第4話


 昔、貴族の間で、新たな領地に転封されて一から開発を行わねばならなくなった時、一人だけ人材を得られるならばどの様な者を選ぶかとの言葉遊びが流行ったそうだ。

 勿論その答えは十人十色で、己の意思を完全に汲んでくれる参謀だったり、領民を死なせぬ為の医師、町を設計させる建築家や、危険から守ってくれる腕の立つ騎士等と、貴族達は自分なりの考えをぶつけ合って遊んだとされる。

 中には剣を一本与えてくれれば、全ての困難は自らの手で切り開くと豪語した者も居たらしい。


 しかしその言葉遊びの中で、皆がそれは確かにそうだと納得する考えを述べた貴族が居たと言う。

 その彼が出した答えとは、腕の良い錬金術師を一人連れて行く事。

 何故なら腕の良い錬金術師は、幅広い知識と技術を保有しているから。


 例えば錬金術師は、人の身体に関する知識を持ち、それを癒す事が出来る。

 例えば錬金術師は、採取の為に危険な場所へと赴き、自分の身を守る戦闘能力を持つ。

 例えば錬金術師は、魔鉄や真銀等の魔力を帯びた魔法金属や、偽魔鉄や王金等の魔法合金を加工する為、簡単な鍛冶仕事ならこなせる技術を持っていた。


 ……と言う風に、腕の良い錬金術師ならば一人で何役もこなせると考えられたのだ。

 まぁ実際には誰だって得手不得手はあるから、ポーションの錬金は出来ても戦闘は不得手だとか、細工仕事や鍛冶師事は道具に触れた事もないなんて錬金術師が大半だろう。

 けれども『腕の良い』との枕詞が付けられる位の実力がある錬金術師なら、確かにある程度は何事でもこなせる、器用な者が多かった。


 僕もまた、何でも出来るとは流石に言えないまでも、幼少の頃より錬金術を学び、更に家を出て各地を旅した事もあって、それなりに色々とこなせる方だ。


「はい、口を開けて舌出して、べーってしてね。べーって」

 汚れを払う専用の衣服、白衣の様な物を身に纏った僕は、んがっと大きな口を開けた幼い少女の喉を覗き込む。

 大きなヘラで舌を押さえ付けると、少女は苦しそうにもがくが、それでも必死に僕の言いつけを守ろうとジッとしている。


 ここはアウロタレアの町はずれにある孤児院を兼ねた小さな神殿だ。

 祀られている神は、慈愛を司り、女性と子供を庇護する女神、エイローヒ。

 エイローヒの神殿は、夫に暴力等を振われて逃げ出した女性を匿ったり、親を失った子供を預かり育てる場所として知られている。


 この国、イルミーラでは、孤児は決して少なくない。

 親である冒険者や樵が魔物に襲われて命を落とす事は珍しくないし、或いは避妊に失敗し、堕胎も厭うた娼婦が出産後にこっそり捨てる事も、残念ながらある。


 エイローヒの神殿はそんな子供達を集め、食事を与えて育て、簡単な教育も施して十三~十五歳になる頃には独り立ちが出来る様に支援をしているが、その経営は寄付金で行われる為、豊かであるとは決して言えない。

 当然ながら真っ当な医者に子供達を診て貰うなんて余力は、この神殿にはなかった。

 故に医者ではないけれど、多少は人体の知識を持ってる僕が、所有する田畑の手入れをしてもらう事と引き換えに、この神殿で育てられている子供達の病に関する相談を受けているのだ。



「ん、はい、いいよ。頑張ったね。偉かったよ」

 喉を覗き終えた僕は、その内心を押し隠し、幼い少女に笑いかける。

 褒められた少女は嬉しそうに、照れ臭そうに、でもちゃんと僕にお礼を言ってから、隣の部屋へと駆けて行く。

 本当に良い子だ。

 それだけにこの結果は、僕の気持ちを暗くさせた。


「……あの、あの子は、サーシャはどうでしたか?」

 おずおずと言った風に問い掛ける女司祭のレーダ。

 或いは彼女も、その想定はしていたのかも知れない。

 でなければ今日、可能ならば急いでサーシャを診て欲しいだなんて言わないだろうし。


 だから僕は、本当に心苦しかったけれど、その言葉を言わざるを得なかった。

「ダメかな……。多分、……いや、間違いなく肺根病だよ。完全に肺に根が定着してるから、今はまだ時折咳き込む位だろうけれど、そのうち呼吸が出来なくなるね」

 それはとても、残酷で非情な宣告だけれど。


 肺根病と言うのは、この国、イルミーラ特有の風土病である。

 異常な速度で広がろうとする大樹海の種が呼吸と共に肺に入り、根付いてしまう病だ。

 初期症状は発熱と咳。

 身体が大樹海の種を拒絶し、熱で殺して、追い出そうと咳込む。


 この国で育ち、大人になった人間の肺は抵抗力を得ている為、大樹海の種が肺に根付く事はまずない。

 しかし他所から移住して来た人間や、抵抗力の弱い子供に関しては、稀に大樹海の種が肺を浸食する事があった。


「あぁっ……、そんな……」

 レーダの表情が悲痛に歪む。

 肺根病は死に至る病だ。

 それも呼吸の為の器官が浸食されるから、この病に掛かれば非常に苦しんで死ぬ事になるだろう。


 せめて発見がもう少し早ければ、肉体の抵抗力を増す薬を使い、根が肺に定着する可能性を引き下げられたが……、既にその段階は過ぎてしまってる。

 そして一度定着してしまった根は、肺から引き剥がす事がとても難しいのだ。

 強引な手段でそれを行えば、肺は著しく傷付く。

 だからと言って肺を回復しようとポーションや、回復魔術の類を使用すれば、今度は逆に根の成長を助けてしまう。


 故に完全に定着してしまった肺根病を、安全に治す手段はただ一つ。

「助ける為には、木枯らしの香が必要だよ。僕の店に、少しは在庫もあるけれど……」

 木々を枯らし、枯れた木を喰らう魔物、古木喰いの蜥蜴の毒から加工出来る薬を何度も吸わせるしかなかった。

 古木喰いの蜥蜴の毒は木だけを枯らす毒であり、動物や人間には特に影響を及ぼさない。

 恐らくだが、古木喰いの蜥蜴は成長の早い大樹海の木々が、密集し過ぎない様に間引く役割を担うのだろうと推測されてる。


 但し当たり前の話だが、間引き役が大勢いれば木々が減り過ぎてしまう為、古木喰いの蜥蜴は数が少なく、発見は非常に困難だ。

 当然ながらその毒から加工される薬、木枯らしの香は非常に値の張る薬であった。

 決して豊かとは言えないこのエイローヒの神殿が、そう簡単に捻出できる額ではない。



 勿論、薬を生産する側である僕ならば、その用意は可能だ。

 しかし僕は、完全とは言えない知識で身体を診る事は兎も角、錬金術師としてはプロである。

 対価を得ずの人助けは、安易にすべきではない。

 例え助ける事は容易くとも、それをしてしまえば際限なく助け続けなくてはなくなるから。


 あの子は善意で助けて貰った。

 ならうちの子も善意で助けて欲しい。

 同じ病に苦しむのだから。


 なら私だって助けて欲しい。

 別の病に苦しんでるが、苦しいのは同じなのだ。


 それなら命を懸けてる冒険者だって、回復のポーションを貰う権利はあるだろう。

 死に近いのは、病人よりも冒険者なのだから……と。


 目の前の誰かを救う事は容易く思えても、それでも救いの手は無限に伸ばせる訳じゃない。

 ここで行う善意の人助けは、他にポーションを扱う店にとっては営業妨害に他ならない。

 だから余程の理由がなければ、錬金術師は対価を得ずに安易な人助けはしないのだ。


 だけれども、人の命がこの国よりもずっと重く扱われた場所で生きた、僕の前世の記憶は叫ぶ。

 あんなに幼い少女の命が、それも無残に苦しむ形で失われるのは、その余程の理由にあたらないのかと。


 僕は大きく、大きく、息を吐く。

 仕方ない。

 見捨てられる筈がない。

 この手でホムンクルスを、新しい命を完成させようとしてる僕が顔見知りの、手を伸ばせば救える無垢な命を取りこぼすのは、少しも胸を張れる事じゃない。

 幼い少女を見捨てた話なんて、とてもヴィールに出来やしないだろうから。


「レーダさん、僕、明日から暫く森に採取に出かけるんですけど、何か面白い物が採取出来たらお裾分け……、じゃないや。エイローヒ様に寄付しますから、期待してて下さい」

 だから僕は考えて、その言葉を捻り出す。

 サーシャの為に薬を譲るんじゃない。

 採取に行った僕が偶然、木枯らしの香の素材を得て、敬虔にも神殿に寄付をするのだ。

 寄付で成り立つエイローヒ神殿の、その寄付の出所を探る様な不心得者は、まず居ない筈。


 素材を冒険者から買い取るなら兎も角、採取した物であれば元手は掛からなかった。

 得た成果の幾らかを神に捧げると言う行為は、熱心な信者であれば決してありえない事ではない。

 例えば、そう、狩猟を司る神の信者なんかは、狩った獲物を日常的に神に捧げているのだから。



 僕の言葉をレーダは正しく理解したのだろう。

 はっ、と上げた顔には希望の色が見え、目尻には昂った感情による涙が滲む。

「えぇっ、えぇっ、その敬虔な信心には、エイローヒ様も大いにお喜びになるでしょう。貴方の道行きにエイローヒ様のご加護があらん事を。……ルービットさん、感謝します」

 僕は、少なくとも今生だけで考えれば年上になる女性の涙が見てられなくて、その言葉を背にエイローヒの神殿を後にする。


 ……まぁ確かに、女性と子供を庇護するエイローヒならば、今回ばかりはその庇護対象外の僕にも加護をくれるかも知れない。

 尤も僕が信仰を捧げる相手がいるとすれば、それは僕をこの世界に招き、錬金術と出会わせてくれた誰かだけなのだけれども。



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