第一章 魔鳥討伐

第5話 ロザリンドと魔鳥と青い風

「ロザリー、お前だけでも逃げるんだ」

「嫌です、お兄様」


 ベッドに横たわる兄の提案を、子爵令嬢ロザリンド・ランカスターは即座に却下した。


「逃げてどこへ行けというのですか? 私たちに見向きもしない、南隣の公爵領? それとも犠牲者を多数出してあえなく撤退していった、北隣の伯爵領ですか」

「どこでもいい。とにかくこの領地を出ろ。ロザリー、お前はまだ十九歳で若く、容姿も美しく教養もある。僕達のことは忘れて良き相手を見つけ、幸せに暮らしてほしい」

「嫌です」


 ロザリンドは再び兄の願いを断った。

 ロザリンドの瞳は、服が捲られ剥き出しになった兄の腹部に注がれている。

 ーー出血はなんとか止まったけれど、傷口が膿んでしまって熱を持っている。

 魔鳥ステュムパリデスが兄に残した傷は深く、このままいけば兄は助からないだろう。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 つい一年前まで、ロザリンドは幸せな、ごく普通の生活を送っていた。

 森の合間の峡谷に位置するランカスター子爵領は、小さいながらもよき領地だった。領主であるランカスター家と領民が力を合わせ、特産品の羽根ペンを作っては国内に卸して利益を得、その利益で領民たちは暮らしていた。

 事態が変わったのは、一年前。

 突如飛来してきた魔鳥ステュムパリデスの集団が子爵領内に住み着いたせいだった。

 ステュムパリデスは厄介な性質を持っている。

 羽毛が分厚く普通の弓矢で殺すことは難しく、近づいてきたところで首を切り落とすのが唯一の討伐方法だったが、硬い嘴と鉤爪による攻撃により倒す前に人間の方がやられてしまう。

 討伐に難航していたら、春の繁殖シーズンに夥しい卵から雛が生まれ、雛に餌をやるために親鳥が領地内を荒らし始めたのだ。

 慌てて南隣の公爵領と北隣の伯爵領に救援を依頼したのだが、公爵領にはすげなく断られ、伯爵領は一度は軍を差し向けてくれたもののあまりの魔鳥の数の多さに討伐しきれず、体制を立て直すと言って撤退していったっきりだ。

 そうこうしているうちに、ステュムパリデス討伐の指揮をとっていた父は魔鳥の攻撃により絶命し、兄は腹部に重傷を負った。

 荒廃してゆく領地と家族を失った悲しみに暮れた母は、錯乱ののちに自ら命を絶った。

 死の淵に瀕した兄を前に、ロザリンドは力強く言う。


「お兄様。ランカスター家の中で先頭に立ち、領民を鼓舞できるのは、もう私しかおりません。今ここで一人だけ幸せになるために皆を見捨て、逃げ出すなんて私には出来ないわ」

「ロザリー。剣など握ったこともないお前には、無理だ。中央にも援軍の手紙を送ったのだろう? 返事は来たのか」

「陛下から直々のお手紙が来たわ。『対策を検討する』……つまりは何もしないということよ」


 皆が口々に褒めそやす、書いた文字が現実になるというロザリンドの作った羽根ペン。

 けれど、そのペンを使って救援を求める手紙を書いてみても、願いは聞き届けられなかった。『対策を検討する』。お偉方の言うこの言葉が、程のいい断り文句だということを、十九歳のロザリンドは知っていた。

 結局のところーーそんなものだろう。

 中央から程遠い小さな子爵領地が苦境に喘いでも、誰も助けてなどくれない。

 ロザリンドは、目を上げる。

「お兄様。もう私しか残っていないの。無理でも無謀でも、私がやらなきゃいけないわ。では、もう参ります。次に会う時は、この世ではないかもしれませんね」

 ロザリンドは兄に向かって気丈に微笑んでみせ、そして兄の部屋を去った。



 その日、ロザリンドは、腰まで伸びた自慢の長いセピア色の髪をバッサリと切り捨てた。

 領地が窮地に陥っている今、手入れが面倒な長髪は切ってしまった方がいい。

 それに、武器を手に戦うならば短い方が好都合だ。

 ロザリンドはドレスを脱ぎ捨て、動きやすい服装に着替え、剣を腰に帯びて弓を手に領主館から出る。

 庭先に集まっているわずかばかりの兵たちは、変わり果てたロザリンドの姿に息を呑んだ。


「ロザリンド様、そのお姿は……!」

「兄に代わってかの魔鳥を討伐するため、参りました」


 ロザリンドは兵たちを見回す。

 兵は少数、あとは寄せ集めの領民たちにすぎない。彼らはロザリンドと同じで戦闘になど慣れておらず、ただただ平和に日々を暮らしていただけだ。

 誰も彼もが手負いで満身創痍。終わりの見えない魔鳥との戦いにより、表情は暗く翳っていた。

 それでもロザリンドは、彼らを鼓舞しなければならなかった。


「この地を荒らす魔鳥を一掃し、再び平和を手にするのよ!」


 おぉ、という声を発したのは誰だろうか。

 ともかくランカスター家で最後に残ったロザリンドが前線に立ったことで、一時的にでも皆のやる気が漲ったことは確かだ。

 ロザリンドは空に目を向ける。

 日が昇り、鈍色の空が夜明けを告げる。

 ーー魔鳥ステュムパリデスの、行動開始時間だ。

 バサバサと一斉に森のあちらこちらから鳥の羽ばたく音が聞こえ、木々が揺れる。

 空一面が灰色に染まるほどの大量の鳥の群れが、雛にあげる餌を探し求めて飛翔する。羽の色はくすんだ灰色なのに、嘴と鉤爪だけが異様に赤い。まるで人間の生き血がこびりついているかのようで、その色合いも人々を畏怖させた。

 そうして魔鳥は、餌と定めた人間を襲うため、今日も領地へと襲いくるのだ。


「来るわよ」


 ロザリンドは剣を手に、どんどん近づく魔鳥をはたと見据えた。

 体長およそ二メートルはあろうかという巨大な鳥がロザリンドの眼前に迫ってくる。

 矢をつがえて弓を引き絞り、狙いを定めて魔鳥へと放つ。

 放物線を描いた矢は、魔鳥に当たることなく虚しく空を切り裂いた。


「っ!」


 領民たちの放った矢があるいは魔鳥を捉えても、羽毛に阻まれ肉を穿つまでには至らない。魔鳥は弾丸のような速さで飛んできて、彼我の距離は魔鳥の血走った目までがはっきりと見えるほどにまで縮まった。

 そして一方的な蹂躙が始まる。


「っうあああ!」

「うわっ! ぐああ!」


 領民の悲鳴と共に血飛沫が舞う。

 鋼のように硬い魔鳥の嘴が、容赦無く肉を切り裂き血を噴き出される。


「あああ! 助けてくれ!」


 あるいは巨大な鉤爪に掴まれて、生きたまま雛の餌にするべく巣に連れ去られるのだ。


「…………!」


 ロザリンドは剣を手に魔鳥に対峙した。

 せめて一羽、この手で殺してやらないと気が済まない。

 ロザリンドは大きく振りかぶり、迫り来る魔鳥に一太刀浴びせようと構えたが、ロザリンドの動きより魔鳥の方が数倍も素早かった。

 剣を避けた魔鳥の血の様に赤い嘴がロザリンドに肉薄する。


(お兄様、ごめんなさい。やっぱり私じゃあ無理だったわ。先にお父様とお母様のところで待っています……!)


 ロザリンドが死を覚悟して目を瞑ったその時。


「ーーあぁ、これは酷いな」


 どこか他人事のように言う声がして、続いて魔鳥の断末魔の悲鳴が聞こえた。

 目を開けたロザリンドの前には、見知らぬ青年が立っていた。

 軽装に身を包んだ青年は青い長髪を翻し、剣を片手に次々に魔鳥を屠ってゆく。

 巨大な鳥をものともせず、決して怯まず、的確に首を切り落とす様は圧巻だった。

 それはまるで、青い風のように苛烈さと流麗さを持ち合わせている。

 突如現れた一人の青年によって、あっという間に戦局は覆った。

 魔鳥たちは青年に敵わないと知ったのか、いつもよりもよほど早くに引き上げていく。

 バサバサと羽音を響かせて森に去っていく魔鳥を油断なく見据えていた青年は、やがて最後の一羽がいなくなったのを見てようやく剣を鞘へと納めた。

 血溜まりが周囲に飛び散る中、ロザリンドは青年へと近づいて頭を下げる。


「ありがとうございます。おかげで助かりました」

「礼はいらない。俺はたまたま立ち寄っただけだ」


 青年は肩を竦め、別段興味がなさそうに言う。


「たまたま……?」

「そう」


 ロザリンドは顔を上げ、青年の顔をちらりと見た。

 二十歳そこそこに見える青年は、くすんだ青い髪を胸元まで伸ばし、珍しい薄青色の色付き眼鏡をかけていて目元が見えず表情が読み取りづらい。腰に剣を帯びているものの、シャツにズボンと至って簡単な服装は騎士や兵士とも思えない。

 ランカスター子爵領館のあるこの街は現在、魔鳥の巣が夥しいほど作られている森を抜けなければ来ることはできない。そんな場所にたまたま立ち寄るなんてあるのかしらとロザリンドが思っていると、人が集まってきて倒れている兵に声をかけ始めた。


「あんた、起きてよ、ねえ!」

「お父さん、目を開けて!」


 既に息絶えた人に声をかけるのは、故人の家族や恋人だ。ロザリンドはそうした人々を直視できず、思わず目を背ける。

 誰かがロザリンドのシャツの裾を引っ張った。五歳くらいの女の子だった。


「お父さんが、いないの……? どこ?」

「…………!」


 多分あなたのお父さんは、魔鳥の巣に連れ去られて、今頃雛の餌になっているわ。

 そんな残酷な事実をどうして突きつけられるだろう。

 死体がここにあるならまだマシで、いない人は地獄のような苦しみを味わっている。

 ロザリンドは膝をつき、まだ小さな女の子の体をぎゅっと抱きしめた。


「ごめんね……」


 何の力もないロザリンドには、謝ることしかできない。

 無力な自分を呪うように、ロザリンドの両目からは涙が溢れて静かに伝った。


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