第7話
魔力を秘めた生き物である魔物には理解し難い不可思議な生態の物も少なからず存在するが、それでも魔魚や魔鳥と言った分類がある事からもわかる通り、多くは姿形からある程度の能力を推察が可能だ。
例えば魔魚の多くは淡水か海水かは兎も角として水を泳ぐし、魔鳥の多くは空を飛ぶ。
勿論中には水陸のどちらでも活動出来る魔魚や、空を飛ぶより地を駆ける方が得意な魔鳥も存在するかも知れない。
しかしその場合でも、例えば陸で活動する為にヒレではなく四肢が発達してたり、地を駆ける為に羽が小さく足が大きい等の特徴は、姿形から見て取れるだろう。
では蛇と言う生き物はどうだろうか。
蛇の特徴は、鱗の生えた細長い身体をしており、地を這って移動する。
脱皮を繰り返して、古い自分を脱ぎ捨てて成長するその姿に、人は不死性を感じる事もあるそうだ。
また毒を持つ場合が多く、鼻の付近に穴が開いた種の蛇は熱を感知する能力もあるらしい。
それから蛇の下顎は、地の振動を捉えるそうだ。
……なんともまぁ厄介な生き物だと言える。
幸いにも事前に尾美黄鳥から大蛇の存在を聞かされていた僕は、慎重に歩を進める事で先に相手を発見できた。
今、僕の視界の先では、巨大な大蛇が一本の大樹に巻き付き、だらりと身体を弛緩させて休んでる。
彼我の距離はおよそ四、五十メートル程はあるだろうか。
だけどこれ以上は近寄れない。
僕がどんなに慎重に、気配を殺して、足音を立てずに近寄ろうとしても、これ以上に近寄れば地を踏む振動を察知されてしまう予感があるから。
大蛇をやり過ごして先の枯れ木を目指す事も、多分無理だろう。
相手の大きさは、……大樹に巻き付いて居る為に測り辛いが、ザッと体長が十五m程もある様に見えた。
あの大きさなら相手が熊でも、一飲みに餌にしてしまえる筈。
大樹海の中層に棲む魔物の中でも、恐らくは強者の部類に入る一匹だ。
鱗に牙、毒腺と、さぞや質の良い素材が取れるだろうけれども、……流石にまともに戦って狩りたいとは思えない。
太い胴を振り回すだけで、周囲の木々ごと僕なんてぺしゃんこになるだろうし、蛇の魔物を相手に毒がない事を期待する方がどうにかしている。
勿論鼻の下には穴があるから、熱を感知するのだろうし、蛇の魔物は場合によっては石化の魔力すら有する場合もあるのだ。
更に攻撃面の脅威だけでなく、蛇のしなやかで強い筋肉は打撃を通し辛いし、油分を纏った鱗は剣の斬撃をも滑らせるだろう。
手札を惜しまずに戦えば、多分殺し切れるだろうけれど、ここで体力とアイテムを消費し過ぎるのは決して上手い手ではなかった。
僕の目的は古木喰いの蜥蜴から毒を採取して持ち帰る事で、その道行はまだ半分にも到達していない。
そう、つまりは帰りの為のリソース、体力やアイテムを、不測の事態に備えて温存しておく必要がある。
確かにあの大蛇は道を塞ぐ障害であるが、道を通る方法は障害の除去のみではないのだ。
僕はポシェット、マジックバッグの中から、白と黒に塗られた手のひらサイズのボールを取り出し、右手に黒を、左手に白のボールを握った。
今、僕が大蛇に対して有する最大のアドバンテージは、向こうがこちらに気付いてないと言う一点。
要するにこれ以上に近付かなければ、僕は一度だけだが大蛇に対して奇襲攻撃が仕掛けられる。
だったらその一度の機会を最大限に活かし、その一度で勝負を決めに掛らない手はないだろう。
大きく振り被って、右手の黒いボールを大蛇の顔に目掛けて、真っ直ぐに投げる。
ボールを狙った場所に投げるコツは、正しいフォームで投げる事なんだそうだ。
この世界には野球なんてないけれど、うろ覚えの前世の記憶は選手の名前は出て来なかったが、どんな投げ方をしていたのかその姿だけは何となく覚えていたから。
振りかぶる際の軸足は目標に対して直角に、踏み出した足はつま先を真っ直ぐに向ける。
こうする事で腰が回転し、その力は肩、肘、手首、指先まで伝わって、しなるように腕を振ってボールは放たれた。
その瞬間、大蛇は何かを感じたのだろうか?
ピクリと体を震わせて動く予兆を見せたが、けれども実際に動き出すより僅かに早く、矢のように飛んだ黒いボールが大蛇の顔にぶち当たる。
距離は多少遠かったが、的が大きかった分、何とか命中してくれた。
そして衝突の衝撃を受けたボールはシャっと潰れ、その中に封じられていた物、真っ黒に粘つく液体が、大蛇の顔に張り付く。
その効果は覿面だった。
余程に驚いたのだろうか、大蛇は巻き付いて居た大樹を凄まじい音と共にへし折り、地上に落ちて頭を、胴を、尾を振り回して大暴れし始めたのだ。
しかしどんなに暴れた所で、顔に張り付いた液体は落ちない。
あの液体の正体は、粘度の高い油を素材に錬金術を用いて作った塗料。
べったりと張り付けばそう易々とは落ちない代物だ。
またあのボール自体も錬金術の産物で、マジックバッグと同じく見た目以上に、手のひらサイズのボールでありながら、その中身はバスタブをいっぱいに出来る量の塗料が詰められていた。
それ故に大蛇は塗料に視界を塞がれたのみならず、鼻やその近くに空いた穴、熱を感知する器官までもが潰された為、外界からの情報が全て遮られた形になる。
因みにボールの名前はカラーボールと言って、マジックバッグを参考に完成させた僕のオリジナルの、使い捨て錬金アイテムだ。
驚きと混乱に暴れ回る大蛇が、周囲の木々を薙ぎ倒す。
そして狙った訳ではなかろうが、大蛇の横を駆け抜けようとしていた僕に対しても、尾が直撃する角度で飛んで来る。
だから僕は念の為に握っていたもう一つの、左手の白いボールも、その向かって来る尾に思い切り投げ付けた。
黒いボールの中身は粘度の高い塗料だったが、白いボールの中身は粘つくどころでは済まない巨大斑蜘蛛、ヒュージスパイダーの糸だ。
ボールが砕けると同時に広がった糸に絡め取られ、動きが封じられた大蛇の尾。
尤もこの大蛇程に巨大な魔物であるならば、いずれは無理矢理にでもその拘束を引き千切ってしまうだろう。
だがそれでも構わない。
少しの間だけでも大蛇が動けなくなれば、僕が傍らを抜けるには十分である。
足を止めずに駆け抜けて、僕は大蛇を後に、尾美黄鳥に教えられた枯れ木を目指す。
目指す枯れ木は、それから目的の古木喰いの蜥蜴は、すぐに見つかる。
何故なら古木喰いの蜥蜴は、隠れる様子すらなくもしゃもしゃと暢気に枯れ木を齧っていたから。
そこに何かを警戒する気配は、全く感じられない。
と言うのも大樹海に生きる魔物は、木々の間引きを行い環境を整える役目を担う古木喰いの蜥蜴を、余程の事がない限りは襲わないのだ。
なので逃げ出す様子もない体長1m程の蜥蜴の上顎を、僕は手袋を付けた手でわしっと掴む。
ぎょろりと古木喰いの蜥蜴の目が動いて僕を見るが、逃げ出す様子も、抵抗する事もない。
それどころか口を開かせようと力を込めれば、面倒臭そうに自分から口を開ける。
古木喰いの蜥蜴とはその様な、温厚と言うよりも寧ろ物臭な魔物であった。
木を齧る為に頑丈に発達した歯の中でも、四本の犬歯は毒を削ぎこむ穴の開いた管牙となっている。
そんな古木喰いの蜥蜴の牙に空き瓶を押しあてれば、ジワジワと漏れた毒液が瓶の中に注がれて行く。
勿論、古木喰いの蜥蜴は面倒臭そうに抵抗もしない。
古木喰いの蜥蜴の毒を得るには、殺して毒を発する腺を抉り出すのが一番手っ取り早いだろう。
何せ古木喰いの蜥蜴はこんな風に、抵抗らしい抵抗もしないのだから。
危険な大樹海の中では、一つ所に留まる時間は短ければ短いほど良い。
けれども当たり前の話だが、古木喰いの蜥蜴を殺してしまえば数は減る。
物臭な古木喰いの蜥蜴同士が広い大樹海の中で遭遇する事は滅多になく、それはつまり繁殖の機会が非常に少ない事を意味してた。
大樹海の中に天敵がおらず、命が脅かされない古木喰いの蜥蜴は、子孫を残す事に関しても物臭だ。
だから大樹海の外からやって来る唯一の天敵である人が、古木喰いの蜥蜴を殺し過ぎれば絶滅する可能性は充分にある。
故に今では、古木喰いの蜥蜴を殺して毒を得る事は禁じられていた。
十数分はそうしてただろうか。
瓶の半分ほどが毒液で満たされた所で、僕は古木喰いの蜥蜴を解放する。
これだけの量があれば、木枯らしの香が十人分は作れるだろう。
この毒は少量でも畑に撒けば十年はそこで何も育たなくなる程に強力な危険物だから、欲張って集め過ぎるのもそれはそれで問題だ。
「うん、よし。ありがとう。助かったよ」
僕は瓶に栓をして密閉してから、礼を言って古木喰いの蜥蜴の背を二度、軽く叩く。
古木喰いの蜥蜴はパチパチと瞬きをしてから、グプッと鳴いた。
言葉が通じた筈はないけれど、だけど僕にはその鳴き声が、古木喰いの蜥蜴からの返事に聞こえる。
これを無事に持ち帰れば、サーシャは助かるだろう。
ポシェットの中に瓶をしまって、僕は改めて気合を入れ直す。
そう、サーシャを救えるのは、これをアウロタレアの町まで持ち帰れたらばの話だ。
今回の目的を達成するまでの道のりは、もう後半分。
その半分こそが重要で気を付けなければいけないのだと僕は自分に言い聞かせ、隠者の外套のフードを目深に被り、息を潜めてその場を去った。
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