第25話
氾濫で溢れ出た魔物と言うのは、どうやら個々の意思よりも大きな何かに突き動かされているらしく、力の差がある相手にも怯えないし、死を目の前にしても怯まない。
本来の小鬼は勝てないと悟ればすぐに逃げるし、人狼は誇り高く、弱者や弱った相手を襲う事はない。
特に人狼に関しては、大樹海の中層で迷って飢えた冒険者が彼等に助けられたって話がある位に。
だけど今、アウロタレアの西門、……否、西側の防壁へと攻め寄せてる魔物の群れは、普段のソレとは全くの別物と化している。
もしも魔物達に門が、防壁が破られてしまえば、奴等は躊躇う事なくアウロタレアの住人を皆殺しにして、この地を木々に飲み込ませるだろう。
僕は自作のスリングショットに、ポシェットから取り出した赤色のカラーボールをセットして、群れの先頭目掛けてそれを放つ。
ぶつかり砕けたカラーボールは大したダメージを与えなかっただろうけれど、しかしぶちまけられた中身は期待通りの効果を発揮する。
赤いカラーボールの中身は、もはや香辛料としては利用出来ぬ程に刺激が強すぎる、岩唐辛子を細かな粉に加工した物。
軽く細かな粉は広範囲に撒き散らされる為、普段は多少使い辛いそれも、大群相手には使い出が良い。
全力で駆ける所にそれを撒き散らされ、思い切り吸い込んだ魔物達が、小鬼、中鬼、大鬼の区別なく転がり苦しむ。
しかしその苦しむ先頭の魔物達を、後続は躊躇わずに踏み潰して進み、辺りに残留していた岩唐辛子の粉を吸って、やはり一部が行動不能に陥る。
でもやっぱりその一部も踏み潰されて、魔物の群れの足が鈍ったのは、ほんの一瞬。
余りに凄惨なその結果に、僕の背を汗が伝った。
氾濫で溢れ出した魔物の何が恐ろしいかと言えば、奴等は別に理性を失った訳じゃないと言う事。
つまり魔人と呼ばれる魔物の特徴である、高い知能は健在なのだ。
にも拘らず、奴等は平気で仲間を踏み潰し、気にした風もなく前に進んでる。
けれども僕に、気圧されてる余裕はない。
少しでも魔物の群れの足を鈍らさなければ、追いつかれた冒険者が引き裂かれて殺される。
勿論、もう既に森の中で逃げ遅れた冒険者が何人も、何十人も殺されているだろう。
故にその犠牲を一人でも減らす為、黄色、透明、白と次々に僕はカラーボールを放つ。
夕暮れ時にカッと輝いた閃光は、黄色のカラーボールの効果。
フラッシュバンを再現しようと模索して、結局音は出せずに強力な光だけを放つ目潰しだ。
透明のボールは娼館に頼まれて作った潤滑油、要するにローションを詰めた物。
肌触りの良いローションはべた付かずに良く伸び、何よりとても滑る。
例え下が土の地面でも、つるりと足を滑らせ転ぶ位に。
最後に白の中身は以前と同じく、粘着性のジャイアントスパイダーの糸。
僕がカラーボールの中でも最も使い勝手が良いと思ってる白は、期待通りに多くの魔物を絡め捕り、それを踏み潰そうとする後続の一部も巻き込んで、それなりの時間を稼いでくれた。
まぁ使い勝手が良い分、白のカラーボールはコストも高いが、それでも今は人の命が優先だ。
その頃になると、町中から集まって来た兵士や冒険者達が弓での攻撃を開始した。
一斉に、雨の様に降り注ぐ矢は、大鬼は兎も角として、小鬼や中鬼ならば仕留め得る。
多数を占める小鬼や中鬼の足が矢の雨に鈍れば、流石の大鬼も好き勝手には前に進めない。
そうして稼がれた時間を使い、森から逃げて来ていた冒険者達は無事に門の中へと収容されて、西門は固く閉ざされる。
そうなると流石に不利を悟ったのだろう。
防壁の上で守備隊と戦っていた人狼達が、ひと声吠えると次々に撤退して行く。
小鬼、中鬼、大鬼、人狼の中で、最も厄介で危険なのは、間違いなく人狼だ。
後の脅威を減らす為、例え一体であっても人狼を狩っておきたいと守備隊の誰もが考えただろうが、奴等の撤退は余りに素早く鮮やかだった。
町を囲う防壁の外側は、深さ三m、幅五mの空堀が掘られていたけれど、人狼達は意に介した風もなく飛び越えて駆け抜け、魔物の群れの中に混じってその姿を消してしまう。
門を落とされると言う最悪の事態は避けられた。
しかしこれは単なる前哨戦に過ぎず、押し寄せる魔物に対して防壁を頼りに耐える戦い、長く苦しい防衛戦は、今これから始まるのだ。
故に、僕は守備隊の兵士に消耗したアイテムのリストを押し付け、現場を後にしてアトリエへの道を歩く。
僕は兵士でも冒険者でもないから、あの場所に留まったとしても直ぐに役割が割り振られる事はない。
……尤も、氾濫の時に大樹海の中層に潜れる人間を遊ばせて置くとも思えないから、暫く待てば防衛戦への参加要請は届くだろう。
だから僕が今するべきは、アトリエに戻ってヴィールとディーチェに状況を説明し、……それから防衛戦で使うアイテムの準備だった。
今回の相手は魔人種が主で、特に厄介なのは人狼の存在だ。
身に宿した魔力による自己回復を行う人狼は、真銀製の武器で傷付ければ回復能力を失うとされる。
だけど魔法金属である真銀は、アウロタレア中を探したって、そんなに量はない。
つまりは何らかの代替手段が必要になるだろう。
防衛戦は恐らく、短くとも五日は続く。
既に王都へと急を報せる早馬が出ていたとして、辿り着くのに丸一日。
それから軍が招集されて、糧食を用意し、作戦が立てられ、動き出すまでに、普通の軍なら早くて三日はかかる。
しかしイルミーラの軍はちょっと恐ろしくて信じ難い話だが、それを一日でやる事もあるそうだ。
更にそこからアウロタレアに辿り着くのに、強行軍で三日。
つまり最短でも五日は掛かる計算だ。
勿論これは全てが最短で行われた場合の計算で、実際には王都から援軍が到着するには、一週間から十日は必要だろう。
まぁそれでも十分に早い。
イルミーラの強みは、氾濫が起きた際には王都に防衛戦力を残さず、全てを大樹海への対処に割り振れる所だ。
背後、東の隣国であるツェーヌへの警戒を不要と断じ、時には王自らが軍を指揮して氾濫の鎮圧に向かう。
大樹海の氾濫は決して珍しい事ではなく、年に一度か二度は、どこかの前線の町が魔物の群れに襲われる。
それ故に王都は、王が座す都ではなく、前線のどこの町にでも速やかに軍を派遣可能な、イルミーラ軍の拠点であった。
その軍権を握るのが王であるから、そこが王都と呼ばれるだけだ。
なので防壁を頼りに耐え凌ぎさえすれば、確実に王都から軍は派遣されるだろう。
また近隣の町が同時に襲われてなければ、王都からの軍に先んじてそちらの援軍が来る可能性も高かった。
他国なら近隣の町同士だと、領主の仲が悪くて利権を巡っていがみ合う事も多いが、イルミーラでは人同士で争っている余裕がない。
大樹海と言う脅威に対しては、多少の損得には目を瞑ってでも、助け合わねば生き残れぬと皆が理解をしているから。
イルミーラと言う国は強い。
最短で五日。
長くても十日を耐え抜く為に必要な物は何なのか。
僕はそれを考えながら、辿り着いたアトリエの扉を開いてくぐる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます