第9話 公爵館とレクスの正体①
ロザリンドとレクスの目論見通り、馬を替えて全力疾走したところ、その日の夜間に公爵家の人々が住まう領主館のある街へとたどり着いた。
街の最奥にある館に馬を進めると、当然のように見張りの門兵に見咎められる。
「止まりたまえ。こんな夜更けに、公爵様の館に何の用だ」
「ランカスター子爵家のロザリンドです。兄のフィルが魔鳥に襲われて重症でして。公爵様の力をお借りできないかと……!」
「公爵様はもうお休みになっている。そうでなくとも、多忙の身。街の医者を尋ねなさい」
想像通りの答えに、ロザリンドが肩を落とす間も無く、フィルを抱きかかえたレクスが割って入ってきた。
「急用だ、扉を開けてくれ」
「話を聞いていたのか? 公爵様は君たちにお会いにならない」
「……子爵家だから会わない、ということか?」
「そうだ。お通しするのは、約束を取り付けてある者、もしくは同等の家柄以上の者のみにするべしと厳しく申し付けられている」
「ならば、これでどうだ」
レクスはおもむろにそう言うと、目元を覆っていた薄青色の色付き眼鏡を外した。
「…………!」
晒された素顔を見て、ロザリンドも門兵も、文字通り絶句する。
朝焼けのように青とも赤ともつかない不思議な色に輝く瞳は、傾国の美姫と謳われるこの国の第二妃と同じ色で。その色を受け継ぐ者は、国でたった一人のはずだった。
レクスはシャツの下に隠されていたネックレスを引っ張り出し、門兵に向かって突きつける。
ーーそれは、己の身の上を明かす、確固たる証。
この国の国章が刻まれた、王族のみが身につけることを許されている、特別な紋章。月桂樹を編んで作った冠を被った神鳥、カラドリウスが刻まれたものだった。
「俺の名前はアレクシス・ヴァルモーデン。国王レナード・ヴァルモーデンの兄弟だ。危急の折に助力を乞うべくやって来たと、そう公爵殿に伝えてくれ」
「お……王弟殿下……! 失礼いたしました、お通りくださいませ!」
慌てた門兵が即座に道を開け、扉を押し開け中へ入るように促した。
フィルを担いだレクスは、堂々と館内へと歩みを進めて行く。
夜間に突如現れた貴人に、館内は俄に慌ただしくなった。
使用人が出てきてあちらこちらの照明が灯される。
執事らしき人物が現れ、右手の部屋の扉を開けた。
「ひとまずこちらの部屋へどうぞ!」
「死にかけの連れがいる。医師を手配してもらえないか」
「はい、すぐに!」
フィルをソファに寝かせたレクスを見上げ、ロザリンドは彼のまさかの正体に驚いていた。
「まさか王弟アレクシス様とはつゆ知らず……! 今までのご無礼、お許しください。あの、どうして子爵領においでになったのですか?」
「……王に手紙を送っただろう」
短く言われてロザリンドははっとした。
領地の窮地をなんとかするべく中央政権に向けて送った、一通の手紙。
そこには、確かに『対処方法を考える』と書いてあった。
そんな返事は何もしてくれないのと同義ではないかとロザリンドは思っていたのだが、そうではなかったのだ。
礼を言うべきだと思ったロザリンドが頭を下げようとすると、レクスはそれを手で制す。
「良い。俺は俺が手を貸したいと思ったからそうしたまでだ。いくらレナードの頼みであろうと、お前たちが助けるに値しない人物だと思えば見捨てていた。俺をここまで動かしたのは、お前の真摯な心だよ、ロザリー」
「…………!」
「親を殺されても絶望せず、死を覚悟して髪を切り捨て魔鳥に立ち向かう姿は賞賛に値する」
レクスの言葉は紛れもなくロザリンドを褒めてくれていて。
自分のやったことが無駄ではなかったのだと感じられて。
魔鳥が襲撃してきて以降、ずっと張り詰めていた気持ちがふっと和らぐのを感じた。
部屋の扉がノックされ、開く。慌てて服を着て来たであろうマールバラ公爵が白衣を着た医師を伴い入室して来た。
「これはこれは、アレクシス様! お待たせいたしました。まさかレナード様のご即位以降、お姿が見えなかったアレクシス様にこうしてお越しいただけるとは……!」
「急な深夜の訪問、すまない。ランカスター子爵家のフィル殿が死にかけている。助けてやってはくれないか」
「それは、もう!」
公爵の背後にいた医師が進み出てフィルの容体を見るべく膝をついた。
衣服を捲って包帯を外し、傷口を見るなり息を呑む。
「これは酷い……! 即座に処置をしなければ、命が危ういです。公爵様、どこか部屋をお借りしても?」
「二階の客間を使うといい。誰か案内してやれ」
「はい」
一人の使用人が進み出て、フィルを担いで慌ただしく去って行くのでロザリンドも同行しようとしたが、レクスに制される。朝焼け色の瞳が何かを訴えており、ロザリンドは歩みを止めて大人しくその場に留まった。
兄の容態も心配だが、きっとそれ以上に重要な要件があるに違いない。
ロザリンドが動きを止めたのを見て、レクスが口を開く。
「今日はフィル殿の件だけではなく、もう一つ願いがあって参った」
「ほう、何でしょうか」
「ランカスター子爵領地に巣食っている魔鳥を討伐するために、マールバラ公爵家の有する騎馬部隊を出動させてもらいたい」
「それは……!」
レクスの単刀直入な願いに公爵はあからさまに狼狽えた。
「このまま魔鳥が増え続ければ、いずれ森を出て公爵領にも被害が出る。そうなる前に手を打っておくべきだと思うが、どうだろう」
「し、しかし……我々が把握している限り、事態はそこまで深刻ではないと存じております」
「そうか? 俺がこの目で見た限りでは、ランカスター子爵領は壊滅的な被害を被っていたぞ。ランカスター子爵夫妻は死亡、息子のフィル殿は先ほどの通りの重傷、領民の負傷者も多数出ている」
「…………国王軍を動かせばよろしいのでは」
「中央にいる国王軍では出動までに時間がかかる。子爵領地に到着する頃には、一人の生き残りもいないだろう」
レクスの鋭い切り返しに、公爵は反論の言葉を失った。
口をモゴモゴと動かした後、肩を落とす。
「相わかりました。兵を出しましょう。その代わりこれは王家への貸しとみなしますがよろしいですかな」
「貸しも何も、自領を防衛するための努力だろう? 魔鳥は人間の定めた境界を越え、人を屠る。自領民が被害に遭う前に兵を出して駆除するのが普通だと思うが」
「ぐぬぬ……」
公爵は腹の中に怒りを押し殺すように低く唸り、やがては諦めたように嘆息した。
「……やり手と恐れられたアレクシス様を言い負かすのは不可能のようですな。承知いたしました。もう夜も遅いので、泊まって行かれますかな。心ばかりのもてなしをいたしましょう。……そちらのロザリンド殿も、一緒に」
「助かる」
「ありがとうございます」
「ではわしは諸々の手配に行かねばなりません。しばしここで寛がれてください」
マールバラ公爵が去っていき、ロザリンドは深く息を吐き出した。
「あのう、ありがとうございます。私だけではマールバラ公爵様の協力を得ることはできませんでした」
「公爵殿には何度か会って話をしたことがある。あの手の輩は権力に弱いから、俺からすれば操りやすい」
確かに公爵の態度はロザリンドが以前父と兄と共に会いに行った時とはまるで違っていた。
「あとは、お兄様が無事に回復すると良いのだけれど……」
「フィル殿を信じるしかないな」
レクスの言葉にロザリンドはこくりと頷く。
その後、公爵家の使用人が軽食を持ってきてくれたので、レクスと二人で口にした。夕食も取らずに駆け抜けて来たため、空腹が極限状態であったことに今更ながら気がついた。
軽食を取った二人を使用人が別々の部屋へと案内し、ロザリンドは部屋のベッドに倒れるようにして身を横たえた。
子爵家のものとは違う、ふかふかなベッドに身を横たえ、公爵家に来るまでの出来事を振り返る。
色々なことが一度に起こった。
伸ばし続けていた髪を切り、死を覚悟して剣を手にした。
魔鳥から助けてくれたのは、青い髪を翻した青年だった。
アイオロスの笛という、魔鳥が嫌がる音を出す笛の作り方を教えてくれた。
フィルお兄様を助けるべく、馬を走らせ、そして……公爵家で明かされたレクスの本当の身分。
「王弟、アレクシス・ヴァルモーデン様……」
ロザリンドはレクスの本名を口にしてみる。
ロザリンドは、王都にある城で行われたレナード殿下の国王就任式時に、アレクシス殿下を直接見たことがあった。
今とは違う正装に身を包み、短い青い髪と朝焼け色の瞳が特徴的な整った顔立ちに、なんて美しい方なのだろうと思ったことをよく覚えている。
聞いたところによると、アレクシス王弟殿下はレナード国王の腹違いの兄弟で、生まれた日にちは一日しかずれていないらしい。
正妃から生まれた兄のレナードをよく支え、公務において手腕を遺憾なく発揮していると評判の高い方だった。将来レナード殿下が国王になった際には、きっと右腕として補佐してゆくのだろうと誰もが思っていたのだ。
しかし、レナード殿下が国王に即位した三年前から、アレクシス殿下の足跡はパッタリと途絶え、公務にも顔を出さなくなったらしい。
突然、王弟殿下が表舞台から消えたことに皆が訝しみ、さまざまな噂が北隣のシュベルリンゲン伯爵領を経由して辺境のランカスター子爵領地にまで届いた。
曰く、アレクシス殿下は病気になられた。大怪我をした。駆け落ちをした。
正確性に欠ける話が飛び交い、まことしやかに囁かれていたのだが、王室からの公式発表は何もなく今に至る。
そんな人物が、王都から遠く離れた、小さな子爵領地にやってきた。
しかも名前を偽り髪を伸ばし、色付き眼鏡までもをかけた、正体を隠した状態で。
おそらくフィルの件がなければアレクシス殿下はロザリンドに自身の正体を明かすつもりはなかったはずだ。
「どうして……」
ロザリンドは鈍い頭で思考を続ける。
アレクシス殿下は、正体を隠して密かに各地を見て回っているのだろうか。
何のために?
考えても答えはわからない。
ベッドに身を横たえるロザリンドの頭は、段々とぼうっとしてきた。
体が鉛のように重く、疲れ果てていた。
やがて瞼を開けていられなくなったロザリンドは、そのまま目を閉じ、眠りの世界へと引きずり込まれていった。
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