第30話


 森の巨人が倒れた事で、生き残った魔物は大樹海へと帰ったか、或いは驚き戸惑ってる間にアウロタレアの守備隊に打ち取られたと言う。

 要するに氾濫は完全に鎮圧されて、アウロタレアの町は守られたのだ。


 それから後の話だけれど、まず驚いた事に王都からの援軍は僕が巨人を倒した夜に本当にやって来た。

 だけど彼等はアウロタレアが独力で氾濫を退けたと知ると、すぐに別の町を救援する為に移動してしまったらしい。

 たった一晩の休息も取らずに。

 イルミーラの国に住む一人としては実に頼もしいけれども、僕は絶対に国軍には所属したくないと、心の底から思う。


 アウロタレアの町を取り囲んだ木々は、放って置けば獣や魔物が棲み付き、本当に森が広がってしまう為、大急ぎで切り倒されてる。

 樵だけじゃ手が足りないからと、冒険者も大勢がその手伝いに駆り出されて。

 しかし逆に言えば、今はまだ獣や魔物が居ないから、木々の伐採中に襲撃を受ける心配が殆どない。

 樵達は稼ぎ時だと大いに張り切り、また苦境を抜けた解放感も手伝って、アウロタレアの町は活気に沸いてお祭り騒ぎだ。


 だけど今、僕はそんな大騒ぎの町とは切り離されたかの様な、静けさを保つ場所でお茶を御馳走になっていた。


「改めて礼を言わせてもらおう。君があの巨人を仕留めてくれなかったら、町に出た被害は尋常ならざる物になっていた」

 そう言って僅かに、会釈程度に頭を下げたのは、このアウロタレアの領主である貴族、ターレット・バーナース伯爵だ。

 そしてその斜め後ろには、一人の護衛。

 ここ数年、夏、冬の両方の武闘祭で、格闘部門の王者に君臨し続ける男、シュロット・ガーナーだった。

 無手の使い手故に魔物相手なら兎も角、対人同士の戦闘ではアウロタレアの町で最強であろう彼の近く、間合いの中で貴族と会談をするのは、幾ら正規の謁見でなくとも妙な緊張を強いられる。


「極上素材が自分からやって来てくれたので、錬金術師として採取に行ったまでです。その結果として町の窮地を救う一助となったのなら、住人の一人としては幸いでした」

 でも怯んでいる余裕は、今の僕にはない。

 雰囲気に飲まれてしまえば、相手の思うが儘にされてしまう。

 ターレット伯爵が僕を呼び出した目的は、最初から察しも付いていた。


「そう、その素材だ。君もわかってくれるとは思うが、深層の魔物の素材は莫大な価値を持つ。討伐がなされたとの報告があれば、何時になれば素材が売りに出されるのかと国内外から問い合わせが殺到する程に、ね」

 その言葉に、僕は頷く。

 勿論、そんな事はわかってる。

 わかった上で言わせて貰うならば、それがどうした。

 知った事か。

 あの森の巨人は僕が討伐したのだから、所有権は全て僕にある。


「そうですね。莫大な価値を持つ素材を大量に得られたので、錬金術師としてはアトリエに籠って研究に励みたいんです。それ以外の事には一切煩わされずに」

 だけどそう言って相手の申し出を突っぱねてしまうのは、あまり現実的とは言えない。

 素材を譲れと言う申し出を、断る権利は僕にあった。

 あるのだけれど、断ってしまえば素材を欲しがる有象無象は、僕から直接素材を得ようと色々な交渉を持ちかけて来るだろう。

 まさか森の巨人を倒した僕に、襲撃を掛けて素材を奪おうとする馬鹿は居ないと思うけれど、店にちょっかいを掛けたり、ディーチェが狙われる事はあるかも知れない。


 それ位ならば素材の幾らかはターレット伯爵に譲り、恩を売りつつ、庇護を受けた方が無難だった。

 そうなると問題になるのは、どの程度の量をターレット伯爵に譲るかだ。


「……時間が惜しいな。ルービット君、ここからは腹を割って話さないか? 君もどうする事が自分にとって最も無難で利益が確保できるか、既に理解しているのだろう?」

 実のところ、ターレット伯爵も僕に対してあまり強くは出られない理由がある。

 と言うよりも当たり前の話なのだが、僕は氾濫で魔物との戦いに多大な貢献をした。

 にも拘らずターレット伯爵が僕から暴利を得ようとし、その結果に腹を立てた僕が町から去ったとすれば、彼の領主としての評判は地に落ちる事になるだろうから。

 強さを貴ぶイルミーラで、そんな醜聞は領主としては致命傷だ。


「えぇ、では半分でいかがでしょうか。二つある物は片方を譲ります。但し一つしかない物は僕が貰います。あぁ、その分、骨や血等はそちらが多く持って行って下さっても構いません」

 僕の、最初から大幅に譲歩した申し出に、ターレット伯爵は暫し考え込む。

 最初から譲歩してると言う事は、それ以上は決して譲歩しないとの意思表示だ。

 腹を割れと言われたから、その通りに交渉の余地のないラインを提示した。

 もしも最初に譲歩の余地を残した提案をしていたならば、交渉の結果としてより多くを持っていかれてしまう事もありえただろうから。


「…………何か、何か一つ目玉が欲しいのだよ。国外の王侯貴族には、魔物の素材を権威を示す為の道具に使いたい者も多くてね」

 成る程。

 僕にとっては素材としての価値が低くても、インパクトのある何かが欲しいと。

 その位であれば、先程出した条件である『骨はあちらが多め』の範囲に含めても良いだろう。


「では頭蓋骨は全てそちらに。歯も全て付けて。その代わりに、僕から直接素材を得ようとする様な輩は、そちらで対処をお願いします」

 巨人の大きな頭蓋骨なら、迫力は十分にある筈だ。

 僕の言葉にターレット伯爵は満足気な笑みを浮かべる。

 ターレット伯爵としても、素材のやり取りを金だけで解決できない錬金術師は、交渉相手として面倒な部類だった筈。


「勿論だ。住人が不自由なくこの町に住める様に手配するのは、領主である私の務めだからね。ルービット君も何か困った事があったら、遠慮せずに言って来てくれたまえ」

 そう言ったターレット伯爵と僕は、しっかりとした握手を交わす。

 先程の言葉は、素材に関してターレット伯爵に譲歩した分、僕が町中の出来事で困ったならば、彼が手助けしてくれるって意味だろう。

 ならば十分以上の見返りだった。

 何せ領主は、アウロタレアの町中に限れば最高権力者である。

 その後ろ盾が得られたならば、……恐らく何かの役には立つだろうし、本当ならば役に立つ様な事態が起きないのが一番だ。



 町の外れの、領主の城を出た僕は、大きく大きく息を吐く。

 やっと縛り付ける様な緊張が解ける。

 去年の武闘祭で見たからシュロット・ガーナーが強いと言う事は知っていたけれど、あそこまで底知れない化け物だったとは思ってなかった。

 勿論サイズが違い過ぎるからシュロットは巨人には勝てなかっただろうけれど、それは単に相性の問題であって、僕ではどう足掻いても彼には勝てない。

 多分魔術を使う猶予すら、与えてはくれないだろう。

 もしもそれでも彼に勝とうと思うなら、コストを度外視して対策の錬金アイテムを開発する必要がある。


 尤も領主の護衛であるシュロットと、僕が戦う事なんてありえない話だろうけれども。

 まぁそれよりも、一刻も早くアトリエに帰って、森の巨人の素材を研究しよう。

 ディーチェも今、森の巨人の素材を使った、新しい魔法合金の開発に協力してくれている。

 その魔法合金の特性次第では、ヴィールが外で活動する為の霊核の完成も近いかも知れない。


 これから暫くは、楽しくて仕方がない研究の日々が続くのだ。

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