第73話
一週間、ウィルグルフは僕のアトリエに泊まって、それからバーナース伯爵の客人になった。
国への推挙を受ける前に、バーナース伯爵からも色々と教わる予定だそうだ。
後、兵士の護衛を受けて森に入り、最内層まで行って、魔力の調査を行っておくのだとか。
ウィルグルフは、決して弱くはないのだけれど、戦い慣れてる訳じゃない。
彼の知る森と、このイルミーラの森、大樹海の浅層は全くの別物で、実際に入って見なければその真の危険はわからないだろう。
ただこれは、大樹海の浅層が危険なのはもちろんだけれど、イ・サルーテの森には素材を求める錬金術師が頻繁に出入りし、管理されてるからってのも関係してる。
森が怖く、魔物が危険なのが当たり前という感覚が、イ・サルーテの錬金術師には薄いのだ。
繰り返しになるけれど、ウィルグルフは決して弱くはなかった。
正式な剣術を学んでて、優秀な錬金術師の嗜みとして、魔術も使える。
長くこの町に住んでその実力が知られれば、冒険者組合から是非にって勧誘の声が五月蠅くなる事は間違いないくらいに、腕は立つ。
でも一人で森に踏み入れば、最初の一回で帰って来なくなるだろう。
腕が立つからこそ、自分と他の冒険者の実力を比較して、この程度なら行ける筈だと判断し、考えるよりもずっと悪質な、大樹海の罠に嵌まる。
例えば、そう、魔蟲区のような、個々の魔物の強さなんて無関係の、とても危険な場所に踏み込んで。
ウィルグルフは優秀だからこそ、そういった場所にまで辿り着けてしまうから。
まぁ、バーナース伯爵の選ぶ護衛が一緒ならば、その心配も無用である。
ウィルグルフは、森に慣れた護衛の意向を無視して我を通すような愚か者ではないし、バーナース伯爵にしても彼を失う訳にはいかないから、腕利きを選んでくれるだろう。
僕が森を案内するって手もあったけれど、正直、僕は護衛にはあまり向いてはいなかった。
基本的に、僕はできるだけ隠れて敵をやり過ごしたいし、戦う場合でも不意を突いたり、道具を駆使して一気に倒したいタイプだ。
しかし同行者がいて、それを守らなければならないとなると、時には敢えて敵の注意を自分に向ける必要があるから、本来の戦い方とは真逆になる。
弱い敵ならどうにかなるが、森であっても最内層ともなると……、同行者を守り切れる自信は全くない。
それはさておき、ウィルグルフがバーナース伯爵の客人となった事で、僕の役割は一つ終わった。
やがてウィルグルフは推挙されてイルミーラ国に仕え、大樹海の魔力を調査する、氾濫の予測に関する責任者となる予定だ。
僕も興味はあるから、大樹海の魔力の調査は今後も少しずつ続けていくし、その結果を彼と共有したりして、手伝う事はあると思う。
ただウィルグルフは、こちらが来ると想定していたよりもずっと優秀な錬金術師だから、あまり出しゃばり過ぎない方がいいだろう。
宮仕えの立場だけを押し付けて、研究は僕の好きに動かすというのが、通じる相手じゃなかった。
栄達が叶えば後は無難に従ってくれるというタイプが、僕の勝手な理想だったのだけれど、なかなかそう上手くはいかない。
でも、逆に言えば錬金術に関して、あれこれと語り合ったり議論のできる相手が来てくれたのは、……素直に嬉しく思える。
以前はそんな相手がいなくても、別に平気だったけれども、ディーチェと共に研究したり、互いの作る品に関して批評し合うのが、実に楽し過ぎたから。
彼女がイ・サルーテに戻って以降、どうにも物足りなかったのだ。
ヴィールは、まだまだ錬金術を学び始めたばかりな上に、そもそもホムンクルスである彼が、創造した錬金術師である僕と意見をぶつけ合うのは、ちょっと難しいだろうし。
その点、ウィルグルフなら、キューチェ家に縁のある錬金術師でありながらも、僕への遠慮がそんなにないし、ありがたい議論相手であった。
楽しみと言えば、もう一つ。
ウィルグルフの来訪によって知った、このイルミーラに錬金術師協会の支部が作られるかもしれないって話。
僕はこれに、どういった形で関わろうか。
氾濫の予測に関しては、ウィルグルフが得るべき功績だ。
最初の形を作ったのは僕だけれど、完成させるのは彼でなきゃならないし、その為に遥々イ・サルーテから来てくれた。
国に仕えて得る立場と、氾濫の予測を形にして得た信頼で、ウィルグルフは錬金術師協会の支部の設立をイルミーラ側から後押しするだろう。
だったら僕が取るべきは、別のアプローチが望ましい。
別に派手な事である必要はないけれど、この地をそれなりに理解してる僕だからできる何か。
錬金術師協会の支部の設立に伴い、国外から多くの錬金術師が訪れるだろうから、地元の錬金術師との間に起きる軋轢の予測と対策。
今回、ウィルグルフが僕の家に泊まってる間に教えた内容等を纏めておけば、それを支部で国外からやって来た錬金術師に配る事ができると思う。
またそもそも設立前に、地元の錬金術師や、大きな商会に話を通して、理解を求めておく必要もあった。
幸い、僕はイルミーラの王都に拠点を、各町に支店を持つ大きな商会、クラウレ商会には伝手がある。
クラウレ商会は、以前にバルモアが働いていた商会だ。
その縁を辿れば、アウロタレアの町以外の錬金術師とも、話し合いの場は持てるだろう。
大樹海の深層の魔物、森の巨人を倒した錬金術師として、僕の名前は少しばかり知られてるから。
もちろん地元の有力者である、バーナース伯爵のコネも大いに使える。
錬金術師協会の支部が設立されたなら、そこではキューチェ家の派閥が大いに力を持つ。
そしてこのイルミーラで、今のところ最もキューチェ家と繋がりがある貴族は、間違いなくバーナース伯爵だ。
つまり錬金術師協会の支部の設立は、バーナース伯爵の発言力を大きく増す機会だった。
恐らくバーナース伯爵は、協力を惜しみはしないだろう。
なんというか、錬金術には直接関係のない事ばかりだけれど、今のこの国に、それをできるのは僕しかいない。
だったらまぁ、仕方のない話だ。
やるべき事を並べてみると、実に忙しい。
何より、錬金術師協会の支部が設立される際には、ディーチェもこの地に帰って来る筈だ。
その時、僕は彼女が驚くような何かを見せたいと思ってる。
構想は薄っすらとあるけれど、そろそろ具体的に案を固めて、取り掛かるべきだろう。
ヴィールには錬金術や魔術も教えなきゃならないし、バーナース伯爵の屋敷で行う講義も、当然ながら手は抜けない。
僕は一介の、町の錬金術師だから、アトリエで売る商品だって切らせないし。
本当にやるべき事は多いけれども、あぁ、でも暇を持て余すよりは、僕にはきっと向いている。
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