第25話 伯爵領の様子①

 ロザリンドとレクスとカラドリウスが伯爵領の街に滞在を始めて、二日目。

 ロザリンドは目を覚ますと、宿のベッドの上で上半身を起こした。カーテンの隙間からは日差しが差し込んでいる。

 ロザリンドは部屋で身支度を済ませた。

 顔を洗って夜着からワンピースに着替え、化粧をして髪を整える。鏡に映るのは、昨日までのざんばらな髪とは違いすっきりと切り揃えたセピア色の髪を持つ自分だ。伯爵領館でやってもらったように毛先をくるんと内側に向くようにセットし、ヴェロニカにもらったバレッタを留める。


「……短いのも、いいわね」


 今までは長い髪にこだわっていたが、こうして整えてみると短いのも中々だ。洗髪が楽だしすぐ乾くし、手入れにも時間がかからない。


「さて。朝食を取りに行きましょうっと」


 宿では階下の食堂で朝食を出してくれる。


「おはよう、ロザリー」

「おはよう、レクス」


 ロザリンドが部屋を横切り扉を開けたところ、ちょうどレクスが出てきたところだった。肩にはカラドリウスも乗っている。二人と一羽で階段を降りると、木造りの細長いテーブルと椅子が並んだ食堂では朝食をとっている他の客たちの姿がちらほらと見られた。

 中流の宿なので、衣服は皆それなりに整っている。商人風の人が多いが、中には雇われ護衛と思しき人々の姿もあった。

 ロザリンドとレクスの二人に興味を示す客もいないでもなかったが、それらを気にせずにテーブルの一角に腰を下ろすと、すぐさま宿の給仕係が朝食を持ってきてくれた。

 パンケーキとカリカリに焼かれたベーコン、半熟の目玉焼き、それからスープ。なかなか豪華な朝食を二人で食べる。ふんわり焼いたパンケーキは口当たり柔らかでまだ温かく、ほっとする味だ。カラドリウスはレクスが切り分けたパンケーキを一切れテーブルの上で啄んでいた。


「今日はどうするつもりだ?」

「そうね、伯爵様にお会いするまで、特に予定がないのよね」


 昨日は領主館に行った後、イベリス商会に行き商談をしたらあっという間に夕方になってしまった。

 商談はなかなかうまく行った。

 ランカスター子爵領の羽根ペンは少数生産で高額取引されるのだが、この一年は魔鳥の襲来騒ぎでまったく生産できておらず、市場に出回っていなかった。ありがたいことに子爵領の工房で作った羽根ペンの受注予約がかなり入っていたらしく、おかげさまで持参した百本全てが納品できた。

 ちなみにこの中にロザリンドが作ったものは含まれていない。

 ロザリンドの製作したものはお得意様に渡すのだが、それは主に兄のフィルとヴェロニカ経由で売っている。社交術に長けている兄のフィルと大貴族の娘ヴェロニカが間に入ることで、ロザリンドは製作に集中できるのでありがたい。

 そんなわけで早々に品物がなくなってしまった今、伯爵様と会う約束をしている夕方までの時間、特にすることがないのだ。

 悩みながらパンケーキを食べていると、レクスが提案をしてくる。


「なら、街を見て回らないか」

「街を?」

「ああ。俺はシュベルリンゲン伯爵領の街は初めてなんだ。できれば、ロザリーに案内してもらえると助かる」

「そういえばレクスはヴァルモーデン王国の北の方から旅をしていたんですっけ」

「そう。国内の主な貴族の街は見て回りたいと思っていた。今回はちょうどいい機会だから、伯爵領を見たい」

「わかったわ。伯爵領の街は小さい頃から来ていたからよく知っているの。まかせて」


 朝食を終え、早速宿を出て街へと繰り出す。

 今日もよく晴れていて、散策するには絶好の気候だった。


「伯爵領の街は広いから、行く場所を絞らないとね。レクスは何が見たいのかしら?」

「昨日中心を見たから、街の外れの方に行きたい」

「わかったわ」


 朝食を終えた二人は街の外れの方へと歩き出した。シュベルリンゲン伯爵領の領主館のある街の名前は、テレステアという。テレステアの街並みは石畳の舗装された道路の両脇に建物が並び立っている。中心街にある市庁舎などの大型の建造物は石造りだが、町のはずれに向かうに連れて赤茶けた屋根と黄色く塗られた壁の木組の家が増えていく。全体的に可愛らしい雰囲気の家が多く、ロザリンドはテレステアの街が好きだった。


「高台には領主館、街の中心は商店や役所、そこからだんだんと住宅が増えていって、街の外れには羊毛や羊皮紙を加工する工房があるわ」


 二人はすでに街の終わりの方にまで来ており、市街地を囲う城壁を出てしまうと広がっているのは緑豊かな丘だった。


「外れの方は牧草地が広がっているのよ、ほら、羊が見えるでしょ?」

「本当だな」


 牧草地には放たれた羊がのんびりと草を食んでいる様子が見える。

 城壁に沿うように羊飼いの家が点在している。

 風が吹き抜ける牧草地はのどかな雰囲気が漂っており、ゆったりとした時間が流れていた。


「……治安の悪い場所、みたいなものはないんだな」

「テレステアでそういう話は聞いたことがないわね。レクスはそういう場所が気になるの?」

「ああ。実際こうして国内を見て回ると、城にいる頃にはわからななかったものが多く見えてくる。例えば、羽振りがよく貴族社会で重鎮にいる人物の領地の民が重税に苦しんでいたり、反対に評判の良くない貴族が実は領民に慕われていたり。……結局のところ、城で見ている景色なんてほんのごく一部で、正しいことなどわかりはしないんだ」

「それはそうよ」


 ロザリンドの言葉が意外だったのか、レクスはこちらを見てきょとんとした顔をした。


「人間誰しも、良い部分だけを見てほしいと思うし、体裁を取り繕うのは当たり前だと思うわ。ましてやそれが、国王陛下や王弟殿下の前なら尚更。城にいるのはきっと老獪で、知略に長けた人たちばかりなんでしょう? 見破るのってすごく難しいと思う」

「……そうだな。俺は、見抜けなかった」

「陛下はどうなのかしら」

「レナードはよくやっていると思う。一人の臣下の意見を鵜呑みにせず、必ず複数の人間の話を聞く。それも派閥に囚われずに柔軟に。疑わしいと思えば俺に連絡をくれる。俺も、各地での不穏な状況を知らせている」

「そうなの。いい兄弟なのね」

「…………そうとも言えるだろう」


 レクスは牧草地に向かって歩き出した。ロザリンドも後を追う。ゆっくりと歩きながらレクスは羊やそれを追う羊飼いの様子を見ているようだった。


「こうも放し飼いにしているということは、この辺りは魔獣や魔鳥の類は少ないんだな」

「ええ、そうした獣が出るなんてほとんど聞いたことがないし、城壁は古い時代の戦争の名残だし、この辺りに危険なんてなかったはずなのよ」


 言いながらロザリンドは、なぜ魔鳥が子爵領地にやって来たのだろうと考えた。

 レクスの話では、魔鳥はヴァルモーデン王国の東部地方によく出るのだという。子爵領地から遠く離れた東部地方から、どうしてあんなにも魔鳥の大群が押し寄せて来たのか。 


「散発的に魔獣が襲来する、なんて話も私は知らないの。本当に、どうして……」


 考え込んで足を止めたロザリンドにレクスは同情するような声音で言った。


「魔鳥は渡り鳥のような性質を持っている。ヴァルモーデン王国だけでなく、他の国にも住んでいて被害は大きい。東部地方は対策が進んでいて魔鳥が住みにくい地域になっているから、別の住処を求めて飛来したんだろう」

「確かにトアイユの森は鳥が住むのに適した場所だわ。食料も豊富だし、天敵もいない。峡谷風に誘われて、いつもたくさんの鳥が来ていたし……」


 ロザリンドは首を振った。


「……考えても仕方ないわね」


 その後ロザリンドとレクスは二人で丘を見て回り、城壁の内側の市街地に戻って市街地外れの街並みを見て回った。


「街の外れに来るにつれ治安が悪くなるような街も多かったんだが、テレステアはそういうことがないんだな。伯爵の統治の手腕がよくわかる」

「テレステアの街外れは羊を加工する工房が多く立ち並んでいるから職人街になっているのよね。ほら、羊皮紙工房に羊毛加工場。品質がいいから王家でも使っているんじゃないかしら」

「確かにあの紋章は見たことがある」


 農作物に加えて独自の特産品も多く抱えているシュベルリンゲン伯爵領はヴァルモーデン王国でもかなり上位に位置する大貴族だ。ロザリンドも幼い頃からヴェロニカに連れられてテレステアを歩く度に驚いたものだった。

 子爵領地の街の何倍も大きなテレステアはどこもかしこも整然としていて綺麗で、色々なものが売っている。おのぼりさんよろしくキョロキョロするロザリンドを、年下のはずのヴェロニカが案内してくれるのだ。ロザリンドとヴェロニカ、兄のフィルの三人でテレステアを歩くのは楽しく平和な日々だった。

 街の中心部にある聖堂の鐘が響き渡り、時間を告げる。


「もう正午か……あっという間だな。ロザリーさえよければ、この辺りで昼食にしたいんだが」

「ええ、いいわよ」

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