルービット・キューチェと言う個人は尾美黄鳥達に友人として認められていた。


 鳴き声に惹かれ、二羽、三羽とやって来た尾美黄鳥が僕の近くの枝に留まる。

 ピロピロと返事をする様に鳴く彼等に、僕は頷いてからポシェットから一粒の飴玉を取り出し、口に含む。

 その途端に聞こえて来る尾美黄鳥の鳴き声は、同時に人の喋る言葉として僕の脳裏に響いた。

『やぁやぁ、地を歩く兄弟。今日はどうしたんだい?』

『こんな所まで来たら危ない危ない危ないヨ』

『ばーか、彼は大人しいけど強いんだぜ。前に狼だってぺしゃんこにしてたさ』

 ……なんて風に実にやかましく。


 勿論、笛も飴玉も、錬金術で作ったアイテムだ。

 笛は七つ音の魔笛と言う名のアイテムで、指を動かして演奏せずとも息を吹き込むだけで思った通りの音が出る。

 飴玉はさえずりの蜜玉と言って、特定の鳥類との意思疎通を可能とするアイテムだった。

 なぜ特定の鳥類のみなのかと言えば、鳥の種類が大きく変われば、また微調整が必要となるから。

 但し当たり前の話だが、話をする鳥にある程度の知能がなければ、意思疎通は難しい。

 因みに同様の品で、獣や植物との会話を可能する物もある。


「こんにちは、大樹海の賢者達。今日は一つ教えて欲しい事があるんだ。勿論、教えてくれたらお礼に美味しい物をあげるよ」

 そう、僕がわざわざ錬金アイテムを使ってまで尾美黄鳥と話す理由は、彼等から大樹海の情報を得る為だった。

 大樹海に広く生息し、同種と情報を共有しているとされる尾美黄鳥は、最高の情報屋と言っても決して過言ではない。

 しかも情報の対価は食べ物の類で十分に喜んでくれるのだ。


「この辺りで、枯れてしまった木を見なかった?」

 僕は尾美黄鳥達に、そう問う。

 先に対価を見せない、渡さないのは、彼等が食べ物に夢中になって情報提供を忘れてしまわない様に。

 尾美黄鳥はとても便利な情報屋だけれど、その扱い方には独特のコツがある。

 例えば、質問は彼等が理解し易い言葉を用いて行う事とか。


『どうだっけ? あったっけ?』

『あったよ。あるある。あっちにずっと進んだら、枯れ木あるよ』

 ピーピーと、鳴いて枯れ木のありかを教えてくれる二羽の尾美黄鳥。

 僕が探す古木喰いの蜥蜴は、木に噛み付いて毒を注ぎ込み、それを枯らす。

 その後は一ヶ月程かけて枯れた木をゆっくりと喰らい、それからまた別の木へと移動する。

 だから古木喰いの蜥蜴を見付けるならば、未だ食われてる最中の枯れた木を探すしかない。


『でもでも、大きなアイツ。ウネウネの蛇の縄張りだ! ダメだよ。食べられちゃう!』

 しかし最後の一羽は心配げに僕に対して警告を発した。


 ……成る程。

 どうやら目的の枯れ木の付近は、大蛇の縄張りになってるらしい。

 尾美黄鳥は僕がある程度の魔物なら対処できると知って、それでもこれ程に心配していると言う事は、その大蛇はかなりの大物なのだろう。

 非常に有用な情報だ。

 枯れ木の位置は勿論、大蛇の存在が予めわかった事は有り難い。

 蛇は奇襲が得意だし、何よりも隠者の外套ではやり過ごせない可能性がある。

 その存在を知らなかったら、不意を打たれて不覚を取る可能性もあっただろう。


 僕はポシェットの中から白パンを取り出し、三つに割いて尾美黄鳥達に差し出す。

 彼等は大喜びで白パンを啄み、

『凄い! 白い! ふわふわ!』

『良い匂い!』

『ありがとう!』

 大騒ぎをしながらそれを平らげていく。

 その姿は実に愛らしく、尾美黄鳥達がパンくず一つ残さずに全てを胃に収めるまで、僕は彼等を見守った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る