第46話
バーナース伯爵から指定された日時、花祭りの時期まではまだ多少の時があるけれど、今回用意する薬は作成に時間が掛かる。
アトリエに戻った僕は、さっそく準備に取り掛かった。
まず今日の段階で必要な素材は、蜂蜜に水、それから酒精の素だ。
蜂蜜は贅沢に、森蜂の蜜を使う。
最近はヴィールの傍にずっと居て、殆ど採取に行けていないが、その分は知り合いから購入する様にしている。
だけどそろそろヴィールにも、薬草の摘み方くらいは教えても良い頃合いだろうか。
流石に戦いの方法も教えずに森に連れて行くのはダメだとしても、薬草畑で種類と摘み方を教える分には問題はない。
エイローヒ神殿の孤児達とは少し前、ヴィールがキチンと力加減を出来る様になった時点で会わせていて、まぁ何とか楽しそうに遊んでる。
子供は正直で遠慮がないから、ヴィールが泣き付いて来る事もあるけれど、それも必要な経験だろう。
森での採取に同行させるなら、戦い方も教えなきゃいけない。
でもそうなると誰がヴィールにそれを教えるかって問題が出て来る。
僕は戦い方を教えるにしてはヴィールに対して甘過ぎるだろうし、そもそも実力だって中途半端だ。
武器に格闘術に魔術に錬金アイテムと、多様な手札を組み合わせて状況に対処しているが、基礎となる戦闘力は然程に高くはない。
ヴィールは折角学習能力が高いのだから、基礎は高いレベルで身に付けた方が良いだろう。
しかし明確に僕以上に戦闘力がある実力者と言うと、……そんなに知り合いには多くなかった。
第一に候補として思い浮かぶのはバルモアだ。
彼女の剣、……まぁ剣だけじゃなくて槍も斧も時に使うけれど、武器を使っての戦闘術は一流で、武闘祭の武器部門でも準優勝をしている。
ただバルモアは、実はもうすぐ結婚して傭兵を引退する心算らしく、もしかするとアウロタレアから出て行ってしまう可能性も高かった。
相手は例の、ラールと言う名の弓手だそうだが、傭兵を引退した後もこの危険が多いイルミーラで暮らす理由はない。
二人に対して、ヴィールに剣や弓を教えてやってくれと頼んだら、少なくともその期間はイルミーラで暮らす理由になり得るだろうか?
次に第二の候補として思い浮かぶのは、シュロット・ガーナー。
彼の武力は多分このアウロタレアの町では最強だ。
武闘祭の武器部門の優勝者と比較しても、シュロットの強さは一枚上だと僕は見てる。
ただ問題は引き受けてくれるかどうかと、引き受けてくれたとしてもシュロットは領主の護衛としてあまりバーナース伯爵から離れられないだろうから、必然的に学ぶ場所は領主の屋敷となるだろう。
……今の僕とバーナース伯爵の関係ならば、それを否とは言わないだろうが、継続的に借りが増えて行く事になりそうだ。
まぁ、悩むのは後回しにしよう。
バルモアにもシュロットにも、まずはその気があるかを聞いてみて、答えが是であればお願いしてしまえば良い。
双方ともに是であったなら、それはとても贅沢な話だ。
魔術は流石に僕が教えるにしても、斥候術の師も誰か良い人は……。
いや、そう、さて置き、それは後回し。
今は先に、目の前の作業を片付けて行かねば。
と言ってもやる事は簡単で、森蜂の蜜に水をゆっくり注ぎながら掻き混ぜ、酒精を宿した後に魔力を注いでから密閉する。
今日の所はこれだけだ。
一体これで何が起きるのかと言えば、それは蜜の酒化だった。
と言っても一瞬で酒になる訳じゃなくて、水を加えられて酒精を宿した蜂蜜は、時間と共に少しずつ酒に変わって行く。
ここに毎日魔力を注げば、一週間から二週間で魔力の籠った蜂蜜の酒が出来上がる。
そうして出来上がった酒と、幾つかの素材から薬効を抽出して魔力を加え、ポーション化した溶液を混ぜ合わせて少し寝かせれば、僕の実家であるキューチェの家に秘伝される妊娠薬、蜜月の酒の完成だ。
作業自体の手間はそうでもないが、蜜月の酒は完成までの管理に手間が掛かる薬であった。
だけど薬と言うと即ち治療と勘違いされがちなのだが、蜜月の酒は不妊の状態を治療する薬ではない。
妊娠薬の言葉通り、この薬を服用した男女の交わりによって、強制的に子を妊娠させる薬である。
なので薬の効果が切れた後、再びどんなに頑張っても子供を授かる訳でなかった。
より具体的に使い方と効果を言えば、まずは男性がこの薬を口に含み、口移しで女性に飲ませる。
次に女性が同様に、男性に対して口移しで薬を飲ませる。
すると蜜月の酒は媚薬としての効果もあるので、必然的に男女はその行為を始めるだろう。
体内に入った蜜月の酒は、男性の場合は精を作る場所へと辿り着き、その場所を利用して自らを種と化す。
同じく女性が飲んだ蜜月の酒は、卵を蓄えた場所に辿り着いて自らを卵と化すと同時に、自らが根付く為の畑の環境を整える。
やがて行為によって放たれた種は、蜜月の酒が秘めた魔力によって導かれ、卵の場所へと辿り着き、受精して畑に根付くのだ。
実に問答無用の効果だが、だからこそ錬金術の秘伝の薬と言った感じがすると、僕は思う。
蜜月の酒には媚薬効果と、加えて強壮剤としての効果も強いので、服用した男女は繰り返し薬を口にしながらも、三日三晩は行為に及ぶ。
キューチェの家に伝わる話では、蜜月の酒を使って妊娠しなかった事は一度もないそうだ。
「蜂蜜ーっ!」
僕が取り出した素材、森蜂の蜜を見てはしゃぐヴィールの頭に、僕はべちりと手刀を落とす。
確かに森蜂の蜜は美味しいけれど、錬金術の素材は錬金術師が自ら楽しむ為の物じゃない。
余った場合はその限りじゃないけれど、いずれはヴィールも錬金術を会得するなら、その前提は違えてはいけないのだ。
それに蜜である今なら兎も角、酒化した後の物を味見したがられても困ってしまうし。
「これは薬に使う素材だから駄目だよ。黒蜜がまだ残ってるから、お昼のパンケーキにしてそれをかけようか」
僕はそう言ってヴィールの頭を撫でた。
これで作業前にはもう一度手を洗わなければならなくなったが、まぁそれは手刀を落とした時点でそうだったのだから、ついでだ。
もしもディーチェがこの場に居たら、また甘やかしてると溜息を吐かれてしまいそうだけれども。
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