錬金術師の過ごす日々

らる鳥

一章

第1話


 練り餌を付けた釣り針を、大きく竿を振って川の中へと投げ入れる。

 森深くの穴場であるこの場所には、よほど腕の良い冒険者でもなければ近付きもしない。

 水面に釣り針の落ちる音が、川の流れる音や木の葉が揺れる音にも負けず、ぽちゃんと響く。


 そしてそれから一分と経たずに、構えた竿がグンっと強く引かれた。

 早速のアタリだ。

 あまりに早い魚の食い付きだが、でもこれは僕の釣りの腕が飛び抜けて良いからとかでは、残念ながらない。

 先程釣り針に付けた練り餌が、錬金術で作り出した強烈に魚を惹き付ける特別製なのだ。


 僕の釣りの腕は、多分中の中か中の下で、本職の人と比べれば決して誇れはしないだろう。

 でもそんな僕でも魚が入れ食い状態になる練り餌を作れる錬金術の腕は、多分誇っても良い筈だった。


 水中で大暴れする魚に、竿が異常な程にしなって曲がる。

 先程ちらりと水面に見えた魚体は陽光を弾いて金色に輝いており、それが黄金鱒と呼ばれる魔魚の一種であると知れた。

 魔魚とは、その身に魔力を秘めた魚の総称で、つまりは魔物の一種だ。

 当然ながらその身に秘めたる力は普通の魚とは比べ物にならぬ程で、並の釣り具ならば糸を切られるどころか竿も容易くへし折られてしまう。


 けれども僕の握る竿は極限までしなりながらも決して折れる事はなく、糸も釣り針も切れず壊れず、黄金鱒を捕らえて離さなかった。

 そう、僕が用意した道具は、練り餌だけが特別ではないのだ。

 竿は大樹海の中層の木々から選んだ木材を、糸はヒュージスパイダーの巣から得た縦糸を、釣り針はブラックボアの牙を削って、得られた素材を錬金術で強化して仕上げた逸品ばかり。

 もし仮にこの釣り具を持って海に出たなら、鯨だって釣り上げる事が可能だろう。

 まぁ勿論、鯨を釣り上げられるだけの筋力が使い手に備わっていればの話だが。


 さて魔魚、要するに魔物の一種である黄金鱒は、海を泳ぐ鯨程ではなくとも力は強い。

 少なくとも多少訓練した人間並みの筋力しか持たない僕には、本来釣り上げる事なんて出来ない位に。

 だが森を流れる川は然程に広くはないから、糸を出して伸ばし続ければ、少なくとも水中に引きずり込まれてしまう事はなかった。

 故に僕は慌てず、焦らず、暴れる黄金鱒に逆らわず、されど決して逃がさずに、辛抱強くその時を待つ。


 すると少しずつだが、暴れる黄金鱒の勢いは鈍り出す。

 漸く疲れ始めた、訳じゃない。

 魔物のスタミナは人間とは比較にならないから、この程度で弱り始めたりはしないだろう。


 で、あるならば、黄金鱒の勢いが鈍った理由はただ一つ。

 そう、黄金鱒が喰らった、針の先に付けられていた、練り餌が原因だ。

 あの練り餌は実は二重構造で、外側は水に溶けると魚を猛烈に惹き付ける餌で塗り固めていたが、中心部分の餌は魔物にも効果のある痺れ薬が練り込んであった。

 

 黄金鱒も我が身の異常に気付いたらしく、必死に足掻こうとはしているが、口の中で溶けて身体に染み込んだ痺れ薬の効果には勝てず、ジリジリとこちらに引き寄せられて来る。

 釣りとしては邪道も邪道だが、僕の本業は釣り師ではなく錬金術師なので仕方ない。

 この黄金鱒の名前の謂れは、もちろん全身を覆う特徴的な金色の鱗であるのだけれど、それ以外にもあまりに美味なその身を求めて貴族が金貨を積むかららしい。

 一匹でも手に入れる事が出来れば一攫千金。

 それが黄金鱒が生きた黄金とも呼ばれる由来だ。


 しかし錬金術師である僕にとっては、その美味なる身以上に、錬金素材として使える鱗の価値が高い。

 故に僕にとってこれは釣りと言うよりも、錬金素材の採取と言う意識が強かった。


 釣り上げた金色の魚を、水を満たしたボックスに放す。

 それから再び練り餌を付けて、釣り針を川に向かって放る。

 この黄金鱒一匹でも十分な成果ではあるけれど、まぁそこはそれ、人の欲には限りがない。

 わざわざ森深くの穴場までやって来たのだから、少しでも多くの成果を持ち帰りたいと言うのが人情だ。


 そしてあれだけ黄金鱒が暴れたにも拘わらず、次のアタリもすぐに来た。

 人があまりやって来ないこの辺りの魚は警戒心が薄いのか、それとも僕が作った練り餌の魔性の魅力か。


 とは言え流石に、黄金鱒の様な大物がそう何度もかかる訳じゃない。

 次に来た竿に掛る力は先程に比べれば随分と小さな物で、痺れ薬が回り出すのも待たずに釣り上げたそれは、30cm程のパーチだった。

 いやまぁ、僕はこの魚をパーチと呼んでるが、実際の所はどんな名前なのかは詳しくは知らない。

 黄金鱒の様な魔魚や、特に美味しかったり、何らかの薬効があったりとの特徴がない魚の場合は、この国の人々は単に魚としか呼ばないのだ。


 普通に考えた場合、黄金鱒と言う呼称があるのなら、金色の鱗を持たない鱒の様な魚も鱒と呼ばれるべきだろう。

 けれどもやはり、この国の人々は普通の鱒を見ても魚としか呼ばなかったり、酷い場合はニセモノなんて風に呼称する。

 僕にはどうにも、その辺りは納得がいかない。


 ……兎も角、だから僕は、僕がずっと昔に住んでいた場所、もう二度と戻れない場所に居た時に得た知識に従って、この魚をパーチと呼んでる。

 尤も、僕が昔住んでいた場所では、このパーチは特定外来生物だったが。

 とは言えパーチは淡白な白身魚で、小骨が少なく食味が良いから、揚げ物にするのに向いている。

 ありふれた魚ではあるけれど、僕にとっては持ち帰る価値は十分にあった。



 そんな風に幾匹かの魚を釣り上げていると、不意に後ろの茂みがガサガサと音を鳴らす。

 僕は咄嗟にまだ魚の掛かっていなかった釣り針を引き上げて、竿を地に放り、腰に吊るした短剣の柄に手を伸ばして振り返る。

 だけどそんな僕の警戒とは裏腹に、茂みから出て来たのは一匹の可愛らしい子熊だった。


 好奇心に満ちた瞳でこちらを、より正確に言うならば、釣り上げた魚が泳ぐボックスを見つめる子熊。

 その仕草に思わず和みそうになってしまうが、……これは少し厄介な事になってしまった。

 当たり前の話だが、こんな小さな子熊が単独でうろついてる筈がない。

 子熊には、必ずと言って良いほど、それを守る為に神経質になった母熊が付いているものだ。

 それも魔物が出没する森深くでも、子を守れるだけの実力を持っているだろう母熊が。


 僕は大きくため息を一つ吐くと、魚の泳ぐボックスに手を突っ込んで、捕まえた幾匹かを子熊に向かって放る。

 そうして子熊が魚に気を取られてる間に、僕は手早く釣り具を鞄、錬金術で作成した内部の空間が拡張された、所謂マジックバッグに詰め込んだ。

 本当は魚を泳がせているボックスも、マジックバッグにしまえれば良いのだけれど、残念ながらこれには動く生き物は入らない。

 故に僕は他の魚は子熊に向かって放りつつも、黄金鱒だけは針を突き刺して仮死状態に加工して、漸くマジックバッグに仕舞い込む。

 それから最後に、水を捨てたボックス自体をマジックバッグに詰めて、僕は着ていた外套のフードを目深に被った。


 するとそれとほぼ同時に、ガサガサと子熊の出て来た茂みがもう再び音を立て、更に三匹の子熊を連れた母熊がのっそりと姿を現す。

 母熊は、実に大きな熊だった。

 体長はもしかしたら四メートルに達するかも知れない。

 僕が見た事のある熊よりも、一回りか二回りは大きな個体だ。

 毒等の特殊能力を備えてる場合を除けば、大抵の生き物は体格が大きくて、体重が重いほどに、単純に力が増して強くなる。

 つまりあの母熊は、熊としては相当に強いのだろう。


 母熊は、今も魚に夢中になってる子熊の元へと移動すると、警戒した様に子熊の身体をフンフンと嗅いで回ってた。

 僕は子熊に触れてないから、そこに匂いは残っていない。

 投げた魚も、一瞬掴んだだけだから、然程の匂いは付いてない筈。


 だから母熊は、ここにいる僕には全く気付かなかった。

 僕が身に纏う外套は、『隠者の外套』。

 普段は単に頑丈なだけの外套だが、フードを被って効果を発動させれば、三つの効果を発動させる。


 一つ目は存在感の希薄化。

 二つ目は装着者の体臭を外に漏らさない。

 三つ目は外套の色を装着者の意図で変化させ、周囲に溶け込む事の出来る迷彩機能だ。

 あまりに悪用し易いアイテムの為、錬金術師協会にアイテムの登録申請をした際に流通禁止品とされてしまった、僕のオリジナルの逸品。


 僕はそのまま熊達が去るのをじっと待ち続け、彼等の背中を見送る。

 子連れの母親は、それが熊であっても戦いたい物では決してないから。


 そうして隠れ続けた僕が帰路につけたのは、日が傾き始めるほんの少し前の事だった。


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