第24話 ヴェロニカの手紙

 その日の夜、ヴェロニカは父が帰ってくるなり玄関ホールに飛び出した。


「お帰りなさいませ、お父様。帰りをお待ちしていましたわ!」


 父は常にない娘の歓迎ぶりに驚き、被っていた帽子と上着を使用人に手渡しながら少し笑った。


「一体そんなに慌ててどうしたんだ」

「聞いてくださいませ、ロザリーが本日屋敷に尋ねてきたんです!」

「ロザリー? ロザリンド・ランカスター子爵令嬢か」

「ええ!」


 ヴェロニカは食堂の方へと歩く父について行きながら、なおも言う。


「魔鳥の襲来を、しのぎきったんですって! それでお父様に援助をしていただきたくて、訪ねてきたのだと。フィル様もなんとかご無事のようで、本当によかったわ!」

「……フィル君が?」


 父の声音と表情が不意に変わったのにヴェロニカは気がついた。


「そうよ、お父様。……どうしてそのような顔をなさるの。まさか……フィル様が、亡くなってしまえばいいと思っていた?」

「…………」


 無言で歩みを進める父に、ヴェロニカは胸の奥がざわめく。


「そ、そんなひどいこと、考えるわけがありませんよね。だってフィル様は……」

「ヴェロニカ。フィル君に固執するのはやめなさい」


 ピシャリと放たれた言葉にヴェロニカの体が硬直する。足を止めた父がヴェロニカを見た。その目には、決意のようなものが宿っている。


「以前から何度も言っているだろう。シュベルリンゲン家の娘であるお前にはもっとふさわしい相手がいる。ちっぽけな子爵家の男になど、うつつを抜かしている場合ではない」

「何度も申し上げています。……わたくしは、どんな殿方よりもフィル様をお慕いしています」


 ヴェロニカの頑なな言葉に、父はあからさまにため息をついてみせた。

 ヴェロニカに背中を向け、使用人が開けた扉の先に広がる食堂へと足を踏み入れる。


「……いっそ死んでしまえばよかったものを」


 残酷な呟きを、ヴェロニカは聞き逃しはしなかった。

 全身の血が引いて行く。

 父は、フィルに死んで欲しかったのだ。恋慕する相手がいなくなればヴェロニカが諦めて親の用意した相手と結婚すると考えているのだろう。

 もしかすると父は、子爵領地がこのまま没落すればいいと考えているかもしれない。援助の手など差し伸べる気はないのかもしれない。


「どうすれば、いいの……」


 体が震える。

 一体どうすれば、愛しい人と友人との窮地を救うことができるのか。

 その時ヴェロニカの脳裏に、先ほど友人からもらったばかりの贈り物のことが頭に浮かんだ。

 ロザリンドの作る羽根ペンには不思議な力が宿っていると常々評判だった。

 ーー書いたことが現実になる。

 ヴェロニカはずっとロザリンドの作る羽根ペンを使ってきていたから、その効果の程を知っている。

 噂が一人歩きして社交界ではロザリンドの作る羽根ペンが高額で取引されているが、それはささやかなおまじない程度の効果しかないのだ。

 願いを込めて、真心から文字を綴れば実現する可能性が高まるーーそういう類のものだ。

 それでも、ヴェロニカは試さずにはいられない。

 自室に急いで戻ったヴェロニカは、テーブルに羊皮紙とインク壺、そして先ほどもらったばかりの羽根ペンを取り出して置く。箱から取り出した羽根ペンは持ってみると普通のものよりも重みがあった。羽根そのものもみっしりとして厚みがあり豪華なのだが、軸も太めでしっかりしている。手に持ってインク壺にペン先を浸し、羊皮紙に向かって文字を書き出す。

 父に、どうか私の気持ちが届きますようにと一文字一文字に思いを込めて。



 手紙を書き上げた時には夜も遅くだった。

 何度も読み返し、納得のいくものが出来上がったところで、その一枚を持って部屋を出る。

 この時間、父は書斎にいるだろう。いつも仕事から帰って食事をした後、書斎へと行くのだ。

 ヴェロニカは扉の前で足を止め、軽くノックをする。

「入れ」という声がかかったので、扉を開けて室内へと入った。


「お父様」

「ヴェロニカか、どうした」

「わたくしの気持ちを手紙に記して参りましたので、ぜひお読みいただけないでしょうか」

「手紙、だと?」

「はい。言葉は時に感情的になったり、的確な表現が出てこなかったりとうまく気持ちを伝えることができなくなります。なので手紙という形にして、こうして持参いたしました」

「……なるほど」


 ヴェロニカは父の座るデスクの前まで行き、そっと一枚の手紙を置いた。父は手紙を手にとって静かに読み始める。

 二枚の羊皮紙にはヴェロニカの気持ちがありのままに綴られている。

 幼少期よりどれほどフィルのことを慕っているのか。

 ずっと親しんできたランカスター子爵領の窮状にどれほど自分が心を痛め、無能さに苛まれているのか。

 子爵領地を助けるべく、ぜひシュベルリンゲン伯爵領から援助の手を差し伸べてほしい……そうした思いの丈を手紙に書き記している。

 父は何度も手紙を読み返し、かなりの時間が経った後に目を上げてヴェロニカを見つめた。ヴェロニカと同じ青い瞳は、思いのほか優しい色合いを宿していた。


「……お前がここまで子爵家のことを考えていたとは、予想外だった。なるほど、よかろう。ランカスター家の領地には、援助をする」

「お父様……ありがとうございます!」


 わかってもらえた、という気持ちでヴェロニカは胸がいっぱいになった。

 両手を胸の前で握りしめ、感謝の気持ちを口にするヴェロニカに父は優しく微笑みかける。


「私の負けだ。フィル君に関しても、彼の容体が良くなったら正式に婚約者とするよう取りはからおう。家のことではなく、お前の気持ちを最優先するべきだったな」

「え……」

「子爵領は今、不安定な状態。お前が嫁げば我が家の血縁となり、子爵領を守る大義ができる。そうすれば惜しみなく援助できるというものだ。全く、私の娘は大した策士だよ。通常一年は婚約期間となるが、フィル君は旧知の中だしもっと短くても良かろう。半年でどうだ」

「あの……はい」

「では、明日、マルヴィナにも話をしよう。ロザリンド殿が来る前に話をまとめておいた方がいいからな」

「はい、ありがとうございます」


 マルヴィナというのはヴェロニカの母の名前だ。父は、母を説得してフィルとの婚約を認め、子爵領地に最大限の援助をする、と約束してくれた。

 わかってくれたのだ、という気持ちで父の書斎を出たヴェロニカだったが、胸の中を靄のようなものが支配している。


(あれほどフィル様との結婚に反対していたお父様が、手紙を読んだ途端に考えを変えた……一体、なぜ)


 あまりにも急な父の態度の変化に、手紙を渡した張本人のヴェロニカも戸惑いを禁じ得ない。

 私室に戻り、後ろ手に扉を閉めたところで、テーブルの上にそのまま放置されていた筆記用具を見る。蓋を閉めたインク壺と、立てかけてある羽根ペン。茶色に、先端が赤みがかったそのペンを見たヴェロニカは、思わず呟いていた。


「まさか、この……羽根ペンのおかげ……?」


 ーー真心を込めて文字を記せば、それが実現する可能性が高まる。

 たしかにロザリンドは昔からずっとそう言っていたし、ヴェロニカも同意していた。

 けれど、これはあまりにも強力すぎやしないだろうか。

 十年間かたくなにヴェロニカとフィルの結婚を認めなかった父があっさりと考えを変えてしまうほどの力があるのだとしたらーーこの羽根ペンは、危険だ。


「……ロザリーに、伝えないと……!」

 

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