第71話
僕が実家であるキューチェ家に人を求めた理由である、大樹海の魔力の調査、氾濫の予測は、はっきり言ってイ・サルーテの錬金術師が魅力を感じる仕事じゃない。
イルミーラにとって、氾濫は生活を脅かす脅威であり、その被害を少なくする仕事はこの上ない名誉がともなうけれども、遠いイ・サルーテでそれを理解するのは、間違いなく無理だ。
国への任官が餌だから、そりゃあ希望者はいたと思うが、それでもウィルグルフが飛び付くような話じゃない筈。
なのに彼は、他の誰にも譲りたくないから、真っ先にイルミーラ行きに立候補したという。
よくわからずに首を傾げてると、ヴィールも僕の真似をして、首を傾げる。
それが面白かったらしく、ウィルグルフは可笑しそうに、声をあげて笑った。
「あぁ、まぁ、そうなるよな。でも、俺にとっては仕事の内容よりも、任官よりも、この国に来て、お前と関わる事が大事だったんだよ。キューチェ家の天才」
彼の物言いは、本当によくわからない。
ウィルグルフは、何かを隠してるというよりも、勿体ぶってる感じがする。
だけどその、彼が勿体ぶってるものが何なのか、僕には想像が付かないのだ。
「白銀姫ってわかるか? ディーチェ・フェグラー嬢のあだ名だけどさ、彼女がイ・サルーテに戻ってから、錬金術師協会は大騒ぎだ」
でもそこで出てきたのは、今はイ・サルーテに戻ってる、ディーチェの名前。
彼女は妃銀という、魔力を生み出すという画期的な特性を持つ新しい魔法合金を引っ提げて、ホムンクルスの権利を錬金術師協会に認めさせてくると言ってた。
あぁ、どうやらその言葉通りに、ディーチェは錬金術師協会を大いに騒がせているらしい。
「でも彼女は、以前はあんなじゃなかったんだぜ。そりゃあ魔法合金にかけては導師に次ぐって噂があるくらいに優秀だったけれど、自分で新しい何かを作るタイプじゃなかった」
ウィルグルフはそう言って、ニヤリと笑う。
何だか随分と、彼はディーチェに関して詳しいみたいだ。
以前の彼女は、キューチェ家の一派とは無関係の錬金術師だったのに、ウィルグルフはそれを知っていたのか。
……妙な話だけれど、少しばかり、悔しさを感じる。
「ここで何があったか。誰もが不思議がってたけれどな。この国にお前が、キューチェ家の天才がいるって聞いて、俺にはわかったさ。嵐は西で起きるんだってな」
まるで僕が嵐を起こすみたいにウィルグルフは言うが、そんな予定は、今のところは全くない。
いや、うぅん、ディーチェがホムンクルスの権利を錬金術師協会に認めさせた後、ヴィールの存在を公表すれば、やっぱり騒ぎにはなるか。
僕がヴィールをちらりと見れば、やっぱり彼には話の内容が難しいらしく、退屈なのか、椅子に座って足をぶらぶらさせている。
その仕草に、僕の気持ちが少し緩む。
油断するって事じゃなくて、無駄な力が抜けるって、いい意味で。
「白銀姫は、ホムンクルスの権利の明文化と、それからもう一つ、恐らく彼女は、このイルミーラって国に錬金術師協会の支部を作ろうとしてるんだろうさ」
あぁ、なるほど。
漸く分かった。
ウィルグルフはイルミーラに錬金術師協会の支部ができると見て、先んじて国の中で地位を得ておく事で、その支部の設立にも関わり、重要なポストに食い込む心算なのだろう。
錬金術師協会の西部諸国支部は他の国にあるけれど、素材調達の関係上、イルミーラに支部ができれば強い力を持つ可能性は高い。
これまではあまりに遠すぎて重視されなかったが、大樹海の素材で、妃銀という新たな魔法合金が生み出された事は、この地に対する認識を一変させる効果があった。
ディーチェに、ウィルグルフ。
彼らが中心となって作る錬金術師協会の支部は、派閥としては完全にキューチェ家に染まる。
するとキューチェ家の一員である僕が生み出したホムンクルスは、その庇護を強く受けられるという事か。
ヴィールだけでなく、僕が今後も生み出すであろう、幾人ものホムンクルスの全てが。
発案者は誰だろう。
ディーチェか、それも我が兄か、或いは導師のローエル師か。
それが誰であったにしても、本当にありがたい話である。
なら僕は、その実現に向けて、少しでも多く働き掛けを行おう。
イ・サルーテではなく、現地のイルミーラに、大樹海の傍にいるからこそ、できる働き掛けを。
その一つが、僕が集めた大樹海の魔力の調査結果をウィルグルフに引き渡し、彼が滞りなくバーナース伯爵の推挙を受けられるようにする事だ。
或いは、まだ大樹海を知らないウィルグルフを、森と呼ばれる範囲だけでも案内するとか。
他には、珍しい素材を採って来て、イ・サルーテに送るのもいいだろう。
この地で採れる素材の珍しさが錬金術師協会に伝われば、支部を作るって話がより動き易くなる筈だから。
だけど、これからウィルグルフとの付き合いが長くなるなら、これだけは言っておこう。
「ウィルグルフ。一つだけ言っておきたいんだけど、そろそろキューチェ家の天才はやめて欲しいな。僕の名は、ルービットだよ」
かつては、イ・サルーテの錬金術師協会で学んでいた頃は、確かにそんな風に呼ばれた事もあった。
でもそれは、あの錬金術師協会の中だけで、イ・サルーテの錬金術師の間だけで、通じた呼び名だ。
僕はもう彼が見守らねばならなかったキューチェ家の坊やではないし、ここはイ・サルーテじゃない。
むしろあの地の常識が、あまり通用しない場所だった。
「人と自然が戦う西の果て、イルミーラにようこそ。多分、戸惑う事ばかりだと思うけれど、僕は君を歓迎するよ」
恐らくディーチェが、昔と比べて変わったならば、それは僕に影響を受けたってだけじゃなくて、このイルミーラが、彼女をそうさせたのだろう。
きっとウィルグルフも、この地に来た事で、何かが変わる。
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