第8話 選択肢は二つ。森を抜けるか、ここで死ぬか

「フィル様の御容態があまり優れず……一度、お顔を見に行っていただきたいのですが」

「わかったわ」


 ロザリンドは最悪の事態を想定して震える手をギュッと握り、皆の方へと向き直る。


「申し訳ないのだけれど、兄のフィルの様子を見てくるから、食事は少し遅れるわ」

 するとこれを聞いたレクスが即座に立ち上がった。

「俺も行く」

「あなたも?」

「各地を放浪している関係で、怪我や病には少々詳しい。見ればわかることもあるかもしれない。同行したい」


 ロザリンドはレクスの言葉に、しばし迷った後に頷いた。


「では、よろしくお願いします」


 二人で部屋を出て、上階に位置する兄の寝室へと向かう。

 道すがら医師が沈鬱な声で兄の容体を話してくれた。


「フィル様の傷口から菌が入ったらしく、化膿して熱が引かないのです。私の力が及ばず申し訳ありませんが、このままでは……」

「それ以上の言葉は聞きたくないわ」


 医師の話を遮るように寝室の扉を開けてロザリンドがベッドに近づくと、苦しそうな息遣いの兄が横たわっていた。額から汗を流し、唇がひび割れて乾いている。顔色は青白く、何日もろくに食事をしていないため痩せ細っていた。

 ロザリンドは兄の手を取り、そっと話しかける。


「お兄様、聞こえますか? ロザリーです」

「ロザリー……音が聞こえた。魔鳥の襲撃は……?」

「ここにいる、レクスさんが退けてくださいました」

「レクス……?」


 うっすらと目を開けたフィルが、ロザリンドの背後に立つ青年を見る。


「君が、魔鳥を……?」

「一時的に追いやったに過ぎない。すぐにまたやって来る。それよりも」


 レクスはロザリンドの横に来ると、躊躇せずにフィルにかけられていた毛布を剥ぎ取り、衣服を捲った。それから腹部に巻かれた包帯をずらして傷口を確認すると、顔を思い切り顰める。


「この傷は酷いな。このまま放っておくと、あと二、三日と持たずに死ぬぞ」

「けれど、これ以上の手当てはできません」


 医師の言葉にレクスが間髪入れずに言葉を返す。


「ならばマールバラ公爵領に連れて行くべきだ。領主館のある街にはここから半日あればたどり着けるだろうし、大都市だから優れた医師がいるだろう。設備も揃っている」


 この提案に首を横に振ったのは、フィルだった。


「公爵様は我々に見向きもしない。たとえ瀕死の私が顔を見せたところで、門前払いにされるのがオチだ」


 フィルの言っていることは事実だ。

 大公爵マールバラ家の現当主は、身分至上主義。

 王族や同等の爵位を持つ相手には丁寧に振る舞う一方、格下の相手は徹底的に見下すような人物として知られている。

 助けを求めたところで拒否されるのは目に見えていた。

 しかしこのフィルの発言に、レクスは意外にも笑ってみせた。


「そういう相手ならばむしろ好都合、俺がなんとかしてやろう」

「どうやって……?」

「行けばわかる。それとも、出会ったばかりの人間にこんなことを言われても信じられないか?」


 ロザリンドは問われて、レクスの顔をじっと見つめる。

 薄青色の色付き眼鏡に覆われた瞳は見透かすことができず、どのような表情をしているのかは正確にはわからない。

 レクスと出会ってから一日も経っていない。

 しかしこの半日のうちに、レクスはロザリンドの窮地を救い、手も足も出なかった魔鳥を討伐し、魔鳥を退ける笛の作り方を教えてくれた。

 それは、北のシュベルリンゲン伯爵領地の兵たちの力を持ってしても叶わなかった、奇跡にも等しい行為だ。

 しばしの思考ののちにロザリンドはゆっくりと口を開いた。


「……レクスなら、信じられるわ」


 レクスの口元の笑みがますます深まる。


「結構。あとは、お前に公爵家の館に辿り着くまでの気力と体力が残っているかだ」


 フィルはレクスを見上げて、かすかに頷いた。


「よし。森を抜けるまでの道案内を頼みたいのだが、誰か適任者はいるか?」

「なら、私が!」


 ロザリンドが一も二もなく手を上げる。


「よく森の中を走っていたから、乗馬は得意よ」

「ならば早速行こう」


 レクスはフィルの体に毛布を巻き付けると、片手で担ぎ上げた。しかし医師が悲痛な面持ちでそれを止める。


「お待ちください、フィル様は重症で、とてもではありませんが馬に乗ってどこかに向かう体力などございません!」

「ではお前がどうにかできるか?」

「それは……!」

「ここで寝ていてもどうせ死ぬ。ならば一か八か、助かる可能性が高い方にかけてみるべきだろう」


 医師の制止を振り切って、レクスとロザリンドは寝室からフィルを担ぎ出した。


「レクス、馬は?」

「いない。借りられるか」

「勿論よ。館の裏のホールにいるわ」


 ロザリンドは一階におりると館の裏手に当たる部分の物置小屋にレクスを案内し、二人で馬の準備を整えた。もう子爵領地に残っている馬はこの二頭だけで、あとは魔鳥に食い尽くされた。残った馬を死守するべく、厩舎ではなく館内部に馬を避難させて飼っていたのだ。


「アイオロスの笛は持ってるか」

「ええ。首にかけている」

「森に入ったらすぐさま回せ。森を抜けるまで、音を途切れさせるなよ」

「わかったわ」


 鞍をつけた馬にフィルを抱えたままのレクスが器用にまたがり、フィルを落とさないように気をつけながら体勢を整える。ロザリンドも自分の馬に乗ると、「行きます」と小さく告げ、手綱を打った。

 二頭の馬が領主館を抜け、街の中を駆け抜ける。

 ランカスター子爵領唯一の街は、峡谷を挟むように存在している。

 南側に位置するマールバラ公爵領に行くためには、峡谷にかかる吊り橋を越えて森の中を抜けなければならない。

 森の中は、魔鳥ステュムパリデスの巣窟だ。


(無事に抜けられるといいのだけれど……!)


 ロザリンドは半ば祈るような気持ちで橋を渡り、街を抜けると、森の中へと馬を進めた。

 日没に近い森の中ではあちこちの木々で魔鳥の雛が囀り、親鳥が威嚇の声をあげている。

 ロザリンドは獰猛な魔鳥の鳴き声を耳にして肩をすくませ、体勢を低くした。馬の背に張り付くようにして、それでも前を見据えて先を行く。

 怯むわけにも、引き返すわけにもいかない。

 ロザリンドは胸元にかけていたアイオロスの笛を首から外すと、紐を持って振り回した。


(私たちを守って。森を無事に抜けさせて……!)


 兄を死なせないためにも、マールバラ公爵領地に行かなければならない。

 ロザリンドは片手で笛を回しつつ、張り出ている木の枝や足元の岩を避けて先を急ぐ。

 ロザリンドは馬を走らせながら、かつて一度だけ行ったことのあるマールバラ公爵領地について思い出した。

 マールバラ公爵領は、森を抜けたところにある広大な領地だ。

 領主館のある公爵領最大の街は王都の次に大きな街で、人も設備も最先端のものが集っている。

 森を抜けてすぐの街で馬を替え、休まず走り続ければ、確かにレクスの言う通り一日で領主館のある街へと辿り着く。


(お兄様、頑張って!)


 ロザリンドは心の中で兄の体力が保つことを祈りつつ、馬を駆けさせた。

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