第4話 一年前
新国王レナードが即位してから二年。
ロザリンドは工房にて、あいも変わらず羽根ペンを作る日々を送っていた。
今現在作っているのは、サファイアミミズクの羽根を使ったものである。
そうして真っ青な羽根を加工していると、二年前の出来事が思い起こされる。
ーー二年前の国王陛下就任式典はまるで夢のような時だった。
王城の広間では若く見目麗しい国王レナードが王冠を戴いて玉座に座り、貴族諸侯からの挨拶と献上品を受け取る。そして隣には、王弟となった第二王子アレクシス様が涼やかな顔で立っているのだ。
レナード様とアレクシス様は腹違いの兄弟であり、なんと生まれた日にちは一日しか違わないらしい。
一日違いで兄となったレナード様は正妃の子で、国王陛下の特徴をよく受け継いでいた。
金色の髪、澄んだ青空のような瞳。聡明で心優しいところまでが先王そっくりで、ランカスター子爵家のような小さな貴族家にまでも丁寧な言葉をかけてくれた。
一方の王弟アレクシス様は、傾国の美姫と謳われた第二妃によく似た風貌だった。
青い髪を短く切り揃え、青とも赤ともつかない朝焼けのような神秘的な瞳を持つアレクシス様は、レナード陛下の横に静かに佇んでいた。
理知的で優しいレナード様。
頭脳明晰で武芸にも秀でているとの噂が名高いアレクシス様。
きっとこのお二人がいれば、ヴァルモーデン王国は安泰だろう。
誰しもがそう思っていた。
けれども。
ロザリンドは式典後に起こった事件について考え、少し心を曇らせる。
噂によると就任式典後、王弟アレクシス様はどこかに失踪してしまったらしい。
一体どこに消えたのか、当時は国を挙げての大捜索命令が出たのだが、結局のところ二年経った今でも行方はわかっていない。
国王陛下は就任直後の大事件に大変心を痛めていたらしいのだが、今は立ち直ったのかこの件に関してはもはや言及していないらしい。
ともあれレナード陛下は弟の存在を欠いてもよく国を治めているともっぱらの評判だった。
「ロザリンド様、おはようございます!」
「おはよう、ミューレ」
思考に耽っていると工房の扉が開き、元気な声が飛んできた。見やるとそこには、つい先日十歳になってロザリンドの工房に弟子入りを果たしたミューレの姿が。
「ロザリンド様、削りやすい葦の茎、集めてきました!」
「ご苦労様。じゃあ早速やってみましょうか」
「はい!」
弟子入りしたと言ってもまだまだ日が浅いミューレは、本物の羽根を扱うには程遠い。まずは綺麗な形に削れるよう、ナイフの扱いから覚える必要がある。
ロザリンドは葦の茎を一本手に取ると、削り方を教えた。
「ペン先はインクに浸しやすいように、一方だけをなるべく細く削るの。それから書きやすさを重視して先端に縦の切り込みを入れる。こんな風に」
「わぁ、すごい……!」
ロザリンドがあっという間に葦の茎をナイフで削って整えたのを見てミューレは目を輝かせた。手にとってくるりと回し、感嘆の息を漏らす。
「あたしも早くこんな風に、綺麗に削れるようになりたいです」
「頑張って。ミューレにならできるわ」
「はい!」
ミューレは自分のナイフを手に、大量の葦の山から一本を手にとって削り始める。
ロザリンドはミューレの様子を気にしつつも自分の作業に戻った。
どのくらいの時間、工房に篭って作業をしていたのだろうか。
にわかに外が騒がしくなった音でロザリンドははっと現実に引き戻される。
聞いたことのない羽ばたき音と鳥の鳴き声、それに人々の悲鳴が聞こえた気がした。
「ロザリンド様、今の音は……?」
ミューレも不安そうにロザリンドの顔を見ている。
「何かしら。ミューレはここにいて」
ロザリンドはナイフと仕上げ途中だったペンを置くと、工房の扉を開けて外へ出た。
目に飛び込んできた光景は、きっと一生忘れることはないだろう。
崖の上の空を覆い尽くすように飛ぶ、ロザリンドが見たことのない鳥。
赤茶色の羽根を広げ、真紅の鉤爪を持つ鳥たちの夥しい数。鳥たちはギャアギャアと背筋が粟立つような悍ましい鳴き声を上げながら上空を旋回している。
ーー一体何が起こっているの……!?
ロザリンドが状況を理解できないでいると、崖の上から多くの領民たちが崖下の工房へとやって来た。
「ロザリンド様、すぐに工房内にお入り下さい! 上は鳥の襲撃を受け、とんでもない有様となっています!」
「なんですって!?」
崖上に状況を確かめに行こうとするロザリンドを、領民が押しとどめた。
「いけません! あの鳥どもは人を襲う! 迂闊に姿を表せば、殺されてしまいます!」
「鳥が、人を襲う……!?」
「左様です。あれはおそらく、魔鳥と呼ばれる類の生物……! さぁ、早く!!」
半ば強引に押されるようにして工房に入ると、直後に悲鳴が聞こえてきた。
「…………!!」
ロザリンドの見知った領民が、一人、また一人と魔鳥に咥えられ、あるいは鉤爪を腹に食い込ませ、絶命してゆく。
「ロザリンド様、どうしたのですか……?」
「ミューレ、見ちゃダメよ!」
ロザリンドは窓辺に近づこうとしたミューレを鋭い声で押しとどめた。
とにかく鳥が、工房の窓を突き破って襲撃してこないことを祈るしかない。
生きた心地がしない中、皆で息を顰めてじっとする。
やがて鳥の鳴き声が遠ざかると、そうっと外へと出て、崖の上へと上ってみた。
惨状は、予想以上だった。
あちこちに傷ついた領民が横たわり、ピクリともしない。大量の血痕がこびりついた街は、今朝方までいつもと変わらず平和だった街からは想像もつかない状況だった。
「…………っ」
ロザリンドは震える足で歩みを進め、領主館の扉を開けた。
「ロザリー」
「お父様、お母様、お兄様!」
家族の無事を知ったロザリンドはひとまず安堵する。
「一体何が起こったんですか?」
「わからない。突然鳥が飛んできたかと思えば、この有様だ」
兄がため息をつきつつ首を横に振る。父は難しい顔をしていた。
「赤茶色の羽を持ち、鋭い嘴と鉤爪を持つ鳥。あれはおそらく魔鳥ステュムパリデスと呼ばれる、人に害を及ぼす類の生き物だ」
「討伐はどうします?」
「勿論するとも」
兄フィルの言葉に父は即座に答えた。
「お父様、ご無理なさらず」
「何、北のシュベルリンゲン伯爵様のお力も借りるさ。そうすればあんな鳥などひとたまりもない」
父の頼もしい言葉に、ロザリンドも確かに、と思った。
北に位置するシュベルリンゲン伯爵はランカスター子爵領と昔からの付き合いがあり、頼めば兵を出してくれるだろう。子爵家とは段違いの兵力を持つ彼らの力を借りられれば、すぐに討伐してくれるに違いない。
この時はロザリンドも楽観的にそう思っていた。
しかし事態はそう甘くないということを、すぐに思い知ることになる。
ーー魔鳥ステュムパリデスは凶悪な性質を持つ鳥であり、鋭い嘴で襲いくれば兵士のまとう鎧すら容易く貫通する。
シュベルリンゲン伯爵領の兵士はあえなく撤退し、子爵領は魔鳥に蹂躙された。
平和な土地だったランカスター子爵領は、魔鳥の群れにより壊滅寸前まで追い込まれることとなった。
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