第9話


「なぁ、ルービット兄ちゃん」

 待つ事暫く、漸くサイローが重い口を開く。

 出て来た言葉遣い、仕事中ではないから気安い物。

 だけどその声色には、深い迷いが見て取れた。

 僕は口の中身を飲み込んでから、一つ頷き、彼に話の続きを促す。


 するとサイローはまた少し躊躇ってから、

「ルービット兄ちゃんが、中層まで行ける位に強いって、本当?」

 そんな風に聞いて来た。

 この問い掛けは、本題の前振りだろうか?

 少しばかり返事に困る質問だ。


 大樹海の中層は正しく魔境で、辿り着けるのは一流、或いは超一流と呼ばれる一握りの実力者のみ。

 でも僕がその一流、超一流の実力者かと問われれば、少しばかり自信はない。


 剣は使える。

 採取の際に身を守る技術として、幼い頃から剣術は学んだ。

 多分イルミーラの冒険者の、中堅クラスの剣士並には僕は剣が振れるだろう。


 拳も使える。

 旅の最中、剣にも錬金アイテムにも頼れない場面は多々あった。

 そんな時でも、握った拳だけは手を切り落とされない限り使えるから、打撃も投げ技も、それなりには鍛えてる。

 尤も、素手で魔物に立ち向かおうと思える程では決してないが。


 魔術も使える。

 この世界での魔術とは、魔力によって起きる現象、魔法を人の手で再現できる様に編み出された技術だ。

 例えば竜が炎のブレスを吐くのは魔法で、風の精霊が竜巻を起こすのも魔法、地に溜まった魔力が迷いの霧を発生させても魔法だが、人がそれを再現すれば全て魔術となる。

 錬金術は単に素材を混ぜ合わせたり火で熱するだけでなく、魔力を用いて反応を促進したり、変化させるので、錬金術師は魔力の扱いには長けていた。

 故に当然、僕は魔術が扱える。


 ……しかしそれでも、僕はそれ等の力を積極的に振るって、森を越えてる訳じゃない。

 あれやこれやと作成した錬金アイテムを一切使わず、森を越えて中層に至れるかと問われれば、僕は全く以て自信がなかった。

 何より、試してみたいとも思わない。

 だけどそれでも、僕が幾度となく中層に赴き、生きて帰って来てる事は事実だ。

 そうでなければ、僕はサイローと同じ孤児であるサーシャを救えなかった。

 なのでサイローの問い掛けは、肯定するにも躊躇いがあるし、否定するのも嘘になってしまう為、僕は返事に迷ってしまう。


 でもサイローは、僕の浮かべた曖昧な笑みを謙遜と取ったのか、

「なのにルービット兄ちゃんは、なんで冒険者にならないんだ? 中層に行けるくらい強かったら、冒険者ならいくらでも稼げるのに」

 そう言葉を続ける。

 あぁ、成る程。

 少し、サイローが何に悩んでいるのかが見えて来た。


 サイローの悩みはさて置くとして、僕が冒険者にならない理由は単純だ。

「冒険者組合に登録すると発生する義務と制限が面倒だからだよ。恩恵の方も、僕にはあまり関係ないしね」

 それは僕が錬金術師であるから、ではなく、冒険者になるメリットが全く以てないからである。

 実のところ、錬金術師をしながらでも冒険者になる事は可能だ。

 このイルミーラで冒険者になるには、国が冒険者を管理する組織である冒険者組合に登録すれば良い。


 冒険者組合では冒険者に対してのパーティの紹介や、冒険者としての訓練、依頼の斡旋、持ち帰った獲物の解体や買い取り等のサービスが受けられる。

 但し、冒険者になると冒険者以外とは一緒に森に入れなくなるし、依頼料や買い取りの価格からは、二割が冒険者組合に徴収されてしまう。

 勿論それは冒険者組合を維持する為の必要経費なのだろうけれど、二割と言うのは中々に大きな数字だ。

 また僕にとってはこれが最大のデメリットなのだが、冒険者が狩ったり採取した成果は、冒険者組合に一度はすべてを買い取って貰わなくてはならない。

 自分がそれを必要とする場合にも、価格の二割の徴収を受けた後、わざわざ買い戻す必要があるのだ。


 要するに収穫物を懇意にしてる商人に直接売り捌き、冒険者組合の利益を損なわない様にする為のルールだった。

 勿論その利益があるからこそ、冒険者に戦闘技術や森での活動を指導する教官や、依頼を整理して斡旋したり、獲物の解体を行う冒険者組合の職員が雇えるのだから、必要な事ではあるのだろう。


 しかし僕は別にパーティの仲間を必要とはしてないし、解体だって自分で出来る。

 依頼の斡旋も、寧ろ今でさえ手が足りてないのだから、余計なお世話でしかない。

 にも拘わらず二割の徴収を受け、自分で得た素材すら錬金術に使用する為に余計な手間が掛かるなんて、面倒臭いにも程があるだろう。

 幾度か冒険者組合からは、所属してくれないかとの誘いは受けたが、その度に丁重にお断りしていた。


 また僕以外にも、冒険者組合には登録せずに直接商人と契約してるケースがある。

 だからサイローは僕に強いのに冒険者をやらないのは何故かと聞いたが、寧ろ実力があるからこそ冒険者になる意味が薄い場合は多いのだろう。


 そんな言葉を並べれば、サイローの顔に浮かぶ迷いの色は、より濃さを増していた。

 その顔を見て、僕は自分の予想が正しいと確信する。

「サイローは、冒険者になるの?」

 彼の年齢は十三歳。

 まだ十三歳ではあるのだけれど、男である彼がエイローヒの庇護を受けれる年齢はそろそろ終わる。

 エイローヒが子供であると定めた十三歳が終われば、サイローはエイローヒの神殿を出なければならなくなるだろう。

 因みに女性であるならば十五、六歳までは孤児として神殿に留まれるし、或いはもう少し年を経てもエイローヒに仕える神職の見習いとしての道もあった。


 ……不平等感はあるけれど、その辺りはエイローヒが女性と子供を庇護する女神である以上は仕方のない事だ。

 前世の倫理観を振りかざす方が間違っている。

 そしてエイローヒの神殿を出れば、当然ながらサイローは自身で生計を立てて行かねばならない。



 実はイルミーラでは、男児がなりたがる憧れの職業は樵である。

 斧を使って木々を切り倒す樵は、イルミーラでは森と戦う人の力の象徴だ。

 しかし樵になる為には、腕っぷしと優れた道具、先達である樵達との繋がりが必要だった。


 樵の仕事は、決して一人で出来る物じゃない。

 単に木を切るだけと思うかも知れないが、闇雲に切れば倒れた木に誰かが巻き込まれる可能性もある。

 それにそもそも、人間は切り倒した木を一人じゃ運べないだろう。


 道具に関しても、森の木々は、浅層ではあっても大樹海の木々だ。

 鈍らな斧では切り倒すどころか、傷一つ付ける事すら難しい。

 魔法金属や魔法合金製の斧を用いろとまでは言わずとも、イルミーラで樵をするなら、一級品の鋼の斧が必要だった。

 孤児であるサイローには、樵達の信頼を得られる環境も、一級品の鋼の斧を用意するだけの金も、望んでもそう簡単には得られない物である。


 となれば次に上がる選択肢として、冒険者が出て来るのは、……まぁわからなくもない話だろう。

 但し僕には、サイローが冒険者になると聞いて、どうしても惜しいと思ってしまった。

 いや、これは別に冒険者を馬鹿にする訳ではなく、サイローにはもっと他に向いた道があるのではないかと思ったからだ。


「冒険者になれば、武器や防具は最初の頃は貸して貰えるって聞くし、一杯稼げば神殿にも寄付出来るしさ」

 けれども実体を知らずに薄っぺらに冒険者に憧れて言い出したなら兎も角、サイローの事だからそれは充分に考えて、今も悩みながら出した結論なのだろう。

 貸して貰える武器が最低限の物で護身用にしかならない事も、防具もサイズが合う物はそうそう回って来ない事も、多分サイローは知っている。

 同じ身体を張る職業でも、樵よりも、兵士よりも、冒険者はずっと死亡率が高い事も。

 知った上でサイローがそれを選ぶなら、僕には口出しなんて、出来る筈がなかった。


 エイローヒの神殿が伝手を使えば、或いは見習いとして商家に奉公に出る道もあった筈。

 もしくは僕だって頼まれたなら、一人や二人なら田畑の管理者として雇いもするだろう。

 水田だって薬草畑だって、周囲の土地を買い取ればもう少しばかり広げる事は可能だし。

 でもサイローはそれ等の伝手を自分で使わず、他の孤児達に残す道を選んだのだ。

 その決意に水を差す権利なんて、僕にある訳がないじゃないか。



「……サイローなら、良い冒険者になれるよ。薬草の摘み方も丁寧だしね。採取が出来るのと出来ないのとじゃ、稼ぎは結構変わるよ」

 だから僕には、彼の背を押す事しかできない。

 最外層部でしっかりと採取に励み、金を貯めて装備を整えられたなら、サイローが生き延びられる可能性はグッと増す。

 それまで狼やゴブリンに、命を奪われなければの話だが。


 真面目で聡いサイローならば、意外とどうにかするかも知れない。

 良い仲間を見つけ、熱心に訓練に励んで腕を磨けば、最低限の装備でも狼やゴブリンはどうにかなる。

 彼には間違いなく、才覚はあるはずだから。


「うん、ありがと。ルービット兄ちゃん。そう考えたら、ここの手伝いさせて貰えてるのって、本当に運が良かったんだなぁ」

 僕の言葉にサイローは笑みを浮かべて、おにぎりを思い切り頬張る。

 やはり彼は、誰かに背を押して貰いたかったのだろう。

 今のサイローは、少し迷いの晴れた顔をしていた。

 僕がサイローの背を押したのは、決して間違った判断ではなかったはずだ。

 ……なのに今、僕の胸は、とても重い。


「森の最外層で取れる素材、今度教えるよ。それから何かあった時の応急手当のやり方と」

 装備を僕が買い与える事だって出来なくはないが、身の丈に合わない持ち物を持てば周囲から目を付けられるし、仲間とも歩調を合わせ難くなる。

 真面目に働いてくれたお礼と、冒険者になった時の祝いとして、剣の一本を贈る位が精々だろうか。

 本当は身を守れる鎧の方が良いのだろうけれど、鞘に納めれる剣と違って、鎧はどうしても目立ってしまうから。


「あっ、だったら、図々しいお願いだけれど、剣の振り方も教えて、……教えて下さい。一人で棒を振ってても、いまいち強くなれた気がしなくって」

 頭を下げるサイローに、僕は頷く。

 彼がエイローヒの神殿を出るまでには、あと数ヵ月の猶予がある。

 僕だって仕事があるから、付きっ切りで教える訳にはいかないけれど、基本的な剣の振り方と、訓練の仕方を教える位は可能だ。


 了解を得た事を無邪気に喜ぶサイローの表情に、僕は自分の胸をそっと押さえた。


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