三章
第31話
「ふぁ~っふ、あふぃ」
大きな欠伸を一つして、僕は水をアトリエ回りの地面に撒く。
太陽の光がまるで寝不足を咎める様に目に突き刺さるのは、前世も今生も変わらない。
アウロタレアの町が大樹海の氾濫を鎮圧してから、一ヵ月程が過ぎた。
森の巨人の素材を使った研究は、まぁ順調に進んでる。
しかし研究の為とは言え、アトリエを閉めっぱなしには当然できない。
だって僕はアトリエで錬金アイテムを売る事で生計を立ててるし、特にポーションの販売は誰かの命に関わる事もある。
そうなると当然、たまには採取にも出かけなければならないし、薬草畑の手入れだって必要だ。
薬草畑に顔を出すなら、もうすぐ冒険者になる孤児、サイローの訓練を見てやるし……。
まぁ殆ど普段と変わらない生活を送らざるを得ない。
するとどうしても研究は夜、アトリエを閉めた後等に行うのだが、ついつい熱が入ると睡眠を取るタイミングを逃し……、今日の様に昼間に欠伸が止まらなくなってしまうのだ。
つまりは、非常に平和な日々を過ごしてると言う訳である。
研究を進める上で非常にありがたかったのは、もう一人の錬金術師、ディーチェの存在だ。
何せ彼女は魔法合金の扱いに関しては僕より上で、それこそ錬金術師協会の導師級の腕がある。
僕も調合やアイテム開発に関しては導師達に並ぶと自負するが、魔法合金の作成に関しては彼女程の才がない。
またアトリエの店番も厭わずに交代してくれるし、研究の、錬金術師のパートナーとしては申し分ない相手だった。
唯一つ問題があるとするならば、見目も人当たりも良いディーチェは少しずつファンが増えて来ていて、そんな彼等の僕を見る目に敵意が宿ってる事くらいか。
そりゃあ気になる女性が他の男と同棲していたら、誰だって敵意や殺意の一つは抱く。
それは仕方のない話だろう。
尤も僕が森の巨人を討伐した事実はアウロタレアの町に広く知られているので、直接的に絡まれる様な事はない。
僕だって別に害がないなら、多少嫌われようが妬まれようが、好きにしてくれて構わないと言うのが正直なところだ。
だけど冒険者辺りからなら、幾ら敵意の籠った視線を向けられても気にしない僕であっても、それが幼い子供ともなると多少は気にはなってしまう。
水撒きを終えた僕が、ふと視線に気づいてそちらを見れば、サッと物陰に隠れたのは五、六歳程の少年。
彼の名前は、スロミ・カータクラ。
大通りの一角に大きな店舗を構える、カータクラ錬金術店の息子だった。
カータクラ錬金術店は、アウロタレアの町が生まれた当初からこの町で商売をしてる老舗だ。
尤も老舗と言ってもアウロタレアの町そのものが、森を切り開かれてからの歴史がまだ浅いのだけれども、でもその以前からイルミーラで錬金術師を営んでいた家系なんだとか。
と言っても僕とそのカータクラ錬金術店の主である、フーフル・カータクラとの関係は全く以て悪くはなかった。
あちらは大通りで多くの市民に愛用される大店で、僕のアトリエは歓楽街に根付いた小規模な怪しい店だ。
客を取り合って殴り合う様な仲では決してない。
寧ろ互いに素材が足りずに困った時は、同業者として協力は惜しまない程度に相手の事を尊重してる。
では一体、僕は何故フーフルの息子であるスミロに敵視されているのか。
それは僕が、森の巨人を討伐した錬金術師として、アウロタレアの町で大きく名が売れてしまった為だった。
幼い子供は、或いは大きくなってもそうかも知れないが、自分の父親を誇りに思いたい物だ。
そして実際に自分の父が、町で一番大きな錬金術師の店の主であったなら、それは誇りに思うだろう。
幸いな事にスミロも錬金術師になれる才、魔力の保有量と操作を親から受け継いでいたから、いずれは父の様な町一番の錬金術師になんて風に思っていた筈。
勿論、今もカータクラ錬金術師店がアウロタレアの町で一番大きな錬金術の店である事に、全く変化はない。
しかしスミロは町の噂を聞いてしまった。
今までは一部でしか名の知られていなかった歓楽街に住む錬金術師が、様々な錬金アイテムを駆使して森の巨人を討伐したと。
深層の魔物を討伐出来る位なのだから、きっと凄腕の錬金術師に違いないと。
……そんな噂を。
幼いスミロは、その噂に憤慨して父であるフーフルに問うたそうだ。
『そんなの嘘だよね。父様がこの町で一番凄い錬金術師だよね?』
なんて風に。
そこでフーフルが頷けば、もしかすると話はそこで終わったのかも知れない。
スミロは父の言葉に満足して、噂なんて気にもしなくなっただろう。
だけれども、フーフルはスミロの言葉に返事に詰まり、あろう事か僕を褒める言葉を口に出してしまったと言う。
まぁ、この辺りの事情に関しては、スミロの行動を謝罪に来たフーフルから直接聞いたのだけれど、彼はカータクラの家に養子に入った先代の弟子だったそうだ。
錬金術師となる上で必須となる、魔力量や魔力を操る才能は、親がその才に恵まれていれば子にも受け継がれやすいとされる。
両親が揃って魔力量や魔力を操る才能を持っていれば、尚更に。
だからカータクラの家では魔力量や魔力を操る才能を持つ者が、錬金術師となれた者が当主として選ばれるらしい。
仮に才ある者が家の中から出なければ、弟子を養子にとって息子や娘と婚姻させ、イルミーラで活躍する錬金術師としての家柄を保って来た。
これは良く転がってる話である。
僕の実家であるキューチェの家だって、血統と錬金術師としての才を重視して、次代に引き継いで来た家だ。
錬金術師の家は、どこもそうやって次代の錬金術師を輩出しようとしてる。
しかしこの話からもわかる様に、フーフルの錬金術はカータクラの家の先代から学んだ物だ。
勿論これも別に珍しい話じゃなくて、大体の錬金術師は師が弟子を取って、或いは親が子に錬金術を教える。
一定の技量を示して錬金術師協会には錬金術師としての登録を行うが、支部や本部の教育機関で錬金術を学んだ訳ではない。
幾ら錬金術師の家が裕福だと言っても、簡単に国外に子弟を学びに出すのは難しいから。
なので支部や本部の教育機関で錬金術を学べるのは、余程に才能に恵まれて錬金術師協会に見出されたか、または家が余程に裕福かのどちらかだろう。
それ故に錬金術師協会の教育機関で学んだ、特にイ・サルーテの本部で学んだ錬金術師は、選ばれたエリートとしての扱いを受ける。
……フーフルは僕がイ・サルーテからやって来た、本部で錬金術を学んだ錬金術師だと知っていたから、自分の方が優れていると胸を張って息子に言えなかったのだとか。
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