第23話 伯爵領館の街テレステア
伯爵領館を出たロザリンドは、まっすぐ道を進んで宿へと向かう。
自分が取った部屋の隣の部屋をノックすると、出てきたのは薄水色のレンズが嵌まった眼鏡をかけた青年ーーレクスだった。肩には伝書鳩シロに扮した神鳥カラドリウスが止まっている。
レクスは扉を開けかけたまま、ぴたりと動きを止めた。
「どうしたの?」
「いや……髪、整えたのか」
「あ、そうなの。ヴェロニカ様の計らいで切ってもらったわ」
ロザリンドは自身の髪を触りながら言う。そして動きを止めたレクスを見て首を傾げた。
「変かしら?」
レクスは首を横に振った。そうして体を斜めにして部屋に入るよう促したので、ロザリンドは大人しく従った。
取っている宿は中流より少し値が張る程度の宿で、家具などは簡素だが壁は厚く隣の物音が丸聞こえになるようなことはない。
テーブルに向かい合って座ると、レクスは眼鏡を外してじっとロザリンドを見つめた。剥き出しの美貌でそうも見つめられると落ち着かない気持ちにもなる。
なんというか、品定めされているようだった。
レクスは王弟殿下であり、王城で暮らしていた。つまり目が肥えている。さまざまな美しい人を目にしていたであろうし、そもそもレクスの母親である第二妃が尋常じゃなく美しい。そしてその美貌を受け継いでいるレクス自身も、尋常ではない美貌を有している。
ロザリンドは無意識のうちに背筋を伸ばして椅子に座り、レクスの査定が終わるのを待っていた。
「なぜそうかしこまっている?」
「レクスのお眼鏡にかなうかしらと思って」
「どういう意味だ?」
「なんだか、品定めされているようだったから」
そう言うと、レクスは朝焼け色の美しい瞳をキョトンとさせた後、ふっと笑った。
「いいんじゃないか。髪飾りも似合っている」
「わしもそう思うぞ! ロザリンド殿は短い髪もよう似合うのう」
レクスとカラドリウスのその一言に安堵した。
「髪飾りもヴェロニカ様にいただいたの」
「シュベルリンゲン伯爵家の人間とそんなに仲が良かったんだな」
「ええ、小さい頃からずっと仲良くさせてもらっているわ。うちは領地が小さいから、なるべく外とのつながりは持っておかないと、有事の際に困ったことになってしまうから」
「他にはどんな家とつながりが?」
「そうね、あまりないのだけれど……お得意様なのは文官の方々ね」
そう言ってロザリンドが名前を挙げるとレクスは納得したようだった。
「王城で働いている重鎮が多いんだな」
「品物の質が良いと言っていただけることが多いから。それに、私の作るペンは特に高額で取引されることが多いし……」
「書いた文字が現実になる、という噂のせいか?」
レクスの問いにロザリンドはこくりと首を縦に振る。
「でも、言われるほど大したものじゃないの。そうなることもある、っていうだけで、別に魔法のような力がある訳じゃないし。私の力というよりも、思いを込めて文字に記せばそれが実現する可能性が高まるっていうだけなんじゃないかなと思っているわ」
「なるほどな。確かに、書いたもの全てが実現するなら大変なことになる」
「でしょう? 結局は書き手の思いの大きさだと思っているわ。『このペンを使って書けば現実になる』と思って心を込めれば、願いは叶う。おまじないみたいなものよ」
「おまじない。そう言われてみれば、そうかもしれない。……俺も三年前に城を出る時、手紙を残した」
何を思い出したのか、レクスは苦笑を漏らす。それからふいに顔を上げた。
「当主とは話ができたのか?」
「いえ、今日はご不在だったわ。でも約束は取り付けたから、明後日にはお会いする予定」
ロザリンドはシュベルリンゲン伯爵当主、つまりヴェロニカの父に会うためにわざわざ街まで来た。子爵領から魔鳥の脅威はひとまず去ったが、問題は山積している。住居は破壊され、田畑は荒らされ、このままでは暮らしに立ち行かない。ひとまずの援助を願うためにロザリンドが赴いた訳なのだが、何せ相手は大貴族である。すぐに会うことはできない。
「どこまで伯爵様の手を借りられるかわからないけれど、とにかく頭を下げてみるつもり」
「そうか、ロザリーはたくましいな。……いざとなったら俺が正体を明かすという手もあるが」
「いえ、それには及ばないわ。これは私たちで解決しなければいけない問題だし、そんなに色々とレクスに頼ってはいられないもの。レクスだって、あんまりいろんな人に正体がバレると困るでしょう? ここまで送ってもらえただけで十分ありがたいわよ」
共に領主館に行くとレクスは言ってくれたのだが、ロザリンドはそれを断っていた。理由は知らないが正体を隠して各地を放浪しているレクスを、ロザリンドの都合でそうそう貴族に会わせるわけにはいかない。
「この後はどうする?」
「街の商会に行って羽根ペンを売り込んでみるつもり」
ロザリンド自身は行ったことがないが、商会名ならば家族から聞いたことがある。商品はあるのだし、行くしかないだろう。
「ならそれには一緒に行く。さすがに商人には気が付かれないだろうし」
「ならばわしも、鳩のふりをして一緒に行くかのう」
ばさばさと翼をはためかせてカラドリウスが言うのでロザリンドは微笑んだ。
「ありがとう。商談は初めてだから、いてくれると心強いわ。品物を持って来るから、待っていて」
***
伯爵領最大の街は南のマールバラ公爵領の街に負けず劣らず賑わっている。
公爵領は海に面しているため交易が盛んだが、伯爵領は土地が肥沃なため作物がよく育つほか、放牧している羊から特産品をさまざま作り出していた。うちの一つが羊皮紙の加工であり、そのため羽根ペンを作るランカスター家と古くから付き合いがあった。
シュベルリンゲン伯爵家はマールバラ公爵家とも縁があり、街にある商会も公爵家と取引している。なので子爵領地で作った羽根ペンをシュベルリンゲン伯爵領の商会に卸し、それがマールバラ公爵領に渡って売りに出される……という場合もあった。
「とりあえず最初に行くのは、イベリス商会よ」
「七大商会のうちの一つじゃないか。大商会だな」
レクスの言う七大商会は、ヴァルモーデン王国に無数に存在する商会の中でもとりわけ規模が大きい商会のことだ。伯爵領に本店を構えるイベリス商会は歴史も古く、正真正銘老舗の商会である。
何枚も花びらが重なった、砂糖菓子のように可憐な花の紋章がついた扉の前でロザリンドは鞄をぎゅっと握りしめる。
威容は大きい。木造で梁に支えられている建物は、前部分は店舗になっていて品物を扱っているようだった。買い物に来た人々が中へと入って行く。
「……行くわ」
ロザリンドは一歩、足を踏み出した。
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