第6話 放浪人レクス

「私はロザリンド・ランカスター。このランカスター子爵領を治めている子爵家の者です。改めてお礼を言わせてください。窮地を助けてくださって、本当にありがとうございます」


 ロザリンドはあの後、現場の片付けを終えてから青年を伴ってひとまず領主館に引っ込んだ。

 館の応接間に青年を通し、手ずからお茶を淹れてもてなすと、青年は丁寧な所作で茶に口をつけてから抑揚のない声で言った。


「良い。さっきも言ったが俺はたまたま立ち寄っただけだ」

「あの、お名前を伺っても……?」

「レクス」

「レクス様は、どちらからいらしたんですか? 差し支えなければ、出身地をお聞かせいただけませんか?」

「……北の方から」


 レクスと名乗った青年は、ロザリンドの問いに短くそう答えた。あまり深く追求してほしくなさそうな雰囲気である。


「それよりも、あの魔鳥共はまたやって来るぞ。領地をなんとかしたければ、あんな寄せ集めの兵ではなくきちんと訓練された兵士が必要だ」

「重々承知しております。手は尽くしたのですが、援助の手はどこからも貰えませんでした」

「南隣のマールバラ公爵領は?」

「大貴族マールバラ公爵様は、このような小さな子爵領地に送る軍勢は持ち合わせていないと」

「なら、北隣のシュベルリンゲン伯爵領はどうだ。ランカスター子爵領とは、古くから交流が深いと記憶しているが」

「はい、おっしゃる通りです。初めは兵を差し向けてくださっていたのですが、あまりにも魔鳥の数が多すぎるため一旦撤退し、立て直してからまた来てくださるとのことでした」


 言いながら、ロザリンドは青年の正体を訝しんだ。

 ランカスター子爵領はヴァルモーデン王国の中でも小さな領地であり、あまり広く知られているような土地ではない。

 北隣のシュベルリンゲン伯爵領は国内でも有名だが、その一取引相手でしかないランカスター子爵領とシュベルリンゲン伯爵領の間柄にまで精通しているレクスは一体何者なのだろう。

 レクスは顎に指を当てて、何かをしばし考えているようだった。室内でも外さない色付き眼鏡のせいで、何を考えているのかがわかりづらい。

 やがてレクスが口を開いて発した内容は、ロザリンドにとってかなり意外なものだった。


「この街を見て回りたいのだが、いいだろうか?」

「はい、勿論です。では私が案内を」

「よろしく頼む」


 ロザリンドが先に立ち、レクスが隣をついてくる。

 領主館を出ると、まだ血溜まりが残る広場を抜け、街へと繰り出した。

 朝早いこの時間帯は通常ならば人が行き交い賑わっているのであるが、ここ一年で状況は様変わりしている。

 静まり返る街に活気はなく、死に絶えたかのようだった。

 往来を歩きながらレクスは首を廻らせ街を眺める。


「この街は随分変わった場所に存在しているんだな」

「我が家の祖先が峡谷に作り上げた街で、外敵に強く堅牢な天然要塞のような作りで戦の時には随分活躍したと教えられています。そして、崖下を流れる清涼な川の水と溜まった砂、崖に吹く風が鳥たちを集め、唯一無二の特産品を作れるからと」


 ロザリンドはかつて父に教わった知識を澱みなく口にする。

 ランカスター子爵領には、領主館のあるこの街以外に人の住む場所は存在しない。

 そして街は崖に沿うように細長く存在していた。


「……現在は魔鳥の襲撃から身を隠すため、大多数の領民が崖下に住んでいます。元々は羽根ペンを作る工房だったのですが……」


 ロザリンドが指し示した先には、崖下のわずかに突き出た岩場を利用して建てられた工房が存在していた。


「ランカスター子爵領といえば、良質な羽根ペンを作ることで有名だった」

「はい。工房は崖の内部の洞窟を利用して作っています」

「面白い作りだな」


 レクスは崖の下を覗きつつ、興味深そうに言った。


「が、籠城には限界がある。領民を森の外へ逃さないのか?」 

「……どこに逃げるにしても森を抜ける必要があり、森の中は魔鳥の巣窟。格好の餌食になります」

「ふむ」


 森の方から魔鳥の鳴き声が聞こえる。低く唸るような鳴き声は不気味で、ロザリンドの背筋を粟立たせた。この鳴き声を聞くと、死んでいった者たちの顔が呼び起こされる。嫌な記憶を消すように頭を左右に振ったロザリンドは、ふと疑問を覚えた。


「そういえばレクス様は………」

「レクスでいい。敬語も必要ない」

「では私のこともロザリーと呼んでください。レクスはどうやってこの街に無事辿り着いたの?」

「これを使った」


 レクスはポケットから何かを取り出し、ロザリンドに見せてくる。紐がついたそれは、小指ほどの長さの筒状のもので、無数の穴が空いている。


「これは……?」

「アイオロスの笛と呼ばれるものだ。木で出来ていて、紐を持って振り回すとステュムパリデスの嫌がる音を出せる。穴の開ける箇所さえ気をつければ簡単に作れるから、魔鳥被害が大きい東部地方ではよく使われている」

「詳しいのね」

「各地を放浪して生きていると、自然といろいろな知識が身につく」

「その笛、あとで作り方を教えてもらえないかしら」

「ああ。この峡谷は風が強いから、音も遠くまで聞こえる。大量に作って鳴らせば、魔鳥どもも嫌がるだろう」

「……峡谷風よ。私たちはこの風で、天気を予測するの。規則的に風が吹いていれば好天が続くし、乱れれば天気が崩れる証拠」


 レクスの青い長髪が風に乗って翻るのを、少し羨ましい気持ちで眺めた。

 無意識に、短くなった自分の髪に手をやる。

 ロザリンドはかつて、この風に自分の長い髪が靡いていくのを見るのが好きだった。峡谷に吹く風は森の清涼な匂いを運んできて心地良い。

 変わり果てた今となっては、ざんばらな短い髪は風にはそよがないし、運んでくるのは死の匂いしかしないけれど。

 レクスが薄青色の眼鏡越しに視線を送ってくる。


「その髪は自分で切ったのか」

「ええ。戦いの邪魔になると思って」

「剣も弓も、握ったことがないだろう?」

「わかる? この一年で付け焼き刃で学んだだけの、ほとんど初心者」

「両親は?」

「魔鳥に襲われて死んだわ」

「兄弟はいないのか」

「兄がいるけど、負傷してとても動けそうにないの」


 ロザリンドの答えを聞いたレクスは眉根を寄せた。


「そうまでして、なぜ立ち向かう? 一人だけでも逃げようと思わないのか」


 ロザリンドはキッパリと首を横に振った。


「ランカスター子爵家の人間として、私はこの領地を守る責務がある。……悪あがきって思うなら、どうぞ。所詮犬死にだと笑ってもいいわよ」

「笑わないさ。責務を果たそうとする人間は、俺にとって何よりも眩しく映るから」

「…………?」


 レクスの言い方に何か引っ掛かりを覚え、ロザリンドは隣にいる放浪人の顔を見た。その表情には何かしらの含みのような、憂いのようなものが浮かんでいて、妙な気分にさせる。

 この人はなぜヴァルモーデン王国を放浪していて、どうしてランカスター子爵領へとやって来たのだろう。

 魔鳥を退ける笛と剣の腕前を持つ彼がたまたま通りかかって助けてくれるなんて、偶然にしては出来すぎている。

 眼鏡越しの瞳をじっと見つめても、正体は分かりそうにない。

 峡谷の間に抜ける強い風に身を任せ、ロザリンドは突如現れた放浪人を名乗るレクスがどこの誰なのか、ますます疑問を感じた。

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