第32話 急転

 ロザリンドとの話を終えて屋敷に戻ったヴェロニカは、自室に異変があることにすぐに気がついた。

 誰かが入った形跡がある。急いでベルを鳴らすと、屋敷の使用人がやって来た。


「わたくしの留守中に、誰か部屋に入ったの?」

「伯爵様のご命令で、ロザリンド様がお作りになった羽根ペンを持って来て欲しいとのことでしたので、先日お嬢様に贈られた魔鳥の羽根ペンを持ち出させていただきました」

「……なんですって!?」

 話を聞いたヴェロニカは顔を青くして叫ぶ。

「あの羽根ペンを、お父様がお使いになったの!?」

「は、はい」


 血相を変えて詰め寄るヴェロニカに使用人が頷く。ヴェロニカはーー目の前が真っ暗になるのを感じた。

 どんな能力を秘めているのかわからない魔鳥の羽根ペンを、父が使った……これほどとんでもない事態もないだろう。

 卒倒しそうになるのをなんとか堪え、ヴェロニカは踵を返して扉に突進した。

 父のところへ行かなければ。

 自室を出たヴェロニカはまっすぐに父の執務室へと向かい、いつもより扉を強めにノックした。が、返事がない。何度叩いても返事がなく、どうやら執務室にはいないようだった。

 ヴェロニカは執務室の前から離れて屋敷の中を疾走し、執事を捕まえた。


「お父様はどこにいらっしゃるの!?」

「伯爵様はイベリス商会の会長様との会食でお出かけになられました」

 鬼気迫る様子のヴェロニカに驚いたように執事が言う。ヴェロニカは顔を歪めた。

「父が誰かに手紙を書いたようなのだけれど、その相手を知っているかしら」

「申し訳ありませんが、お嬢様の頼みでも伯爵様に関することはお答え致しかねます」


 にべもない返事だった。


「大切なことなの、お願いだから教えて……!」

「ご自身で伯爵様にお尋ねするのが良いかと。お戻りは本日の深夜になる予定ですが……」


 がくりとする。

 執事は常に父の命令で動いている。父の出す手紙は重要事項が多く含まれているため、これ以上問いただしても喋るとは思えなかった。

 この日ヴェロニカは、夕食もろくに喉を通らず、ただひたすらに父の帰りを待った。

 父は伯爵領を治める大貴族の当主……手紙を書く相手はごまんといる。

 一体誰に、どんな内容の手紙を送ったのだろうか?

 何人、いやもしかしたら何十人ということもありうる。

 あの魔鳥の羽根ペンの効果がどれほどのものなのか、ヴェロニカは体験したからこそ知っている。断じて気軽に使っていい物ではない。

 夜半過ぎに物音がして父の帰宅に気がついたヴェロニカは、即座に自室を出て玄関ホールへと向かった。


「お父様!」

「どうしたんだヴェロニカ、こんな時間まで起きているなんて」

 驚く父に半ば飛びつくようにして縋ったヴェロニカは、切羽詰まった口調で言う。

「わたくしの部屋にあった魔鳥の羽根ペンを使ったとお聞きしましたが……どなた様に手紙をお送りになったのですか?」

「なんだ、そのことか。マールバラ公爵様にだよ」

「こ……公爵様?」

「ああ」


 伯爵は上着を使用人に預けながらなんてことのないように言う。


「フィル君のことで連絡を取る必要があったからね。ついでに、公爵様の息子との縁談の話も断らなければならなかったし、その他仕事のこともある。全てが穏便に進むよう、ロザリンド嬢が作った羽根ペンを使わせてもらった」

「そんな……」


 ヴェロニカはその場にへたり込んだ。


「それから」


 伯爵がなおも言葉を続けようとするので、ヴェロニカは顔を上げる。もうこれ以上聞きたくなかったが、聞かないわけにもいかない。


「挙式をする場所だが、王都の聖教会がいいかと思ってな。あの場所は大司教より先にレナード国王陛下に使用許可をいただかなければならないから、陛下にも手紙を書いてお送りした」

「へ……陛下に!?」

「左様」


 ヴェロニカはことの大きさに眩暈がした。

 これは明らかに異様な事態だ。

 確かにシュベルリンゲン伯爵家はヴァルモーデン王国の中でも名が知られている大貴族。だが、だからといって聖教会で挙式をするなど聞いたことがない。

 聖教会はヴァルモーデン王国で最も由緒ある教会で、神格化された初代国王エドワードと神鳥カラドリウスが祀られている教会だ。代々の大司教と国王とが運営を任されており、宗教的な側面と政治的な側面の二面性を併せ持っている。初代国王が祀られている性質上、王家が教会に及ぼす力が強く、聖教会を使いたいのであれば国王を説得する必要があった。

 伯爵家と子爵家の結婚に使用許可が降りるはずはない。聖教会で行われる挙式は王家に関する方々に限定されている。あとは種々の宗教的な行事。

 通常であれば父とてそんな馬鹿げたことを思いつくはずもないし、思いついても実行に移すはずがない。

 しかし父の口調から察するに、本気で聖教会でヴェロニカとフィルの挙式を行うつもりらしい。


(それが……ロザリーの作った魔鳥の羽根ペンの力?)


 ぞっとする。荒唐無稽なことさえも父にさせてしまうペンの力に心の底から畏怖の念を抱いた。


(父があのペンを使って陛下に手紙を書いたのだとすれば……聖教会での挙式が実現する可能性もある)


 たかだか一貴族の挙式が聖教会で行われたとすれば、他貴族から反発の声が上がるだろう。ヴァルモーデン王国の貴族の中にも派閥が存在しており、シュベルリンゲン伯爵家と仲が良くない貴族もいる。波風が立たないよう父は上手く振る舞っていたのだが、挙式を機に一気に反発が表面化する可能性だってある。貴族にとって婚姻とは重要な政治的道具であり、どこでどんな挙式をし、誰が招かれるのかは非常に大切な問題だ。

 ヴェロニカはカラカラに乾いた喉を潤すように唾をこくりと飲み込んでから恐る恐る父に問いかけた。


「お父様は、聖教会で挙式をすることの重要性をどうお考えなのですか?」

「無論、反対する輩がいることは重々承知している。だがそれが何だと言う? 陛下が許可さえ下されば、誰も異論などできまい。私はね、ヴェロニカ。長年お前の気持ちを無碍にしていた贖罪をしたい。お前とフィル君との結婚を盛大に祝いたいのだよ。そのためならどんな犠牲も厭わないさ」


 父の目には、フィル・ランカスターを疎んでいた頃の色はまるで宿っていない。豹変した態度にヴェロニカは恐怖さえ覚える。


(なんとか、なんとかしないと……)

「お父様、あの……とりあえず魔鳥の羽根ペンを返して下さいませんか」


 ヴェロニカの嘆願に、父は目を開き首を横に振ってみせた。


「返す? とんでもない。あれは素晴らしい力を秘めている。私の執務上かかせないものだ。あれさえあれば、どんな願いも意のままに叶う……そんな気がするのだよ。むしろ、どんどんロザリンド嬢から購入したい。次にあった時には、ありったけの在庫を購入しようと思っているところだ」

「ですがあれは、わたくしがロザリーからもらったものですわ」

「ヴェロニカ、わかっていないようだがね。ものの真価というのは、持つ者によって初めて発揮されるものなのだよ。さあ、話は終わりだ。もう夜も遅い。部屋に戻って寝なさい」


 一切ヴェロニカの話を聞かず、父は去って行く。ヴェロニカはその場に座り込んだまま呆然とした。

 確かにヴェロニカは子爵領地を助け、フィルとの婚約を許してほしいと願った。

 だが、ここまでして欲しいだなんて微塵も思っていなかった。

 どうして、どうしてこんなことになってしまったのか。


(ロザリーに、話さないと……あの羽根ペンは恐ろしい力があると)


 せめて国王陛下に向けられた手紙だけは、陛下の手元に届く前に回収しなければ。

 その晩ヴェロニカは一睡もせず、これから先どうするべきなのかを考えた。

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