第28話


 状況に大きな変化があったのは、戦いが始まって五日目の朝。

 そう王都が最速で動いてくれたなら、夜には援軍が到着するかも知れないと皆が期待する日の朝である。

 結局近隣の町、スーシュロウやローセントからの援軍は来なかった。

 つまり大樹海の氾濫を受けているのは、アウロタレアだけではないと言う事らしい。


 この数日間の戦いで、アウロタレアの西の防壁から森までは、魔物の躯が折り重なる様に積み重なっていた。

 一部の魔物は北や南にも回り込んでいたから、そちら側にも幾らかは。

 後にして思えば彼等の、特に小鬼や中鬼の役割は、最初からそれだったのだろう。

 日の出と共に一斉にそれ等の躯から、血の撒き散らされた大地から芽が出て、見る見る間に大木へと成長して、アウロタレアの町と森を繋げてしまったのだ。


 氾濫の目的は大樹海を広げる事。

 故に溢れ出た魔物が身体で種を運ぶのは当たり前と言えるだろう。

 しかしだからと言って、本来ならば幾ら大樹海の木々と言えども、芽から大木に成長するには数ヵ月から一年の時が必要である。

 これは明らかに異常事態で、そしてその異常事態の原因も、さして時を置かずに皆が知った。


 ズンッと重い足音を鳴らして、木々よりも更に背の高い何かが、森の向こうから姿を見せたから。

 その身体中に苔を纏い、巨体を移動させても木々を傷付けない。

 また足跡からは草木が芽生えるとも言われる、森の化身。

 それは大樹海の深層に棲む強力な魔物である、森の巨人だ。


 成る程、確かに森の巨人なら、木々を僅かな時間で成長させられもしよう。

 成る程、確かに森の巨人が出て来るなら、木々でアウロタレアの町を囲む必要があるだろう。


 竜に次ぐ魔力をその身に秘めるとされ、自然の力を強く宿し反映する巨人は、その力を自在に奮える反面、その力が届かぬ場所には足を踏み入れる事が出来ないらしい。

 例えば火の巨人は、その意思で火山を噴火させる事さえ出来るが、火山地帯から離れられないと言う。

 森の巨人は、木々の無い場所に長く留まれば死に至る。

 故に魔物の骸を糧にして、町の周辺に木々を、森を生み出したのだ。


 そう、突如として生まれた森は、この巨人が歩く為の緑の絨毯だった。

 要するに大量の小鬼や中鬼は、この絨毯を敷く為に死を顧みずにアウロタレアの町を攻め続けていたと言う訳だろう。

 大樹海の魔物の理屈は知らないけれど、彼等を殺し続けた側としては実に気分の悪い話である。



 だが幾ら胸の悪くなる様な一手でも、それは確かにアウロタレアの町を追い詰める一手だ。

 噂のイルミーラの四英傑なら兎も角、大樹海の深層に棲む魔物、しかもあんなにも大きな巨人を、仕留めれる戦力は今のアウロタレアには存在しないだろうから。

 あぁ、唯一領主の抱える魔術師隊が、戦術級の魔術を行使すれば勝ち目があるかも知れないが、その場合は確実を期すため、巨人が森を抜けてアウロタレアに踏み込んだ後に魔術を放つだろう。

 つまりはアウロタレアの半壊はどう足掻いても免れないと言う話で、仮にそれで巨人を倒せたとしても、同時に生き残りの大鬼や人狼が町に雪崩れ込んで来る。

 実に絶望的な状況だった。


 でも、こんな状況だと言うのに、僕を支配する感情は、歓喜。

 信じられない幸運に、僕の身は震えが止まらない。

 だって巨人である。

 竜に次ぐ、或いは竜と精霊と並び称される強き魔物、巨人。

 人が立ち入れぬ険しい環境の奥に棲むそんな存在が、最高の素材の塊が、自ら目の前に姿を見せてくれたのだ。

 これが嬉しくない訳がない。


 勿論僕だって、相手が強大である事くらいはわかってた。

 だけどリスクは尋常じゃなく大きいけれど、リターンがそれを上回る。

 それに大樹海の中層を越えて深層に赴く事を考えたなら、この場で森の巨人と戦う方がずっと目のある話だろう。

 そもそも、ここで森の巨人が他の魔物と町に雪崩れ込んで来れば、どのみち大勢が死んでしまうのだから。


「バルモア! 大鬼と人狼が来てる。任せて良い?」

 僕は並んで巨人を見ていた女戦士に、そう問う。

 傭兵であるバルモアは、あの巨人を見た瞬間から、どうやってこの町から逃げるかを考えている筈。

 けれども僕は、彼女に逃げを打たれると少し困る。

 だってアトリエは諦めるにしても、僕のホムンクルスであるヴィールは簡単には逃がせない。

 また客人であるディーチェも、危険な目に遭ってしまう。


「ハンッ、ならルービットはどうするのさ」

 バルモアは炎銅の剣を抜き、僕に問い返す。

 勝ち目があるなら付き合ってやる。

 彼女は態度でそう示してくれていた。


「欲しくてたまらなかった素材が、自分から来てくれたからね。ちょっと採取に行って来るよ」

 僕の言葉に、周囲の兵士や冒険者は正気を疑うような眼差しでこちらを見たが、バルモアだけはとても楽しそうに笑って頷く。

 そう、楽しいのだ。

 行き詰まりを感じてたヴィールの完成も、森の巨人の素材を得れば現実的な物となる。

 いや、いや、或いは、そう、もしかしたら今年中にも、僕はヴィールと一緒にアウロタレアの町を歩けるかも知れない。

 そんな未来が目の前に見えて来たのに、怯んでなんかいられる筈がないだろう。



 防壁からアウロタレアの町を囲う木々の枝へと飛び移った。

 枝を足場にして跳び、次の枝へ。

 この数日の戦いを準備運動だと考えたなら、既に身体も精神も十分に温まってる。


 今更一人になんて構ってられないのか、それとも単なる自殺にしか見えないのか、態々僕を止めに来る魔物も居ない。

 否、一体だけ、森の巨人へと向かう僕の前に、立ちはだかった人狼がいた。

 ソイツは恐らく、個人的に僕を恨んでて殺したかったのだろう。

 僕には人狼の個体を見分ける事は出来ないけれども、だけどソイツには何となく見覚えがあった。

 この氾濫が始まった初日に、僕が見張り塔から蹴り落とした人狼だ。

 普通ならばどう考えても致命傷だったと思うのだけれど、流石は人狼と言うべきか、とてもしぶとくて面倒臭い。


 でも残念ながら、僕は彼には興味がなかった。

 人狼の強い回復能力は研究素材として魅力的だが、今回の戦いにおける僕の功績を考えたなら、一体分の素材位は容易に入手が可能だろう。

 だから今は目の前に立たれても、少しばかり邪魔なだけ。

 飛び掛かって来る人狼の鼻面目掛けて、僕は左手に握った灰色のカラーボールを下手投げで軽く放る。

 もしかしたらソイツは、僕の戦い方をどこからか見ていたのかも知れない。

 投げられたカラーボールを払い落さず、咄嗟に身を翻して避けようとして、だけど次いで僕が思い切り投げた回復ポーションの瓶が、中空でカラーボールにぶち当たって諸共にその中身をぶちまけた。


 灰色のカラーボールの中身は、強力な酸。

 それも僕が失敗作の錬金アイテムを処分する時に使う特別製の。

 あまりにも強力過ぎるから、素材も残らず溶かしてしまう為、普段の採取には使えやしない切り札の様な物。

 今回の防衛戦も、周囲を巻き込みかねないからと一度も使わなかった。

 でも今は、周囲の木々も、人狼も、溶けてしまっても何の問題もありはしない。


 叫び声も一瞬で。

 流石にぶちまけられた液体を完全に避けるのは無理だったのか、一部を浴びた人狼は苦痛の叫びを挙げようとして、身体の一部を失った為にバランスを崩して倒れ伏す。

 そう、ぶちまけられた酸の上に。

 そしてその後には、酸を浴びた木々も、人狼の身体も、少しも残らず消えてしまった。


 これを本当に酸と呼んで良いのか、実は僕にも少し自信はないけれど。

 けれども僕の前に立ちはだかる者は、巨人の素材の採取を邪魔する物はもう何も存在しないから、細かい事はどうでも良いだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る