第8話
木々を切り倒して人の領域を広げても、管理をせずに放置すれば再び森に飲み込まれてしまう。
故にアウロタレアの町からも、森とは逆側、東に向かっては人が管理する農地が広がっている。
イルミーラ国の政策として、民は自らの土地を保有する事が許されているし、また町の外の土地を購入する為に必要な金額はかなり安い。
国としても、生えて来る芽を抜いて土地を管理し、更に食料を生産してくれる農民は、幾らでも増えて欲しい存在なのだ。
尤も幾ら広い土地を保有して耕した所で、大規模に森が広がって飲み込まれてしまえば、全ての努力は無に帰してしまうのだけれども。
さて、その様に町の郊外ならば土地の値段が安いお国柄なので、僕も少しばかりの田畑を持ってる。
尤も田畑と言っても育てているのは麦や野菜の類ではなく、錬金術に必要な薬草と、それからこの世界では一部の地域でしか栽培されていない穀物である稲だった。
勿論、僕の本業は錬金術師であり、採取となれば長く森に籠る事も少なくないから、とてもじゃないが田畑の世話には手が回らない。
だからそんな僕の代わりにこの田畑の世話をしてくれているのが、エイローヒの神殿で育てられている孤児達だった。
「こら! リックにミカ! 手伝いに来たならちゃんと手伝え!! 手伝わないなら神殿に帰れ!!」
そんな怒鳴り声が辺りに響く。
普通の畑で育てる陸稲もあるけれど、僕が保有する田畑で育ててる稲は、水田に育つ水稲だ。
水を満たした田に踏み入れば、当然ながら泥塗れになる。
でもまだ幼い孤児達には、そんな事ですら面白かったらしく、手伝いを忘れて泥遊びを始めてしまう。
そんな幼い孤児達を、年長者である少年、サイローが叱り飛ばしたのだ。
物凄い剣幕のサイローに、幼い孤児達は怯えて泣き出す。
けれどもサイローが叱るのも無理はない。
水田を荒らして僕が怒り、もう孤児の手伝いは不要だと言い出せば、困るのはエイローヒの神殿だった。
先日の木枯らしの香は別としても、僕はエイローヒの神殿に暮らす孤児達の健康管理をしてるし、そこそこの額の寄付だってしてる。
そうする事で歓楽街の人々の信用を得てると言う面もあるけれど、基本的には僕は厚意でそれ等を行っていた。
正直なところ、田畑を管理するだけならば人を雇った方が確実だし、何よりも安上がりだろう。
アウロタレアでも名の売れ出した錬金術師である僕に雇われたいと言う人間は、それなりに存在するから。
孤児を生み出す要因であり、孤児の就職先でもある冒険者や娼婦は、僕にエイローヒの神殿への寄付を続けて欲しいと望むだろう。
しかし仮に僕が神殿への寄付を打ち切ったからと言って、既にアウロタレアの町に根を張った僕の仕事が減る事はない。
信用は仕事を得る切っ掛けの一つにはなっただろうが、それを広げて育てて行ったのは僕自身の力である。
サイローはその辺りを正しく理解しているからこそ、幼い孤児達を厳しく叱りつけたのだ。
邪魔をする位ならもう帰れと。
勿論僕も、そんなに簡単にはエイローヒの神殿を見限ったりはしないけれども、それでも良くない態度が続けば仕事を任せると言う選択肢はなくなる。
なのでサイローは正しい。
正しいのだけれども、間近で他人が叱られていると、どうにもソワソワしてしまう。
特に叱られる側が幼い子供で、更に泣いてしまったのなら余計にだ。
でもここで僕が口を挟めば、年長者としてのサイローの立場を潰す事になるし、叱られた側であるリックとミカの為にもならないだろう。
故に僕はハラハラ、ソワソワしつつも黙って彼等のやり取りを見守り続ける。
しかしそれにしても、サイローは実に賢い子供だった。
確かに彼は孤児達の中では年長者だが、それでもまだ十三歳の少年でしかない。
なのに僕とエイローヒの神殿の関係を、しっかりと客観的に見れている。
その辺りを理解する為には、人を雇う為の相場を知ってなければならないし、ある程度の計算能力も必要だ。
何よりも、誰かから与えられる事が、決して当たり前ではないのだと認識していなければならない。
つまり元々に地頭が良いだけではなく、エイローヒの神殿で確りとした教育を受けてる証左であろう。
……僕も似た様な年齢で家の状況を察し、飛び出して旅をしたけれど、そこは前世の記憶があったから、正しく子供だったとは言い難い。
周囲にもあの頃の僕を子ども扱いする人間は居なかったし。
まぁ僕の事はさて置き、やがてリックとミカが十分に反省すると、サイローは僕に向かって作業が遅れた詫びを言い、それから水田の稲の世話を再開する。
何と言うか本当に、サイローは出来過ぎな位にしっかりとしている子供だった。
午前中の水田での作業が終われば、孤児達の大半には小遣いを渡して帰らせる。
午後からは薬草畑の手入れがあるが、中にはそれなりに貴重な薬草も生えている為、年少の孤児達には流石に任せられない作業だ。
残ったのは僕と、今日来た孤児の中では唯一の年長者であったサイローのみ。
僕とサイローは手を洗ってから木陰に座り、持って来た弁当を広げた。
メニューは僕が握った米のおにぎりと、グリームの酒場で購入した鶏肉の揚げ物。
稲作はこの世界ではずっと東の国で細々と行われてる程度で、食味も前世の記憶にある物に比べれば良くはない。
とは言え本来ならば簡単には手に入らない米を、こうして気軽に食べれるだけでも、十分に贅沢な事である。
育てた米を売る訳じゃないから、稲作に関しては完全に僕の趣味の様な物だ。
今はそこまで手が回っていないが、そのうち品種の改良も行いたい。
大きく口を開けておにぎりを齧れば、程好い塩気と米のうま味が口の中に広がる。
次に鶏肉の揚げ物もガブリと行けば、口の中に広がる脂の美味さが、米と非常に良く合った。
実に満足だ。
一つ目のおにぎりをあっと言う間に平らげて、二つ目に手を伸ばす僕は、そこでふと首を傾げる。
一緒に食事を取ってるサイローが、何故だか食が進まない様子だったのだ。
別におにぎりが口に合わないと言う訳じゃないだろう。
この米と言う穀物は、食べ慣れていない人は炊いた際の独特の匂いに拒絶感を示す人もいるけれど、少なくともサイローはこれまで幾度も美味しそうに食べていた。
だから米のせいでは決してない。
また鳥の揚げ物に関しても、嫌う方が難しい贅沢な食べ物である。
ならば一体どうしたと言うのか。
僕は内心で首を傾げながら、二つ目のおにぎりを口に運ぶ。
何やら悩みがある風にも見えるが、言ってくれねばわからない。
さりげなく聞き出してやるのが一番なのかも知れないが、上手い言葉は思いつかなかった。
だったらせめて、食事のために口を動かした方が多少なりともマシだろう。
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