第5話


 エイローヒの神殿を出た僕は、まずは準備の為に自分のアトリエへと戻る。

 孤児院の幼い少女、サーシャの罹った肺根病は、恐ろしい病ではあるけれど、今日や明日にも死んでしまうと言った類の物ではない。

 時間はまだまだたっぷりあるのだと自分に言い聞かせ、僕は逸る気持ちを抑え込む。

 そもそも今回の採取の目的である、木枯らしの香を作成する為の、古木喰いの蜥蜴の毒は、そう簡単に手に入る素材ではなかった。


 イルミーラ国が森と呼び、開拓出来ると定めた範囲は、大樹海の浅層に当たる部分だ。

 つまりは大樹海としては育っている最中の、まだ未成熟な場所であると言えるだろう。

 故に大樹海で木々を間引く役割を担う古木喰いの蜥蜴は、浅層部分である森ではまず見つからない。

 だから古木喰いの蜥蜴の毒を欲するならば、森を越えて中層へ、イルミーラ国が開拓は不可能だと諦めた、本当の意味での大樹海に踏み入る必要がある。


 中層へと至るには順調に急げても片道が四、五日は必要だし、下手にトラブルに巻き込まれれば一週間以上かかる場合もあった。

 すると当然、それだけの量の食べ物が必要になる。

 勿論、森の中でも食材は得られるのだけれど、それを探す方に時間を食われる様では本末転倒だろう。

 それに流石の僕も一週間や二週間と言った期間を、殆ど寝ずに過ごす事は出来ないから、森の中でもある程度安全を確保して休める手段、道具が必要だ。


 また店を長く閉める場合、急な怪我人が出た時等の為に、歓楽街の自警団に纏まった数のポーションを卸しておく必要もある。

 そして何よりも、同居人であるヴィールには事情をちゃんと説明しなければならないし、培養槽の霊薬も新しい物に変えておいた方が良い。

 中層まで採取に出向くと言うのは大事だが、定住してそれなりに身の重くなってしまった僕にとっては、その為の準備すらもが大事になってしまう。

 でもその身の重さは僕自身が望んで手に入れた物で、それを維持する為の手間は、多少煩わしく感じる時もあるけれど、不快では決してなかった。


 そして半日ほど掛けて全ての準備を終わらせた僕は、荷を詰め込んだポシェット型のマジックバックを腰に巻き、

「じゃあヴィール、行って来るよ」

 培養槽に浮かぶ僕のホムンクルスにそう声かける。

 約二週間の遠出は、ヴィールには寂しく、退屈な思いをさせるだろう。

 しかしヴィールは、僕が遠出をする理由に理解を示し、まるで励ます様に笑ってくれた。


 故に僕は憂いなくアトリエを後にし、アウロタレアの町を出て、危険に満ちた森へと踏み込む。



 ……さて、一言で森と呼んではいるが、実は森も深度によって危険度が違う。

 確かに森は大樹海の浅層部分にあたるのだが、その浅層部分の中でも更に細かい四つの区分があった。


 一番危険度が低いのは、当然外側である最外層部。

 ここは幾度も人の手が入って木々が切り倒され、それでも大樹海の木々の再生能力に因って未だに森である部分。

 人の手が入っているが故にその環境は過酷とは程遠く、魔物も然程出現しないし、出くわしたとしても大して手強い相手ではない。

 精々がもう少し森の内側からやって来た、小鬼と呼ばれる身長百二十cm程の人型魔物が数匹位で、寧ろ魔物でも何でもない狼の群れの方がずっと脅威的だろう。


 なので、そう、小鬼や狼に対応できる程度の戦闘力を持つ事が、森で活動する冒険者の最低ラインとなる。

 それを満たさぬ初心者冒険者が最外層部に薬草摘みに出向いて、そのまま行方不明になると言うのも、まぁ決して珍しい話じゃない。


 最外層からもう少し森の内側に入り込めば、次は外層部に踏み込む。

 言葉の上では最外層も外層も大差ないように思えるかも知れないが、環境は大きく変化する。

 鹿や猪なんかの獣もいるけれど、魔物の数が最外層に比べてずっと多い。

 最外層ではあまり出会わなかった小鬼も、外層では群れでうろうろしているし、魔蟲や植物タイプの魔物も姿を見せ出す。


 その次は内層。

 魔物の素材を狙って森で戦う冒険者は、この内層を活動の中心にする事が多い。

 わかりやすく言えば、内層で戦えるならイルミーラ国の冒険者としては一人前だ。


 内層では、獣の姿を見る事はあまりない。

 大型の猪や熊等が居ない訳ではないのだけれど、同時にそれを容易く捕食する魔物も増えるから。

 この内層で活動出来るかどうかの基準とされるのが、中鬼と呼ばれる身長が二m程の、隆々とした筋肉を誇る人型の魔物。

 中鬼も小鬼と同じく群れで行動し、人型であるせいか、それなりに知恵も回る。

 そんな中鬼が十か二十集まってる群れに数人のチームで勝利できるなら、内層で活動するに戦闘力の面では不足ないだろう。


 そして最後は最内層と呼ばれる地域。

 ここは大樹海の中層で縄張り争いに敗れた個体が流れて来る場所である。

 要するに、まだ森と呼ばれる範囲内にありながら、大樹海の中層に生きる魔物と出くわす可能性がある危険地帯だった。

 故に最内層では、どの程度の実力があれば戦闘力が足りるかなんて基準は存在しない。

 何しろ大樹海の中からどんな魔物が流れて来るのか、ハッキリとした情報は未だに揃っていないのだから。


 ただ比較的最内層で良く見かける、大樹海の中層から流れて来た魔物としては、大鬼と呼ばれる身長が三メートルを越える人型魔物の名が上がる。

 因みに小鬼、中鬼、大鬼等の人型魔物を指して魔人と言う呼び方もあるのだけれど、多くの人は小鬼や中鬼を人だと認識したくない為、その呼び方を嫌う事も多い。

 要するに小鬼、中鬼、大鬼は、中途半端に人に似た姿をしているだけに、人から忌み嫌われる魔物だった。

 奴等は人種の女の腹を借りて交配する事があるなんて噂も立つくらいには。


 まぁその噂は一部真実であるし、僕としても碌な素材が取れない魔物である小鬼や中鬼は大嫌いだ。

 それから僕の前世の記憶では、小鬼はゴブリン、中鬼はオーク、大鬼はオーガと呼ばれるモンスターに酷似していた。


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