第22話 ヴェロニカ・シュベルリンゲン伯爵令嬢②
領主館の使用人に髪を切ってもらいながら、ロザリンドはヴェロニカにこの一年間の出来事を話した。
何の前触れもなくやって来た魔鳥の大群、前線に立った父や兵たちが死に、あっというまに領地は蹂躙された。もうだめかと思った時にやって来た、謎の旅人レクスの機転により窮地を脱し、重症の兄を背負って公爵領まで馬を走らせ、そうして一命を取り留めた。
ロザリンドはレクスの正体が王弟殿下であるという部分を伏せ、ヴェロニカに説明をする。納得したヴェロニカは、目に涙を溜めながらロザリンドの話に真剣に耳を傾けた。
「とにかく、ロザリーが無事でよかったわ。そのレクスって旅人に感謝しないとね。魔鳥の弱点を知っているなんて、博識な人が来てくれて幸運だったわね」
「ええ、本当に」
「ロザリーが作ったっていうこの羽根ペンも、大切に使うわ。これだけ羽根が豪華で見栄えがするもの、きっとすぐに人気が出るに決まっているわ。まかせておいて、わたくしが上手く売り込むから」
「いつもありがとうございます、ヴェロニカ様」
「いいのよ。わたくしとあなたの仲じゃないの」
にこりと微笑むヴェロニカは、正真正銘の大貴族のお嬢様だ。
よく手入れのされた金色の髪に青い瞳、愛らしい顔立ち。着ているドレスは流行を抑えながらもヴェロニカに似合うようにアレンジがされていて、彼女の良さを十二分に引き立てている。
本来ならばヴェロニカはロザリンドが仲良くできるような人間ではない。伯爵家とはいえ治めている領地は広大で豊か。豊かな土壌では小麦が豊富に採れ、肥沃な大地にはたくさんの羊が放し飼いにされて羊毛を紡いだり羊皮紙に加工したりしている。
シュベルリンゲン伯爵はよく領地を治め、領民にも慕われている。
昔からの付き合いがあるとはいえ、ランカスター子爵家が平等に接していい相手ではない。
ーーロザリンドが七歳の時に初めて会ったヴェロニカは、まさにおとぎ話に出てくるお姫様のようだった。淡いピンク色のドレスを着てふわふわの金色の髪にもリボンをたくさんつけた彼女は、遊び相手を探していたらしく、伯爵家に挨拶に来たロザリンドと兄のフィルにすぐさま興味を示した。
意外にもヴェロニカはお転婆だった。庭を三人で駆け回って遊んでいると、ヴェロニカはたくさんのリボンとレースがついたドレスの裾を鬱陶しそうにまくりあげる。
「このドレス、お客様が来るからってはりきってお父様とお母様が選んだんだけれどね、ちょっとやりすぎだと思わない? 動きにくくて仕方ないのよ。わたしはロザリンドが着ているようなドレスの方が好みだわ」
その時ロザリンドが着ていたのは、青地のすっきりとした形のドレスだった。伯爵家に行くからと家で一番いいドレスを着させられたのだが、ヴェロニカのものとは比べるべくもない。リボンは胸元に一つだけ、レースも裾にすこしついているだけ。髪飾りなんてつけていない。実は、あまりにも豪華な装いのヴェロニカを見てロザリンドは少し萎縮してしまっていた。
「……わたしは、ヴェロニカ様のお召し物が、素敵だと思いました」
「あら、そう?」
ヴェロニカは少し考えてから、金色の髪にたくさんついているリボンをひとつ外してロザリンドの髪につけた。ピンク色のサテン生地でできていて、縁に繊細なレース模様がついているリボンだ。中央には小さな宝石まであしらわれている。
「あの、ヴェロニカ様?」
「うん、似合っているわ。素敵よ。あなたにあげる」
「えっと、ですが……」
「いいのよ、わたくしがあげたいって思ったのだから」
ロザリンドは困ってしまって兄を見上げた。兄も同様に眉根を下げている。
「ヴェロニカ様、お気持ちは嬉しいのですが、このような高価なものはいただけません」
「あら、そうなの? ざんねんね……じゃあ、今度はきちんと贈り物としてあげるわ」
兄の言葉に不満そうに眉根を寄せたヴェロニカはそう言うと、こんどは恥ずかしそうに頬を染めてロザリンドの方を見る。
「ねえ、ロザリーって、呼んでいいかしら」
この問いには、ロザリンドは満面の笑みを浮かべて頷く。
「……はい!」
ヴェロニカとロザリンド、そしてフィルの関係はこの出会いから長く続く。
ヴェロニカが子爵領地に来てロザリンドが羽根ペンを作る様子を見ることもあれば、伯爵領を案内してもらうこともあった。大抵は兄のフィルも交えて三人で、馬に乗ってどこでも行く。ロザリンドとフィルには護衛など存在しないが、ヴェロニカには護衛がおり、遠巻きに見られながらの散策だ。
ロザリンドは気がついていた。
いつしか、兄のフィルとヴェロニカとの距離感が縮まっていたことに。
互いを見る視線には熱が宿り、向ける笑顔が特別なものになっていたことに。
だからロザリンドは、ある日ヴェロニカの私室の呼ばれて茶会をしている時にされた相談に、大して驚かなかった。
「ねえ、ロザリー。わたくしフィル様のことをお慕いしているのだけれど……」
「ええ、存じております」
「えっ、ど、どうして?」
「見ていればわかりますよ」
そうロザリンドが微笑んで告げれば、ヴェロニカは顔を真っ赤にして視線を右往左往させた。
「……まさか、バレていたなんて……もしかして、フィル様もお気づきになっているのかしら?」
ロザリンドはこの問いに、無言で笑顔を返した。ヴェロニカはますます赤面し、両手で顔を隠して小さく首を左右に振る。
「……どうしましょう、わたくし、もうフィル様に合わせる顔がないわ!」
「ご心配なさらずとも、兄もヴェロニカ様のことを好いていると思いますよ」
ロザリンドの返事にヴェロニカは顔を上げ、期待に満ちた瞳を向けた。
「ほ、本当に?」
「はい」
「嘘じゃなく?」
「嘘じゃありません」
「……嬉しい……!」
しかし直後に、ヴェロニカの表情は落ち込む。
「けれど、お父様を何とか説得しなければどうしようもないわよね」
ヴェロニカの家は国内有数の大貴族。十三歳になったヴェロニカには既に縁談が舞い込んでいるだろう。来年社交デビューをすれば、ヴェロニカの美しさと性格の良さも周囲が知るところとなる。そうすれば今の比ではなくヴェロニカは引く手数多となる。
ーーランカスター家などというちっぽけな子爵家と婚姻を結ぶなど、シュベルリンゲン伯爵夫妻が許すはずもない。
けれど、幼い頃からずっと二人を見続けていたロザリンドとしては、兄とヴェロニカが上手くいって欲しいと思う。
この二人が結婚することほどロザリンドにとって嬉しいことはない。
「ねえ、ロザリー、わたくし絶対にお父様を説得してみせるから、応援していてちょうだいね」
「ええ」
しかしヴェロニカの思いは虚しく、やはりシュベルリンゲン夫妻はフィルとヴェロニカの婚姻は許さなかった。
それでもヴェロニカは想像以上に食い下がり、十七歳になった今でもまだ結婚相手を決めないでいる。
「こんなところでいかがでございましょうか」
使用人はその言葉と共にロザリンドの衣服を覆っていた布を取り、ぱっと髪の毛を払った。
鏡に映るロザリンドは、髪が短くなりすっきりとしていた。
肩口で切り揃えられた髪はくるんと内側を向いていて、耳のところで少し丸くなっている。
ずっと髪を伸ばしていたので、こうして短く綺麗に揃えているのを見るのは我ながら新鮮だった。短いのも良いかも、と思う。使用人は鏡の中のロザリンドを見ながらにこにこと言う。
「最近王都で流行中のボブカットです。すとんと真っ直ぐにのばすのではなく、丸いシルエットにすることで女性らしさが出ると評判のようですよ」
「とても似合っているわ、ロザリー。……そうだわ、私の持っている髪飾りで、今のあなたにぴったりのものがあるの。持ってくるから待っていて」
そう言ってヴェロニカは使用人に頼むこともせず、わざわざ自分で部屋を出て髪飾りをとりに行く。しばらく待っていると、ヴェロニカは一つの飾りを手に戻ってきた。
「これよ、これ。つけてあげて」
ヴェロニカから手渡された使用人が、ロザリンドの頭に髪飾りをつけた。
それは、精緻な装飾が施されたバレッタだった。中央に真紅のベロア生地のリボンがついていて、周囲には薔薇や真珠の飾りがついている。派手すぎず、上品なデザインのそれは確かにロザリンドの短くなったセピア色の髪によく合っていた。
「やっぱり、良い感じね」
「ですがこんな高価なもの……」
「いいのよ、わたくしからのせめてもの罪滅ぼしだと思って受け取って。何もできなかったのだから、せめてこれくらいはしたいのよ」
「罪滅ぼしだなんてそんな」
言い募るロザリンドをヴェロニカは手で押しとどめて首をキッパリと横に振った。
「いいの。もらってちょうだい」
「では、ありがたくいただきます」
するとヴェロニカは、ふふっと笑った。
「懐かしいわね。初めてロザリーに会った時も、わたくしはこうしてあなたに髪飾りをプレゼントしようとしたんだっけ。あの時はフィル様に止められてしまったけれど……」
昔を懐かしむようにヴェロニカは目を細める。
「……私もさっき髪を切ってもらっているときに、昔のことを思い出していました」
全てが平和だった、あの頃の思い出。
ロザリンドは少しの寂寥感を紛らわすように息を吐き出し、それから席を立った。
「しばらくはこの街に滞在するのかしら?」
「はい。宿を拠点に、色々と見て回る予定です。明後日には当主様にお会いして、援助をお願いする予定」
「なら、また館に寄った時に顔を出してちょうだいね。待っているから」
「ありがとうございます」
ロザリンドは一礼してから領主館を出る。
整った髪と、新しいバレッタが、吹き抜ける風に揺れた。
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