第33話 国王への手紙
翌朝、テレステアの街の宿で目を覚ましたロザリンドは、本日何をするのか考える前に、朝一でやって来た来訪者に驚いた。身支度をしている最中に扉がノックされたのでレクスがやってきたと思い、慌てて髪を整え化粧をしてから開けてみれば、そこにいたのは想像とは異なる予想外の人物。
「……ヴェロニカ様?」
「ロザリー、朝早くからごめんなさい。どうしても伝えなければならないことがあって」
先日と違いヴェロニカは明らかに変装していた。
外套のフードを目深に被り顔が見えないようにし、下には質素なワンピースを着ている。靴までもが装飾の控えめなもので、その徹底ぶりにロザリンドは只事ではないと感じ取った。背後を見てもいつも連れている護衛の姿はない。
ヴェロニカは余裕のない表情と切羽詰まった口調で短く言う。
「あなたの部屋で、少しいいかしら」
「ええ、もちろんです」
ロザリンドが体を傾け道を開けるとヴェロニカが宿の部屋に入ってきて、ローブを取り払った。顔が明らかに憔悴している。目の下のクマが濃く、昨晩ろくに眠っていないのだろうことが窺えた。
ヴェロニカはロザリンドの部屋の椅子に腰掛けると、ロザリンドも座るのを待ち、そして話を切り出した。
「昨日、お父様がマールバラ公爵様と国王陛下に向けて手紙をお出しになったそうなの。公爵様にはフィル様の手厚い保護と私との婚約のこと、そして国王陛下には挙式に聖教会を使う許可を願う内容を。それも、あなたの作った魔鳥の羽根ペンを使って」
「え……あれを使ってですか!?」
「そうなの。わたくしが屋敷を留守にしている間に使用人に頼んで持ち出したらしくて……しかもいまだに、返してくださらない」
ヴェロニカは両手で顔を覆い、苦悶に満ちた声を出した。
「領地が大変なことになっている今、あなたにこんな相談をするべきではないことはわかっているわ……けれど、わたくし、これからどうすればいいのかしら。もしも本当にあの手紙が国王陛下に届けられ、そして実現してしまったら……伯爵家も子爵家も針の筵になるのは間違いないわ」
確かにそうだろう。
シュベルリンゲン伯爵家はともかく、ランカスター子爵家は地位も低く大した権力を持っていない。そんな家に嫁ぐために聖教会で式を挙げたとなれば、面白く思わない貴族が出てくるのは目に見えている。
しかも、聖教会で式を挙げるということは、国王陛下も列席するということだ。
どう考えても只事ではない。
普通ならば聖教会での挙式など荒唐無稽な事、絶対に起こり得ない夢物語と断言できるが今回の場合そうとも限らない。
昨日レクスと試した結果、書いたこと全てが実現するわけではなさそうだったが、警戒するに越したことはないだろう。
「ヴェロニカ様、顔を上げて下さい」
泣きはらすヴェロニカにロザリンドはしっかりとした声で訴えた。恐る恐る顔を上げたヴェロニカと目を合わせる。
「手紙の方は私がなんとかしてみせます。ですのでヴェロニカ様は、伯爵様から羽根ペンをどうにか取り戻して下さい。そして燃やしてしまいましょう」
「燃やす?」
「ええ。一体どういう効果を発揮するのかわかりませんが、あれは明らかに危険な代物。放置しておいて厄介ごとを巻き起こすくらいなら、燃やしてしまう方がマシです。涙を拭いて下さい」
ヴェロニカはロザリンドが差し出したハンカチで涙を拭くと、頷いた。
「けれどロザリー、あなたは一体どうやって陛下に宛てた手紙を止めるつもりなの? 伯爵領の早馬は速度で有名よ。一旦王都に向けて走り出してしまえば、普通なら十五日かかる王都への道のりがたったの十日でたどり着ける」
ヴェロニカは心配そうにロザリンドを見つめてくる。そんな彼女を安心させるように、ロザリンドは微笑んでみせた。
「きっとなんとかしてみせます。だからヴェロニカ様は、羽根ペンの処分よろしくお願いしますね」
「ええ、わかったわ。必ずやってみせるから」
そう返事をしたヴェロニカの表情は、ロザリンドが見たこともないほど頼もしいものだった。
***
「ロザリンド殿の部屋に客人が来ているようだのぅ」
カラドリウスがそう言ったのは、レクスが朝の鍛錬を終えて宿に戻ろうとしていた時だった。
剣を振るのはレクスの日課だ。放浪を始めてから癖になっているので、毎朝剣を振っていないと落ち着かない。腕が鈍ってしまっては困るので、何かあった時のためにもいつでも剣を手に戦えるよう鍛えている。
いつもならば早めに起きて宿を出て近くの森や平野などに行くのだが、今回はロザリンドという連れがいるので宿の中庭の一角で鍛錬をしていた。
安い宿に泊まると同じように考えている傭兵がいるのだが、今回は中流の宿に泊まっているためかそうした人間は見ない。
一人朝の鍛錬を終えて宿に戻ると、カラドリウスが先の言葉を放った。
汗を拭きながらレクスは眉を寄せて聞き返す。
「こんな朝早くに客人ですか?」
「どうやらヴェロニカ嬢のようだのう」
カラドリウスは様々な能力を持っている。遥か遠くを見透かす遠視、隣の部屋の音を正確に拾う耳の良さ。多くを見て多くを聞くカラドリウスは必要だと感じればこうしてレクスに情報を伝えてくれるのだ。
カラドリウスは黒い瞳でレクスを見、嘴から人語を発する。
「これからおぬしの元には大層厄介な相談が持ちかけられるはずじゃ。受けるも拒むも自由じゃが、一つだけ言っておこう。わしの力が及ばぬ可能性がある」
「カラ様の力が?」
「左様じゃ。ロザリンドが『魔の乙女』の末裔ならば、わしの力などでは止めようがない」
「ですが、そこまでの力がロザリーにあるのだとすれば、魔鳥の群れなど容易く撃退できたのではないですか」
「わかっておらぬようじゃのう、レクス」
カラドリウスは白い翼を指のように折り曲げて左右に振った。
「あの時のロザリンドは『目覚めて』いなかった。必要なのは、内に眠る力の引き出し方じゃ。ケーラは『話す』ことで力を発揮したが、ロザリンドは『書く』ことで力を出すのじゃろう。ひとたび乙女の力が発露すれば……わしにできることなどたかが知れている。何せそれこそが『魔の乙女』が歴史から消された最たる理由じゃと、おぬしも知っておるだろう」
『魔の乙女』が歴史の表舞台から消し去られた理由。語って聞かされた埋もれた真実は、レクスの想像すら及ばないものだった。
「確かにロザリーが『魔の乙女』の血を引いているのなら、カラ様の力さえも及ばないでしょう。ですが、だからと言って何もせずに見過ごすわけにはいきません。助けを求められるなら俺は全力で応じます。カラ様にも助力願いたい」
カラドリウスはレクスを真正面から見つめる。レクスは瞬きすらせずに何百年もの間生きる神の視線を受け止めた。しばらくの後、カラドリウスはゆっくりと頷く。
「相わかった。おぬしがそう言うのであれば、わしは従おうぞ」
それから息を吐き出し、レクスにというよりは独り言のように呟く。
「いつの時代でも王弟は『魔の乙女』に惹かれるか……もはやそれは決められた
「正確に言えば、俺は王弟ではありません」
「ならばこう言い換えよう。おぬしは眩しいまでに気高いロザリンド殿に惹かれているのだと」
部屋の扉がノックされたのは、その時だった。
入ってきたのはロザリンドで、朝から表情が優れない。
「どうした、ロザリー」
「朝からごめんなさい。つい今しがたヴェロニカ様がお見えになって、あの……私の作った魔鳥の羽根ペンで、伯爵様がマールバラ公爵様と国王陛下に手紙をお書きになったらしいの」
「!」
なるほどカラ様が言っていたのはこれか、確かに厄介な相談だ。
「内容は、公爵様にはお兄様の保護とヴェロニカ様との婚約話。そして国王陛下には聖教会を挙式で使いたい旨を書いたらしいわ。魔鳥の羽根ペンにどれほどの強制力があるのかわからないけれど、もしも手紙が陛下の目に入り、願いが聞き届けられたとしたら……」
「……とんでもない事態だな。聖教会はいち貴族の婚姻に使っていい場所ではない。シュベルリンゲン伯爵もどうしてそんな荒唐無稽なことを思いついたんだ」
「それが『魔の乙女』の成せる力じゃ」
重々しく言ったのはカラドリウスだ。レクスと二人でカラドリウスに視線を向ける。
「『魔の乙女』の力が正しく顕現したのなら、事態は恐らくもっと深刻に、そしてより想像できない方向へと動いていくじゃろう。ケーラは魔獣や魔鳥に直接働きかける力を持っていたが、ロザリンドは彼らを介して人々に働きかけるんじゃろうな。気質の違いで力の発揮する形が異なるとは面白い」
「カラ様が知りうる限り、他に『魔の乙女』が現れたことは?」
「ない。五百年のうちで初めてのことじゃ」
「初めて……」
レクスとカラドリウスのやりとりにロザリンドはうつむく。
「どうして今更こんなことに……」
「恐らくロザリンドが魔鳥と関わったせいじゃろうな。気づかなかったか? 子爵領地のあるトアイユの森は、ずっとシュベルリンゲン伯爵家とマールバラ公爵家に守られるように存在しておった。外敵は侵入せなんだ。のみならず、森には魔獣も魔鳥も住んではおらぬ。ケーラが、末裔が力を発露させぬようそのような土地を選んで住んだのじゃろう」
歴史から消された『魔の乙女』ケーラ。おとぎ話のような存在の血を自分が引いているなんて、まさかあり得ないと言いたいところだが、今はそんな風に考えている暇なんてない。
「とにかく、国王陛下に宛てた手紙だけでも回収しないと」
「そうだな。カラ様、悪いが俺たちを乗せて飛んでくれませんか。カラ様の飛行速度は馬よりよほど早い、昨晩に早馬が出たばかりならまだまだ十分間に合うはずです」
「相わかった」
レクスとロザリンドは顔を見合わせた。
「朝食を済ませたら出立しよう。荷物をまとめておいてくれ」
「ええ」
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