第30話 魔の乙女

 魔獣や魔鳥は昔より世界に蔓延る存在だ。

 それらは通常の獣や鳥に比べ体格が大きく膂力が強かったり、残忍だったり、口から炎を吐き水を操る不可思議な力を持っていたりする。

 人間よりも上位に位置する彼らは、縄張りを多く持ち、そして人間を蹂躙して捕食するような恐るべき存在だった。

 現在のヴァルモーデン王国がある土地はそれが顕著で、人々は身を寄せ合って暮らしていた。

 エドワードとヘイデンは街を治める長の子供だった。人間が暮らす唯一の街にある日、一人の乙女が現れたのだという。

 名を、ケーラ。

 どこからともなくやって来たケーラは美しく儚げで、弟のヘイデンと恋に落ちた。

 しかし乙女が街に来てからというもの、魔獣や魔鳥の襲来が明らかに増え住民は怯えた。ケーラが連れて来ているのではないかという疑念が膨れ上がり、声が上がり、得体の知れない彼女を街から追い出すべきだという意見が声高に叫ばれる。

 エドワードとヘイデンがケーラの身の潔白を訴えても誰にも信じてもらえない。

 ケーラを殺すか街から追放するか、二択を迫られたその時に現れたのがカラドリウスだという。

 真っ白い羽を持つカラドリウスは二人の兄弟の頭上を旋回し、人語を喋る。

「彼らこそはこの地に平和をもたらすものだ」と。そしてさらに言う。「ケーラが我を導いた」と。

ーー「今こそ剣を手に取り街を出て、魔のものどもを駆逐する時だ」と。

 人々はカラドリウスの話を信じ、武器を手に魔獣や魔鳥と戦った。カラドリウスの不可思議な力が魔獣の、魔鳥の命を奪う。そして傷ついた人々を癒す。

 生と死を司る神の鳥とカラドリウスが呼ばれるようになったのはこれが由縁だ。

 戦いは苛烈を極めたが、ついに人間側が勝利した。

 ただし犠牲も多いーーヘイデンは戦いで命を落とし、悲嘆に暮れたケーラはヘイデンの弔いを済ませた後にどこかへと消えた。

 去る寸前に彼女が言い残した言葉は「確かに私の身の内には魔が宿っている。けれどそれは、魔を誘き寄せるものではない」という意味深なものだったという。

 人の地になったその場所をヴァルモーデン王国と名づけ、兄のエドワードが国王となった。

 以来、ヴァルモーデン王国では必ず二人の男児が生まれるーー国王と王弟。

 神鳥カラドリウスの祝福を受けた国は繁栄し、人の世が続いているのだと。



「『魔の乙女』と呼ばれるケーラは間違いなく実在していた。なぜならばわしを導いたのはケーラだったからじゃ。そしてケーラは戦いの後、姿を消したーーその方角は思い返してみれば、トアイユの森の方だった気がするのう」


 レクスの語る歴史とカラドリウスの言葉は、ただの伝承と一蹴するにはあまりにも出来すぎている。何せ王族と神鳥の話だ。


「私がそのケーラという人の末裔で、何か力があって、だから羽根ペンにも力が込められているっていうの?」

「その可能性は大いにありうるのう。何せケーラは普通の人間ではなかった。内には確かに特別な力があった」

「どんな力が……?」

「一番は、魔獣や魔鳥と心を通わせることができたことだのう」

「心を?」

「左様。人語を喋れぬかの者らと意思を疎通し、時には……言葉を教えた。そして力を貸すように説得することさえもした。じゃからお主の中にその力の一端があり、魔鳥の羽根を扱ったことで能力の一端が解放されたと考えるのもおかしなことではない」

「でも、今までにそんな話、聞いたことがないわ……」

「歴史の影に隠されていた人物じゃからのう。子爵家に話が降りていなくてもおかしくはない。そもそもケーラに名字などなかったし、長い時を経てどこかで魔の乙女の話は途切れたのかも知れぬ」

「…………」


 まだ納得のいっていないロザリンドは黙り込んだが、レクスが口を開いた。


「俺はカラ様の話に合点がいく。この子爵領地に関しては、少々おかしいと思っていた。南をマールバラ公爵、そして北をシュベルリンゲン伯爵領に挟まれているトアイユの森という場所は決して広くはない。本来ならばどちらかの領地に属しているのが普通の土地だ。なのに、ランカスター子爵家がずっと存在し続けている……きっとそれには理由があるはずなんだ。歴史から名を消された『魔の乙女』の末裔が住んでいるのだとすれば、納得もできる。おそらく初めのうち、トアイユの森は立ち入りが制限されていた場所なのだろう。ヴァルモーデン王国建国後も頻発する貴族同士の小競り合いによる戦火に呑まれない土地。生態系が崩れ、今回の事件が起こるまでは、魔獣も魔鳥も来たことがない奇跡の土地。トアイユの森はずっと、守られていた土地なんだ」

「『魔の乙女』は王家にとってそこまでして守るべき存在だったのかしら」

「ああ。何せ彼女は……」


 レクスはふとそこで言葉を途切れさせると、朝焼け色の瞳を不自然に宙に泳がせた。何かを言おうとして口をつぐんだ、そんな印象を与える。

 少し黙ったレクスは、思い直したように言う。


「何せ彼女は、初代王弟の想い人。特別な存在だった」


 それは、真実には違いない。

 けれど言葉の裏にはまだ何かの秘密が隠れているような気がしてならない。

 ただどんなに問いただしても、今のレクスからはこれ以上の情報は得られない気がする。

 ロザリンドは「そう」とだけ言い、表面上納得して頷いた。


「色々と教えてくれてありがとう。きっと機密事項だったのよね」

「まあ。ただロザリーに関わる事柄ならば、教えておいた方がいいだろう。カラ様もそう思ったのだろうし」

「問題は、私が作った羽根ペンの扱いね……」


 ロザリンドは息を吐く。


「そんなにも強力な思考を誘導する力が働いてしまうなら、迂闊に売る事ができないわ。ヴェロニカ様からも、一旦お返しいただいた方がいいかしら」

「そうだな。万が一外に出回ったらとんでもないことになる」

「明日、事情をお話ししに行くわ。魔鳥の羽根ペンは他の職人に作ってもらって、私は販売に集中しようと思うの」

「その方がいいだろう」

「色々とありがとう、レクス。……なんだかお腹がすいちゃった。夕食にしない?」

 レクスが頷いたので、ロザリンドは立ち上がる。

「じゃあ、食堂に行きましょうか。宿の料理が美味しいから、実は私結構楽しみにしているのよ」

「ロザリーはもっと食べた方がいい。痩せすぎている」

「だって一年もまともに食事なんてできなかったんだもの、当たり前だわ」

「これからは気にせずに好きなだけ食べろ。なんなら俺が支払いを持つ」

「そこまでレクスに甘えてられないわ。……でも、そうね、きちんと食べて眠らないと。領地立て直しのために、私は倒れてなんていられないから」


 ***


 夕食を終え、部屋に戻ったレクスは再び眼鏡を外し無造作にテーブルに置いた。


「…………」

「ロザリンドのことが気になるか」


 椅子の背もたれに留まるカラドリウスを見た。黒いつぶらな瞳は全てを見透かすようにじっとレクスを見つめている。


「『魔の乙女』の末裔だと、カラ様は本当に思っていますか」

「ああ。最初から不思議な気はしていたのじゃが、今日の話を聞いて確信したーー間違いなく彼女はケーラの血を引いておる」


『魔の乙女』ケーラは歴史の表舞台から完全に名前が抹消されている。存在を知っているのは歴代の王と王弟、そして実際に彼女と面識があるカラドリウスのみ。

 ヴァルモーデン王国の王太子と第二皇王子は、時が来るとケーラについて聞かされるのだ。

 ーーそれは、ロザリンドには話すことができない、ヴァルモーデン王国最大の闇深い真実。

 先に話したのは真実の一端に過ぎず、全貌はもっと歪で残酷で悍ましい。

 決して美しい建国の物語ではないからこそ消し去られた話を、レクスは十歳の時に聞いていた。


「…………」


 当時のことを思い返したレクスは知らず眉根を寄せて苦悶の表情を作っていた。


「レクスよ、顔が怖いぞ」

「すみません」

「こういう時は、忘れよ。そして笑うのじゃ。笑っとるうちに自然と楽しい気持ちになる」

「……はい」


 笑い方など、もうとうの昔に忘れてしまった。レクスの表情は乏しい。常に思い詰めたような顔をしているか、もしくは無表情かーーそんな顔しかできなくなってしまった。


「ロザリンド殿を見習うのじゃ」


 言われてレクスはロザリンドを思い出した。

 彼女は、いつでも前向きだ。どれだけ悲惨な目に遭おうとも、決して挫けず悲嘆に暮れず、生き残った人たちのためにどうするべきなのかを考えて前進し続ける。

 そうして、戻ってきた平和な日々を噛み締めるかのように、ちょっとした出来事に感動したり幸せを感じたりするのだーーたとえば先ほどの夕食の席でも、出された食事を美味しそうに頬張っていた。

 幸せそうに食事をするロザリンドの顔を思い出したら、レクスの口元が緩んだ。無意識のうちに全身に入っていた力が抜け、こわばっていた体が緩む。


「おぉ、良い感じじゃぞレクスや。うむうむ、やはりおぬしとロザリンド殿は相性が良いのう」


 カラドリウスは嬉しそうに羽を羽ばたかせる。

 あの笑顔を守りたい。だからレクスは今きっと、彼女と行動をしている。


「……もう寝ましょうか。明日もすべきことがある。また乗せて飛んでもらうことになると思いますが」


 ヴェロニカ嬢から羽根ペンを回収したら、一度子爵領に戻ることになるだろう。


「お安い御用じゃ。おぬしもロザリンドも軽い故、何の問題にもならんわい」


 神鳥カラドリウスを頼もしく思いつつ、レクスは寝るための支度を始めた。

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