第26話 伯爵領の様子②
昼食をどこで食べるのかと思ってついていくと、レクスが選んだのは食堂ではなく広場に出ている屋台だった。広場には昼の休憩を取っている近隣の工房の職人や労働夫たちが多く詰めかけており、そうした人々を狙って食べ物を売る屋台が出ている。テレステアの中心街の方の広場には屋台などはなくカフェやレストランが点在しているのだが、下町のあたりはもっぱら屋台が主流のようで、昼食を買い求めてはその辺りのベンチに座って食べたり、あるいは工房で食べるためなのか持ち帰る人の姿も見られた。
料理は手軽に食べられるものが多く、細長いパンに切り込みを入れてソーセージや揚げた白身魚を挟んだものや丸ごと茹でたじゃがいもの上にたっぷりのバターを載せたものなどがあった。
さすがのロザリンドもこうした場所に足を運んだのは初めてだ。いつもテレステアを案内してくれるのはヴェロニカだったし、大貴族の令嬢である彼女はこうした場所で食事を取らない。護衛も連れているし領民の目もあるので、たとえ望んだとして却下されるだろう。
屋台の群れを興味深く見回しているとレクスが足を止めてロザリンドを振り向いた。
「どうしたの?」
「いや、その……こうした場所で食事をするのは嫌か? 子爵令嬢だし、嫌なら食堂にしようかと」
どうやらロザリンドに気を遣っているらしい。
「いいえ。珍しくてキョロキョロしちゃっただけなの、ごめんなさい。私は令嬢よりも職人でいることの方が多いし、かしこまった場所よりこういう所の方が落ち着くわ。それに、ほら、ここならシロさんも目立たないでしょうし」
広場にはこぼれたパン屑を目当てにして鳩が多く集まっていた。食堂に伝書鳩に扮したカラドリウスを連れて行けば、批判の目で見る人もいるだろう。宿には連れ込むのを許可してもらっているが、それでも隅の目立たないテーブルを選んで座っていた。
「そうか」
ホッとした様子のレクスにロザリンドがくすりと笑う。肩に留まっているカラドリウスが、ぽっぽーと鳴いた。
二人で屋台で昼食を買い、並んでベンチに座る。端っこをちぎってベンチに置くと、朝のようにカラドリウスがパンを啄み始めた。まさか伝説の神鳥がこんな所で鳩に扮してパンを食べているなど、誰も思わないだろう。妙な状況に慣れつつある自分にも少し驚く。
カラドリウスから目を離したロザリンドは、今しがた買ったばかりの昼食に目を落とした。両手で持たないと途中で折れてしまいそうなほど長いパンにソーセージと千切りにしたキャベツが挟まったもので、上にはケチャップとマスタードが波線を描いてかけられている。食べたことのない料理だった。横に座るレクスは黙々とパンを平らげていて、色付きの眼鏡をかけているのではっきりとはわからないが、目の前を行き交う人々を見つめているようだった。
ロザリンドは大きく口を開けてパクリと齧り付いてみた。ソーセージは肉厚でかじるとパキッと割れ、肉汁が溢れてくる。千切りキャベツは酢漬けになっているようで、脂っぽくなった口にさっぱりとした味わいをもたらしてくれたし、上にかかっているケチャップは甘みを、マスタードはピリリとした辛さが程よい。
「美味しい!」
「ロザリーはこういう料理を食べるのは初めてか?」
「ええ。こんなにいろんな食材が詰め込まれたパンは初めて。手軽だし、美味しいし、いいわね! レクスは色んな場所で、色々なものを食べていた?」
「そうだな。国の東部に行けば違う料理が食べられているし、そもそも貴族と平民とでは食べているものが違う、ということも知った。これも城にいたらわからなかったことの一つだ」
「旅をしている、ってことは野宿したりすることもあったのかしら」
「そういう時もある。カラ様に乗って移動するだけだと見えないものがあるから、あえて歩いて移動したりもしている。街まで辿り着けなければ街道の脇で野宿だし、辿り着けても宿がいっぱいで泊まれないこともあった」
「色々な経験をしているのね」
「それが必要なことなのかと言われれば、違うのだろうとは思っている」
「どういう意味?」
レクスはパンを食べようと持ち上げていた手を止め、少し逡巡した様子を見せた後、手を下げてから話を切り出した。
「……本来ならば俺は……城にいるべき人間だ。レナードを支え、国の重臣たちと話をする。こうして市井に降りて旅をしている場合ではない」
「でも、そうするべきだと思ったから旅をしているんじゃないの? 国の端々を、実態を見たいと思ったから正体を隠して旅をしているんじゃないかしら」
「そんな大層なもんじゃない。俺の旅は、ただの逃げだ」
吐き捨てるように言った言葉には、心底己への嫌悪と葛藤があるように見える。眉根を寄せた表情は険しい。
ロザリンドも膝の上に自身の手を下ろし、それからおもむろに口を開く。
「レクスが……何を背負って、何に悩んでいるのかはわからないけれど、私はあなたが旅をしていてくれてよかったと思うわ。だって、そうじゃなかったら、子爵領地はきっと助からなかっただろうし、私も今こうして生きていなかったと思うの」
ロザリンドの脳裏にこびりついて離れない悪夢のような光景。両親が死に、兄は重傷を負い、領民も多数犠牲になった。美しかったトアイユの森が破壊され、子爵領地の街もめちゃくちゃになった。
魔鳥の不快な鳴き声と人々の断末魔の悲鳴は、ふとした拍子に耳に蘇る。
それでも。
ロザリンドは立ち止まり、過ぎ去った出来事を思い出して悲嘆に暮れている暇などない。
今を生きる人々に希望を届けるため、前を向いて歩き続けなければならないのだ。
だからロザリンドは、色のついた眼鏡の奥に隠れているその美しい朝焼けの瞳をまっすぐに見て言う。
「レクスのやっていることは、無駄じゃないと思うの」
「…………!」
その時にレクスが何を感じたのかはわからない。ただ、こわばっていた肩の力が抜けたような気がした。うつむいて息を吐き、そうしてから小さく一言。
「……ありがとう」
「お礼を言うのは、私の方だわ。あの時、来てくれて……ありがとう」
万感の思いを込めて告げた礼に、レクスは微笑んでくれたような気がした。
ベンチでパンを啄んでいたカラドリウスが顔を上げ、満足そうに「ぽっぽー」と鳩の鳴き真似をしてみせた。
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