第34話 追跡

 シュベルリンゲン伯爵領最大の街テレステアからヴァルモーデン王国王都までは普通に行けば馬で十五日。早馬ならば十日。神鳥カラドリウスの飛行速度なら一日で到達する。

 街から街へは街道を通っていく必要があり、上空からならば街道を走る馬の姿がよく見える。

 シュベルリンゲン伯爵から国王陛下に向けて届けられる書状を持つ使者は、かなりわかりやすい目印を身につけている。伯爵家の紋章を旗に立てて、白い腕章を巻いているのだ。

 これは、万が一にも道中で賊などに襲われないようにするための策だ。

 街々を行く途中の道では野盗や夜盗の類が出るが、彼らとて馬鹿ではない。

 伯爵家の使者の印である紋章に、王家の色である白い腕章を巻いた者を襲えば自分が一体何を敵に回してしまったのかが容易に理解できる。

 魔獣や魔鳥といった敵も出る以上、人間相手の交戦などなるべく避けたい王侯貴族たちが考え出した策である。

 レクスは空を切る風の音に負けないように大声でカラドリウスに問いかけた。


「カラ様、使者の姿は見えますか?」

「いいや、見えん」

「テレステアを出た時刻と馬の速度を考えると、この辺りで遭遇できそうなものだが……」

「もう街に入ったんじゃないかしら」


 ロザリンドはカラドリウスの背から落ちないよう、レクスにしがみつきながら言う。

 テレステアの街から王都に向かうには、いくつかの街を経由し、最終的には山を超える必要がある。使者は行く手にある街々に寄っては馬を交換し、使者自体も交代しつつ最速で王都を目指す。馬も使者も都度変えてしまえば休息する必要がなく、その分早く王都までたどり着くという寸法だった。

 ただしこの手段が使えるのは当然ながら伯爵領内のみ。山を越えて他領に入れば、馬は交換できるが使者はそうもいかない。必然的に進む速度が落ちる。今はおそらく最速で進んでいるところだろう。

 ロザリンドたち一行は見えた街の付近に降り立ち、馬と使者を交換している伯爵家の人間を探したが、しかし見つからなかった。

 街はテレステアを離れるごとに規模が小さくなり田舎になる。伯爵家の紋章と白い腕章を巻いた使者の姿は大層目立つはずなのだが、ロザリンドたちは発見することができなかった。街に入ったことで姿を小さくしてレクスの肩に留まるカラドリウスに、顔を寄せてレクスが問いかけた。


「シロさん、遠視で使者を見ることは出来ませんか?」

「上空を飛んでいる時から試しておるのだが、ちっとも見つけられんのだわい。まるで何かに邪魔されておるような感じじゃ」

「遠視って?」

「シロさんの目は千里先をも見通し、耳はどんな小さな物音でも聞き逃さない。神の特殊能力だ」

「今は役に立たんようだがのう」

「あの羽根ペンに、神の目すら誤魔化すような力が宿っているの? そんなことあるのかしら」

「ロザリンド、まだわかっておらぬようじゃがの。『魔の乙女』の力はわしの能力を遥かに上回るのじゃよ」

「そんなに強力な力があるのなら……どうして子爵領地を救えなかったのかしら……」

「それとこれとは話は別じゃ。おぬしは自分の力に気づいておらんかったし、今更それを言っても詮なきこと」


 確かにそうだろう。まさかこんな力があるなんて知らなかったし、どこにもヒントなど存在しなかった。ランカスター家にそれらしき文献などがあれば誰かしらロザリンドに『魔の乙女』の力があると考えたかもしれないが、家では『魔の乙女』のことなんて一文字たりとも見たことも聞いたこともない。レクスとカラドリウスに言われるまで、全く知りもしなかった。 

 レクスは脱線した話をもとに戻すかのように声を掛ける。


「とにかく、駅に行って話を聞こう。使者が来ているのか来ていないのかそれではっきりする」


 街には駅とよばれる場所がある。

 街から街に移動する旅客や商人が使う馬車や、伝令が使う馬を交代するための場所であり、交代用の馬と伝令、御者が詰めている。摩耗した馬車の修理や鞍の交換なども行ってくれ、乗客が休むための食事処や宿などもあり、必然的に田舎街では最も栄えた場所になる。

 ロザリンドたちが駅に行くと、テレステアに向かう人、あるいはテレステアからやって来た人などで賑わっていた。

 ロザリンドは黒い帽子を被り制服を着た駅員を捕まえ、話しかける。


「あの、今日ここにシュベルリンゲン伯爵様から王家への使者が来ませんでしたか?」

「ん? ああ、来たよ、つい先ほど交代を終えて出立したところだ」

「!」


 一足遅かったようだった。もう交代してしまったとは。ロザリンドはレクスを見やる。変装用に色付き眼鏡をかけた彼の表情は相変わらず見えなかったが、それでも色良い顔をしていないことだけはわかった。ロザリンドは駅員にお辞儀をする。


「教えていただきありがとうございます」


 その場を早足で後にしながら、レクスが言った。


「思ったよりも動きが早い。だが今出立したばかりなら、余裕で間に合うーー」


 レクスが言いかけた時、街中で悲鳴が轟いた。


「ーー魔獣よ! 群れをなしているわ!!」

「魔獣!?」


 そんな気配、この街に来るまでの間にどこにもなかった。なぜ今急に魔獣が現れる?

 逃げ惑う人々の波には目もくれず、レクスは剣を抜き放つ。


「ロザリーはシロさんと一緒に街外れまで走った後、空に逃げろ」

「レクスは!?」

「俺は魔獣を止めに行く」

「あ、待って!」


 言うが早いがレクスは一目散に悲鳴が響く場所に向かって疾走した。速い。あっという間に人に飲まれて見えなくなってしまった。


「カラ様、どうすれば……!」

「今は伝書鳩のシロさんじゃよ」


 レクスの肩を離れてロザリンドの肩に舞い降りたカラドリウス。こんな時まで偽名で呼ぶように促すのがもどかしい。


「レクスの言う通り、離れておいた方がいい。巻き込まれたら一大事じゃ」

「でもそれじゃ、レクスが!」

「危うくなったらわしが加勢に入るわい。どれ、上空から敵の正体と数を確認するとしよう。はよう街外れにいくがいい」


 急かされるまま、逃げる人々がいない方角へと走る。悲鳴に混じって魔獣の雄叫びのようなものも聞こえてきて、嫌が応にも子爵領地を襲った惨劇を思い返す。

 自然に脳裏に浮かび上がる凄惨たる光景。血飛沫と、苦痛に歪む顔と、魔鳥に連れ去られる領民たちーー胸が苦しい。


「大丈夫か、ロザリンド、気をしっかり持つのじゃ!」


 カラドリウスの声につられてロザリンドは我に返った。気がつけばもうここは街外れだ。


「わしに乗れ、さあ!」


 促されるままに大きくなったカラドリウスに乗り込むと、翼をはためかせて空に舞う。飛翔するにつれて街がどんどん小さくなっていく。


「レクスはどうやら……あのあたりにいるようじゃのう」


 町人に見つからないようなるべく高く舞い上がったカラドリウスが言うのでロザリンドも落ちないように気をつけつつ見下ろした。

 街外れの一角で激しい倒壊音と獣の鳴く声がする。

 その魔獣は黒い毛並みに覆われ、胴体と四肢の一部は銀色の鎧のようなもので覆われていた。体長三メートルはあるだろう魔獣は一、二体ではなく十体以上存在している。

 応戦しているのは街の警備兵とレクスだろう。住人たちは戦闘の場から逃げているが、十体以上いる魔獣相手に人間がどれほど戦えるかわからない。

 何せ『魔』を冠する獣や鳥の力は伊達ではない。ロザリンドは身を持ってそのことを知っている。


鎧豹よろいひょうだのう。平野や岩場、森林など幅広い地域に出没する魔獣じゃ」

「止めないと、レクスが死んじゃうわ!」

「じゃがおぬしに何ができようか」


 カラドリウスは器用にも飛んだまま首をグルンと巡らせてロザリンドを見つめた。黒いつぶらな瞳は、ロザリンドの魂さえも見透かすような底知れぬ力を秘めていた。ロザリンドは瞳の圧力に負けないよう、言い返す。


「歴史に消された『魔の乙女』の力が私にあるというのなら……どうにだってできるはず!」


 ロザリンドは自分に言い聞かせるように叫ぶと、持っていた鞄に手をかけた。留め具を外して蓋を開けると、中から取り出したのは一枚の羊皮紙と羽根ペン。

 予備用に持ってきていたもう一本の魔鳥の羽根ペンだ。

 インク壺の蓋を開くとペン先を浸し、羊皮紙の上へと固定する。


「今この状況で、誰に宛てて何を書く気じゃ」

「決まっていますーー鎧豹に手紙を書きます」

「無謀すぎる」


 もはやカラドリウスの声はロザリンドの耳に届かない。

 上空を飛ぶカラドリウスの背の上という極めて不安定な状況で、それでもロザリンドはペンを走らせた。


「カラドリウス様はおっしゃいました。『魔の乙女』は魔獣や魔鳥に直接働きかける力を持っていて、私はものを介して人々に働きかけると。気質の違いで力の発揮する形が異なると。なら私はーー魔獣に手紙で呼びかけます」


 カラドリウスは押し黙る。「魔獣は文字を読めない」と反論されるかと思ったが、そんなことはなかった。

 一文字一文字に心を込めて書くーー内容はごく単純だ。


「暴れるのをやめて街から即刻出ていくようにーー二度と人の街に足を踏み入れないように」


 魔獣に手紙を書くなんて馬鹿げた行為だと思うが、今はそんなことを言っている場合ではない。

 もしも本当に、私に力があるのなら 


(……魔獣の侵攻を止めたい!)

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