第16話 羽根ペン作り①

 翌朝目を覚ましたロザリンドは、久々に目覚めがスッキリしていることに気がついた。今までは昼もなく夜もなく魔鳥に怯え、少しでも物音がすれば起きていたものだが、それがなくなり肩の荷が降りたせいだろう。

 身を起こしたロザリンドは、伸びをしてから朝の支度に取り掛かる。

 それから朝食を作るべく厨房に行き、簡単に朝食を用意してから、レクスの元へ持って行くべくトレーに載せて客間へと移動した。

 ノックすると、扉が開き、朝焼け色の瞳と目が合う。もう起きていたらしいレクスは、昨日の苦しげな様子とは一転していた。


「おはよう、レクス。顔色が良くなったわね朝食を用意したんだけど、どう?」

「ありがとう。もらう」


 少し微笑んだレクスと共に、部屋の中へと入りテーブルにトレーを載せる。


「あまり豪華なものは用意できないんだけど……」

「子爵領は魔鳥に支配されていたんだから当然だろう。の割には、結構いいものが並んでいる気がするが」

「今朝は急ぐ必要がなかったから、ちょっと頑張って作ったの」


 今までは魔鳥が香りに惹きつけられる危険性があったから、毎日火を使って手の込んだ料理を作るなどできなかった。日持ちするように固く焼き締めたパンを、急いで作ったスープに浸して食べるような日々を続けていたし、一日の食事回数も三食から二食に減っていた。

 しかし魔鳥の襲撃に怯える必要性がなくなった今、思う存分火を使って料理ができる。

 ロザリンドは備蓄されていた小麦から久々にパンを捏ねて作り、蓄えてあったじゃがいもを濾して滑らかなポタージュを作っていた。


「シロさんの分もあるわよ」

「おぉう、ありがたい」


 ロザリンドはシロさん用に作ったパンをお皿に載せると、シロさんはバサバサとテーブルまで羽ばたいてちょんと乗り、パンをついばみ始めた。


「うむ、まだ温かくて美味じゃ。素朴な味わいじゃのう」

「粗糖を使っているせいかしら。白い砂糖は貴重で高価だから、手に入れられなくて」

「何であれ美味ならばよしじゃ」


 機嫌よくパンをついばむシロの横では、レクスがポタージュに口をつけている。食事所作が上品で、さすが王族といったところだった。


「……ロザリーは食べないのか?」

「え? 王族と食事を共にするのは恐れ多いかと思って……」

「今更じゃないか? それに正体を隠しているのだから、そんな気遣いは不要だ」

「そう? なら、ご一緒しようかしら」


 実は空腹が極限状態であったロザリンドは、お言葉に甘えることにした。厨房から自分の朝食を持って来て、レクスの向かいに座って食べる。

 久々に食べた焼きたてのパンはふわふわで柔らかく、口の中に幸福が広がる。マールバラ公爵領で食べた物も美味しかったが、あの時よりさらに美味しく感じるのは、きっと魔鳥がいなくなって肩の荷が降りたせいだろう。

 そして魔鳥がいなくなったのはひとえに目の前に座る、レクスのおかげだった。

 ロザリンドは食事の手を止めて、深々とお辞儀をする。


「あの……ありがとうございます」

「? 何がだ?」

「昨日の、魔鳥討伐と、お兄様のことと、そもそも最初に助けに来てくれたことと。レクスが……いえ、アレクシス殿下が来てくださらなかったら、もうとっくにランカスター子爵領は魔鳥に飲み込まれて滅んでいました。改めて、領地を代表してお礼を言わせてください」


 ロザリンドの礼をどう受け取ったのか、レクスはパンをちぎり、少し顔をしかめた。

「そういうのは良い。以前にも言ったが、俺はお前の心意気に動かされただけだ。お前が領地を捨てて逃げ出さないから、俺も手伝っただけ。全てはロザリーの行動が引き起こした結果だ。あと、不用意に俺の本名を呼ばないように。レクスでいい、レクスで。敬語も使うな」


 目を上げてレクスを伺うと、本当に毛ほどにも気にしていない様子である。


「レクスは優しいのね」

「そうでもないさ」

「そうじゃ、こやつは国で一番優しいとわしは思うておるぞ!」

「シロさん」

「レクスは無表情だし無口だしで分かりづらいが、誰よりも優しい心を持っておる。なればこそ、神であるわしが力を貸しているというものじゃ」

「やめてくれシロさん」


 困ったように神鳥をなだめるレクスに、ロザリンドは思わず笑いを漏らしてしまった。レクスは眉根を寄せ、それからちぎったパンを口に放り込む。

 子爵領で取る久々の温かい食事は、ぬくもりに満ちていた。



 食事を終えたロザリンドたちは立ち上がる。


「レクスは今日これからどうするの? まだ休んでいても構わないけれど」

「森の中を見て回りたい。ディックにも同行して欲しいのだがどこにいるだろう」

「さあ。昨日は私、レクスの看病をするから後のことは他の人に任せてしまっていて……魔鳥の死骸を処理してくれるって言ってたから、今日も崖下にいるかも」

「そうか、それはすまなかった。ならばひとまず探しに行きがてら、外に出よう」

「ええ」


 支度を整え外に出ると、家々の煙突から煙が立ち上っているのが見えた。皆、朝食を作っているのだ。この一年皆で最低限の火しか使っていなかったので、レンガの煙突からもくもくと煙が出ているのも久しぶりに見る光景だった。

 当たり前の日常を、やっと取り戻せる。

 その事実をロザリンドが噛み締めつつ街を歩いていくと、「ロザリー!」と声をかけられた。振り向くと、手を振りながら近づいてくるのはディックだ。


「ディック、昨日はごめんなさい」

「いえいえ、お安い御用ですよ。レクスも良くなったみたいですね。よかった」

「昨日は手伝えなくてすまなかった」

「ものすごい具合悪そうだったんで心配したんです! 治ってよかったぁ」

 ほっとした顔で笑うディックに、レクスも頷く。

「ところでディック、森にいる魔鳥の雛の様子を見に行きたいからついて来てくれるか」

「了解す」

「じゃあ私は、河川敷を見てくるわ。無理しないでね」

「ああ」

「行ってきます!」


 ロザリンドは二人と別れて崖下まで降りる。

 魔鳥の死骸は昨日領民たちが片付けてくれたようで、もう跡形もなかった。

 焼いた後の灰が積み上がり、燃え残った骨と嘴と爪だけがかろうじて魔鳥の痕跡を河原に伝えている。残骸だけでも凄まじい量だった。

 レクスとカラドリウス様の力がなければ、どう考えても全滅していたのは人間の方だ。

 改めて昨日起こった奇跡に感謝していると、ミューレが崖を降りてきた。


「ロザリンド様、おはようございます! 魔鳥の羽、昨日のうちにみんなで全部集めておきましたよ!」

「ミューレ、ありがとう」

「崖下の洞窟に集めてあるので、早速見に行きますか?」

「ええ、そうするわ」


 ミューレと共に崖下の倉庫、魔鳥との戦闘時に領民たちの一時的な避難所にしていた巨大な天然洞窟に入ると、魔鳥の羽がいくつもの木箱に入れられてうずたかく積み上がっていた。


「これだけあれば、相当量作れるわね。しばらく材料には困らなさそう」


 ロザリンドが木箱の中の羽根の状態を確認していると、朝食を済ませた他の領民たちも次々に洞窟内へとやってくる。


「ロザリンド様、おはようございます」

「羽根の状態はいかがですか?」

「とっても良さそう。さすがね」


 ロザリンドが羽根を手ににこりとすると、領民は安堵した表情を浮かべた後、そのまま肩を落とした。


「材料は大量に手に入りましたが、肝心の職人の数が半分ほどにまで減ってしまいましたね……」


 戦える年齢の男たちは真っ先に魔鳥の餌食になってしまったので、職人も同じだけ失ってしまっている。それを思い出し、集った領民たちの表情は打ち沈んだ。

 皆、多かれ少なかれ家族を失っている。誰一人として欠けてない方が珍しいくらいだった。

 ロザリンドの脳裏に、父と母の姿がよぎる。同じ工房で働いていた、ランドの姿がよぎる。他にもたくさん、お世話になった人がいた。ロザリンドに優しくしてくれた人たちがいた。

 ロザリンドはぎゅっと羽根を握りしめると、前を向いて一人一人の顔をしっかりと見る。


「……くよくよするのは後にしましょう。とにかく、これから私たちが生きていく術を見つけないと」

「……そう、ですね」

「ええ」

「おっしゃる通りです」


 ロザリンドの言葉に領民たちもはっとして、同意してくれた。ひとまずこの羽根が、本当にペンとしての利用に適しているのか確かめなければならないだろう。


「じゃあ早速、羽根ペン作りを開始しましょうか」

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