第7話 アイオロスの笛

「笛を作るのは簡単だ。材料はブナの木の枝、紐、それに穴を空けるための錐。これだけあれば作れる」

「わかった。早速枝を採りに行きましょう」


 レクスの話を聞いたロザリンドは即座に頷き、森に行こうと歩みを進める。

 森に入る前にレクスが笛を取り出して、紐を持って振り回す。

 ヒィィィ、と独特な高い音が出て、森に巣食っている魔鳥たちがギャアギャアと鳴く声が聞こえた。

 人間を見かければすぐさま襲いかかってくるステュムパリデスが嫌そうに翼をはためかせてこちらを遠巻きに眺めているだけなのを見て、本当に効果のある笛なのだなと実感した。

 笛を回しながらも抜け目なく周囲に気を配りつつ、腰に帯びた剣をいつでも抜けるようにしているレクス。

 ロザリンドも警戒を怠らないようにしながら手頃なブナの木を探した。

 全ての木々は魔鳥によって荒らされ、めちゃくちゃにされていた。


「かつて森には、色々な鳥が来ていたの。金鷲、雉、白鷹、サファイアミミズク……」


 ロザリンドは在りし日の平和な時に思いを馳せる。

 峡谷を吹き抜ける風に乗り、種々の鳥がのびのびと飛び回る様は、ロザリンドの大好きな光景だ。

 鳥たちから羽根をもらい、その羽根を大切に加工して道具にする。子爵領地に代々受け継がれてきた技術は、自然を生きる鳥たちを大切にし、丹精込めて作り上げる極上の逸品である。


「……けど、もう無理そうね」


 ロザリンドは森を見回しながら息を吐く。

 ステュムパリデスの縄張りと化した森は、木々が食い荒らされ、元の美しい森とは似ても似つかない状態となっている。羽根ペンを作るために欠かせない鳥たちもこれではもう来ないだろう。


(暗くなっている場合じゃない。今はとにかく、ブナの枝を集めてアイオロスの笛を作らないと。それがあれば森を抜けることが可能になるから、領民たちを安全に逃すことができる……!)


 北のシュベルリンゲン伯爵領であれば、事情を話せばランカスター子爵領の領民を受け入れてくれるだろう。

 ロザリンドは手の届く位置に手頃な枝はないかと探した。


「ねえ、落ちている枝はだめかしら」

「新鮮なものの方がいい」

「そう……なら、木登りするしかないわね」


 ロザリンドは上を向き、指を差す。


「このブナの木の枝なんてどう? 加工するにも持って帰るにもちょうどいい大きさだわ」

「あぁ、そうだな。……いや待て。登るつもりか?」

「木登りは得意なの。魔鳥が来ないように見張っていてもらえるかしら」

「おい」

「よっと」


 ロザリンドは慌てるレクスに構わず、木にスルスルと登り、それから手頃な枝をバキボキ折って集めた。


「レクス、持ちきれないから落とすわよ」

「おいっ」


 言うなり枝を落とすロザリンド。レクスはなんだかんだ言いながら片手で枝を受け止めてくれたので、遠慮なくどんどんと枝を折って落とすことにした。


「このくらいあれば充分かしら」

「充分すぎる。一体何個作るつもりだ」

「勿論、領民全員に行き渡るくらいたくさんよ。さ、早速帰って笛作りね」


 ロザリンドは目の前が見えなくなるほど小枝をうずたかく積みあげ、抱えて歩く。レクスは笛を振り回しながら、そんなロザリンドの隣に立って歩き出した。


***


 領主館に帰ったロザリンドは、動ける者たちを集め、レクスに教わりながら笛を作った。


「まずは枝を適度な大きさに切って、表面が滑らかになるように木の皮を削る。それから穴を空けるんだ」

「こうかしら」


 ロザリンドは笛に紐を通し、出来具合をレクスに確認してもらった。受け取ったレクスが軽く笛を振り回すと、レクスが持っていたものよりも微妙にずれた音が鳴る。


「穴が小さいな、もう少し大きく空けないと音が変わる」


 錐を持ったレクスが穴を広げ、再び振ると今度は森で聞いたものと同じ音が聞こえてきた。

 レクスが微調整してくれた笛を首にかけ、胸元に下げる。

 お守り代わりに肌身離さず持つことにしようと、心に誓った。


「レクス殿、これはどうでしょうか」


 一人の男が出来たばかりの笛を振り回しながら言った。


「あぁ、良く出来ている」

「これはどうですかな」

「これは?」


 次々に笛を振り回す男たちに、レクスは一つ一つを丁寧に確認していた。


「どれも良い出来栄えだ。皆、器用なんだな」

「ランカスター領の者は大体のものを手作りして生きていますので、武器を手に取るより、何かを作る方がよほど馴染みがあります」

「生活に必要なものは、森にあるものを加工すれば手に入りますからなあ。しかしこのような笛であの凶暴な鳥どもが退けられるとは、にわかには信じられない」


 領民たちは小指ほどの大きさの笛をためつすがめつ眺めていた。


「私もそう思ったけど、本当に笛を回すと魔鳥は嫌がって近寄ってこないのよ。レクスの話では、ヴァルモーデン王国の東部地方では広く普及しているらしいわ」

「ほう、レクス殿は東部地方にも行ったことがおありですか」


 こくりと頷くレクスは、次の笛づくりに取り掛かっている。

 ロザリンドは自分の笛を作りながら、ちらりとレクスの様子を上目遣いに窺った。

 ヴァルモーデン王国は広い。

 国の西端にあるランカスター子爵領地から東部地方までは、徒歩で行くならば二月ほどかかる距離がある。

 そんなにも国中を旅して回っている理由は一体なんなのだろう。

 気になるところだが、レクスは自分のことを尋ねられるのを嫌がっているような部分がある。命の恩人にあれこれ尋ねて機嫌を損ねるのは本意ではない。窮地を救ってくれたこと、魔鳥を退ける笛の作り方を教えてくれていることに感謝をし、口をつぐむべきだろうと結論づけ、ロザリンドはせっせと笛づくりに勤しんだ。


 夢中で笛を作っていたら、あっという間に時間が経ってしまった。

 窓の外を見たロザリンドは陽が傾き始めているのを見て腰を浮かせる。


「あら、もう夕方。皆、そろそろ夕食にしましょう。用意してくるわ」

 そうして部屋を出ようとしたロザリンドに、レクスが驚いたように声をかけた。

「使用人ではなく、子爵令嬢の君が作るのか?」

「崖の上にある領主館は魔鳥に狙われて危険でしょう? 戦える者以外、皆崖下に避難しているのよ。それにランカスター領は小さい領地だから、元々使用人はほとんど置いてないの。自分でできることは自分でやっていたのよ。じゃあ、夕食まで少し待っていて。あ、今夜はぜひこの館に泊まって行ってね。あとで部屋に案内するわ」


 ロザリンドの言葉にレクスは呆気に取られていた。

 領民たちの方を振り返り、「いつもこんな感じなのか?」と問いかけている。領民たちはしきりに頷いていた。


「あぁ、ロザリンド様はいつもこんな感じです」

「なんでもご自分でこなしてしまうんですよ」

「初めて会う人には儚げな深窓のご令嬢の印象を与えていたのですが……馬にも乗れるし、木にも登れるし、料理も畑仕事もなんでも率先してやるようなお方です」

「……そんな令嬢、聞いたことがないぞ」


 レクスの感想は最もだ。普通、令嬢というのは音楽や刺繍やダンスやマナーを学び、家のことは使用人に任せ、着替えさえも自分ではしない。

 ロザリンドは幼い頃から北隣のシュベルリンゲン伯爵領の令嬢ヴェロニカと仲良くしているのだが、確かにヴェロニカが家事をしていると聞いたことは一度もない。

 しかしランカスター子爵領は小さく、さほどの収入もないため、全てを使用人任せにするのは不可能だった。

 結果的に自分のことは自分でやるようになり、今のロザリンドが出来上がっている。


(少し前までは、お母様と一緒に食事を作っていたのだけれど)


 ロザリンドの脳裏に、幸せだった頃の記憶が蘇る。

 ステュムパリデスが飛来してくる前は、領主館の中はもっと笑顔が溢れていた。

 父と兄が協力して領地経営をし、母とロザリンドが家の仕事をしながらそれを支える。

 食事の時には家族が揃って、森の恵みに感謝しながら料理をいただき、今日あった出来事を話すのだ。

 今年は渡り鳥の飛来が多く、いつもより多くの羽根が手に入りそうなこと。

 木の虚にリスの親子がやって来て巣を作ったこと、花が咲いたこと、峡谷風が乱れたからきっと明日は雨が降るだろうこと。

 そうした些細なことを話す日々がどれほどかけがえがなく、幸せだったのか、失った今となって初めてわかる。


「ロザリンド様……」

「あ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしちゃって。じゃあ、用意してくるわね」


 領民に話しかけられて我に返ったロザリンドが部屋を出て行こうとする前に、部屋の扉が開かれた。

 立っていたのは、兄のフィルを診ていたはずの、子爵領地にいる唯一の医師だった。


「少しよろしいですかな、ロザリンド様」


 医師の表情は良くない。明らかに悪い知らせを持ってきたであろう医師を見て、ロザリンドは覚悟を決めざるを得なかった。

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