第31話 誤算

 話は少し遡る。

 それはロザリンドが伯爵と話を終え、ヴェロニカが屋敷を出てひそかにロザリンドの元へと向かっていた時の話だ。

 シュベルリンゲン伯爵は忙殺されていた。

 領主としての仕事に加え、ランカスター子爵領に人手と物資を送る手筈を整え、マールバラ公爵にフィル・ランカスターに関する手紙も書かなければならない。

 しかしそれら煩雑な仕事を伯爵はむしろ積極的に行っていた。

 何せ愛娘の願い、聞き届けない理由はない。

 伯爵は、なぜ以前はあれほど頑なに娘の意見をつっぱねていたのだろうとかつての自分を訝しんだ。

 家柄や体裁、婚姻を結ぶことで有益になるかどうかーーそんなことばかりを考えていたが、最優先すべきなのはヴェロニカの気持ちだ。

 ヴェロニカはずっと、フィル・ランカスターを恋い慕っていた。親としてもっと早くに婚約を許可し、結婚させてやるべきだった。


「急ぎマールバラ公爵に連絡を取らなければ」


 手紙を書き、早馬を走らせればテレステアから公爵の住む街まで十日ほどで届けられるはず。

 あらたな羊皮紙を執務机の上に置き、ペンにインクを浸したところで、伯爵はふと手を止めた。


「……そうだ、どうせならロザリンド君の作った羽根ペンを使おう」


 貴族社会でまことしやかに囁かれている、彼女の作った羽根ペンを使えば内容が現実になるというものーー何を隠そう伯爵もその恩恵にたいそう預かっていた。

 年頃の令嬢の中で流行しているような可愛らしいおまじないの類ではない。

 ロザリンド・ランカスターの作る羽根ペンには、確かに何かしらの不可視な力が働いている。

 そしてそれは、使用者の強い想いや願いによって左右されるということさえも、伯爵は見抜いていた。

 おそらく今使えば、とてつもない力を発揮してくれるに違いない。

 伯爵は執務机の引き出しを開け、気がついた。

 そういえばロザリンド嬢の作った羽根ペンを、今は持っていなかった。

 魔鳥の襲来を受けてから子爵領地での羽根ペン作りは滞っていた。事態を考えれば当然だろう。あの魔鳥どもは、人間の手に余りある獰猛さだった。

 手持ちの羽根ペンは全て摩耗して使い物にならなくなったので処分してしまった。


「……ヴェロニカならば持っているだろうか」


 ヴェロニカはロザリンド嬢と仲が良いし、羽根ペンの予備をまだ持っていてもおかしくない。

 伯爵は机の上のベルを鳴らし、使用人を呼びつける。部屋に入り一礼する使用人に端的に用件を告げた。


「ヴェロニカを呼んできてくれないか」

「只今ヴェロニカお嬢様は、外出中でして……」

「何。それはタイミングが悪いな」


 伯爵は顎髭を撫で、少し考えてから言葉を続けた。


「なら、娘の部屋からロザリンド嬢が作った羽根ペンを持ってきてくれ。娘には後で言っておく」

「かしこまりました」


 恭しくお辞儀をして去って行く使用人を見送った後、伯爵は実際に書面に何を書くのかを頭の中で整理する。

 家格で言えばシュベルリンゲン伯爵家はマールバラ公爵家に数段劣る。

 だが両家の関係は、家格だけで比較できるような単純なものではない。

 シュベルリンゲン伯爵家は農作物が豊富であるのみならず、緑豊かな牧草地では羊を飼い、羊毛と羊皮紙といった産業も盛んだ。それらを伯爵家お抱えの商会に卸し、海に面して交易が盛んな公爵家に売るーー公爵家は魅力的な商品をいくつも作り出すシュベルリンゲン伯爵領を無視できない。

 実を言うとヴェロニカの最大の婚約者候補はマールバラ公爵家の令息だった。

 初めはレナード国王陛下と婚姻を結び、王家と縁を持とうと考えていたのだが、結局それはうまくいかなかった。そこで次に考えたのがマールバラ公爵家との婚姻。

 娘の気持ちさえ気にしなければ双方に利のある、実に有益な婚姻話だ。

 だが、今となってはその話もなかったことにしなければなるまい。

 まずは、フィル・ランカスター保護に対する礼と、彼をヴェロニカの婚約者にする話をする。

 もしかしたら公爵はフィルを邪魔に思い消そうとするかもしれない。

 その可能性を考慮し、最大限穏便に住むような文面を考えーーそしてさりげなく伯爵家が有利になるような言葉運びを考えた。

 思考に没頭していると扉がノックされる音がし、入室を促すと先ほどの使用人が入ってくる。


「ご要望の羽根ペンをお持ちいたしました」


 机の上に置かれた羽根ペンは、伯爵が見たことのないものだった。

 全体的に茶色で先端が赤みがかっている大ぶりの羽根は見るも豪華で、見栄えを気にする貴族たちにさぞや人気が出そうな代物である。軸も太くてしっかりしており、これなら書き物をする時に長時間握っていても疲れにくいだろう。


「実は先日ロザリンド様がいらした時、ヴェロニカお嬢様に献上していた羽根ペンでして……あの魔鳥の羽根から作ったそうでございます」

「何、魔鳥からだと?」

「はい、そうお話ししているのを耳に挟みました」


 伯爵は少し驚いた。魔鳥は子爵領地を荒らし回った元凶。全て焼き払い視界に入れるのも厭わしいほどの存在だろう。だがロザリンド嬢はそうはせず、加工する原材料とすることを選んだ……これは子爵家の領主代行として感情を別にして理に適った行動を取ったということだ。

 燃やしてしまえば残るのは灰ばかり。だが材料とすれば少なくない利益をもたらす。

 特にランカスター子爵領の羽根ペンは希少価値が高く、貴族の間で高く取引がされている。一年流通がなかったことを考えれば、今から出回るものがどれほどの値段がつくのかは容易に想像がつく。

 どうやらロザリンド嬢は職人としてだけでなく、領主代行としても優れた手腕を発揮しているようだ。


「下がって良い」

「はい」


 伯爵は使用人が出ていくのを見届けてから、今しがた手に入った羽根ペンを持ち上げる。大きさと軸の太さに対し、驚くほどの軽さだった。インク壺にペン先を浸し、伯爵領地で作られる最高級の羊皮紙にペン先を置く。

 ロザリンド嬢の作る羽根ペンの能力を最大限に引き出すコツはーー真心を込めて書くこと。おそらく伯爵は彼女の作る羽根ペンの性能を誰よりも理解している。

 伯爵は羊皮紙に向かい、一心不乱に手紙を書いた。

 一文字一文字に真心を込め、文章を作り上げていく。

 五枚にわたる大作となった手紙を書き上げた伯爵は出来栄えに満足し、折りたたんで封筒に入れ伯爵家の家紋が入った封蝋を押す。

 再びベルを鳴らし、今度は執事を呼びつけた。


「この手紙を早馬でマールバラ公爵様にお届けするよう手配しろ。迅速にな」

「はい」


 これでいい。手紙を読めばきっと何もかもが解決するだろう。

 そこで伯爵はふと、妙案を思いついた。

 何なら挙式場も押さえておくべきか。

 ランカスター子爵領には教会が存在しない。ここテレステアには立派な教会があるのだが、嫁入りする立場を考えるとテレステアで式を挙げるのはランカスター家の箔が落ちるのでやめたほうがいい。

 シュベルリンゲン伯爵家の威光が保て、ランカスター家も納得する場所といえば……王都に存在する総本山、聖教会以外にはありえないだろう。

 ランカスター家は現在、フィルが当主でロザリンドが当主を代行している状態だ。フィルは怪我で寝込んでおり、ロザリンドは領地立て直しと残った魔鳥の対処に忙しい。挙式場のことに構っている暇などないはずだ。

 ならばここは、花嫁の親としてシュベルリンゲン家が手配をしておいた方がいい。何せ聖教会は王族の挙式などに使う場所で、一般の貴族が使用するならばまず王家にお伺いを立てなければならない。

 裏でことを進めておき、ランカスター子爵家が落ち着いたところで彼らに話をすればいい。

 そうと決まれば忙しい、まだまだ手紙を書かなければならない。

 伯爵は新たな羊皮紙を机の上に置くと魔鳥の羽根ペンにインクを浸し、愛娘ヴェロニカの幸せな未来のためにヴァルモーデン王国の最高位に位置する国王陛下に向けて手紙を書き始めた。

 

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