第29話 検証
「……何してるの?」
「座ってる」
「それはまあ、見ればわかるけど……」
宿に戻ったロザリンドは、宿の前にいるレクスを見て頬を引き攣らせた。
レクスの周りには鳩が群がっており、その鳩を追いかける子供たちが走り回っていた。レクスは手に持っているパンをちぎって石畳に落としながら言う。
「宿にこもっているより街の様子を観察したいと思ってこうして座っていたら、宿の人に『鳩に餌やっといてくれ』と言われてパンをもらった。パンをあげていたらどんどんと鳩が集まり出して、それを追いかける子供も集まり、この状況だ」
無表情にパンをちぎって鳩にあげるレクスはなかなかにシュールである。見ればカラドリウスも鳩に混じってパンを啄んでいるではないか。後ろからそーっと近づいて来た子供に抱き上げられており、「やったー鳩捕まえたー!」と高々と掲げられていた。嘴にパン屑を加えたまま目を丸くして羽をバサバサとする様は、完全にただの鳩だった。羽が真っ白でちょっと珍しい種類の鳩だ。
神鳥だというからもっと気高く孤高の存在なのかと思っていたのだが、実際にはかなり親近感の湧く生き物だった。
ロザリンドが言葉を失い立ち尽くして目の前の光景を見つめていると、最後の一切れをあげたレクスが立ち上がり、膝の上にこぼれたパン屑を払った。
「ヴェロニカ嬢との話は終わったのか?」
「え、ええ、実はそのことで相談があるの」
「わかった。悪いがシロさんを返してくれ」
「えーっ」
レクスがカラドリウスを抱えたまま走り回る子供に近づくと、子供は唇を尖らせて嫌そうな顔をする。
「ぽっぽー! ぽっぽー!!」
「ほら、シロさんも嫌がってるだろう。動物の嫌がることをしたらダメだ」
「ちぇー、わかったよ……」
子供は渋々カラドリウスを解放してくれ、カラドリウスはバサバサ飛んでレクスの肩へ止まる。なんだかその光景が面白くて、ロザリンドは思わず笑ってしまった。
「待たせたな、ロザリー……どうして笑ってる?」
「いえ……なんだか、平和だなと思って。ふふっ」
王弟殿下と神鳥という組み合わせからは考えられない光景だ。ロザリンドの言わんとすることが伝わったのか、レクスは少し照れたように唇をへの字に曲げると踵を返した。
「……相談があるんだろう。部屋に戻るぞ」
「ええ。私なんだか、その眼鏡をかけていても、レクスが何を考えているのかわかるようになってきたみたいよ」
「それはすごいな」
抑揚のない声で告げられた言葉に、ロザリンドはまたしても笑いを漏らす。肩に留まったカラドリウスが機嫌良さそうに「ぽっぽー」と鳴いた。
日が暮れた時間帯の今、宿の中は人が多くなっていた。先ほどのヴェロニカが来た時には騒ぎになったものだが、今は落ち着きを取り戻している。食堂で夕食に向かう人々を尻目に、ロザリンドとレクスはひとまず部屋へと入った。もはやすっかりロザリンドがレクスの部屋に行くのが普通になっている。
旅慣れているレクスは荷物の全てを子爵領地から持って来ているのだが、量が非常に少ない。肩にかつげる大きさの革の頑丈な袋が一つ、それだけだ。隅に無造作に置かれているその荷物のみが存在する部屋の中、ロザリンドがテーブルに向かい合って椅子に腰掛けると、眼鏡を外したレクスも座った。
「ヴェロニカ嬢は何と言っていた?」
「伯爵様ははじめ、援助をするつもりがなく、フィルお兄様とヴェロニカ様との婚約ももちろん許すつもりがなかったと。ところがヴェロニカ様が私が作った魔鳥の羽根ペンで手紙を書いて渡したら急に考えを変え、援助も婚約も許可した……と言う話だったわ」
先ほどヴェロニカに聞いた話を簡潔にまとめて告げると、レクスの片眉が釣り上がった。
「手紙を読んだだけで考えを変えたのか?」
「そうみたい。ヴェロニカ様は羽根ペンの持つ力じゃないかって言うんだけど……私にはそんな大それた力はないから、あの魔鳥に何か特殊な能力みたいなものがあるの?」
「いや。聞いたことがない」
レクスは首を横に降り短く否定する。
「確かに魔鳥や魔獣の類にはそうした人知の及ばない力を持つ輩もいる。だがスティムパリデスはただの獰猛な鳥だ。何かあるとしたらやはり、ロザリーの方じゃないのか」
「けど、今までそんな強力な洗脳効果みたいなことは起こらなかったのよ」
ロザリンドは困り果てていた。
「ひとまず一度、試したほうがいい。他にもロザリーが作った魔鳥の羽根ペンはあるか?」
「一本だけ。持ってくるわ」
急いで部屋からペンを一本とインク壺、羊皮紙を持ってレクスの部屋に戻る。テーブルの上には先ほどはなかったコップが置かれていた。中身は空だ。
ロザリンドからペンを受け取り、インクをペン先に浸しながらレクスは言う。
「あまりに強すぎる言葉を書いてそれがもし現実になったら困るから、まずは簡単なものにしよう」
そういってレクスが書いたのはーー「コップに水を満たせ」というものだ。
なるほどそのためのコップだったのねとロザリンドは納得し、緊張に身を固くした。
書いてしばらく待ってみる。ロザリンドとレクスとカラドリウスの視線が、空のコップに注がれた。
しかし待てども待てどもコップの中に水が現れる気配はない。
「何も起こらないかしら……?」
「なら次だ」
今度は「蝋燭の火を消す」。
部屋に灯されている蝋燭の火がひとりでに消えるのを想像しながら二人と一羽は待ったーーが、これも何も起こらなかった。
レクスは次々に文字を書く。
窓を開ける。革袋を投げる。だが何も起こらない。
「もしかしたら人が関わっていないといけないのかもしれない」
レクスはそう言うと、ちらりとロザリンドを見てからさらさらと文字を書き羊皮紙を手渡した。受け取ったロザリンドが文字を読む。
「自分の部屋に戻る」と書いてあった。
「戻りたい気になったか?」
「いえ、特に……」
「ふむ……」
レクスは顎に手を当てて黙り込んでしまった。紙をテーブルに置いたロザリンドも考える。
「……私の作る羽根ペンで書いた文字が現実になるっていう噂はおまじないみたいなもので、心を込めて手紙を書けばそれが相手に聞き届けられる可能性が高まる……というものなのよ。だから……」
「こうして意味もなく綴っても効果が現れないということか」
「ええ、おそらく」
「なら、そのおまじないの効果が強まったと考えるのが妥当だな。だが、なぜだ?」
「わからないわ」
二人で考えても思考が袋小路にはまるだけで、一向に解決に向かっている気配がない。黙りこくった二人に対し、この場にいるもう一つの存在が声をかけた。
「のう、二人とも。ロザリーの話を聞いて思い出したんだがのう。ランカスター子爵家というのは、トアイユの森に住む『魔の乙女』の末裔なんじゃなかろうか」
「魔の乙女?」
初めて聞く単語にロザリンドは首を傾げる。一方のレクスは何かを知っているようで、朝焼け色の瞳でカラドリウスを見つめた。
「それは、ヴァルモーデン王国の創世記に出てくる存在の?」
「左様」
重々しく頷くカラドリウス。
「創世記に出てくる……? 何の話?」
レクスとカラドリウスは同時にロザリンドを見つめた。
「ヴァルモーデン王国の成り立ちについては、知っているか?」
「ええ、王と王弟、それから神の物語でしょう?」
その昔、ヴァルモーデン王国は魔獣と魔鳥に支配された場所だったという。獰猛な生物が闊歩するその地には人が住めず、ただひたすらに弱肉強食の世界が広がっていた。
その地を現在の王家の礎となった人物、初代国王エドワードと王弟ヘイデンそして今ここにいる神鳥カラドリウスが鎮めて人が住める場所にしたのだという話だ。
「広く知られている創世記には、表舞台から抹消された存在がいる。それが今、カラ様が言った『魔の乙女』。実は、初代国王と王弟がこの地から魔獣と魔鳥を駆逐して、人の地にしようと決意したきっかけこそが『魔の乙女』だったんだ」
「どういうこと?」
「『魔の乙女』は……魔に魅入られた存在だった。今から話すのは、王家でも王と王弟、そしてカラ様しか知り得ない、闇に葬り去られた歴史の出来事だ」
レクスは語り出す。
ヴァルモーデン王国の創世記の、遥か古に起こった物語を。
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