第18話 森の様子とロザリンドの決意
レクスとディックは昨日から今日にかけて、子爵領地を囲う森の様子を確認していた。
森の中の雛たちは、空腹のためなのか絶えず囀って親鳥たちを呼んでいた。
木の虚に卵を産みつけ、孵化した魔鳥の数は尋常ではない。たとえ親がいなくとも、この中の何割かは成長し、また新たな卵を産み、そして餌を求めて森中を飛び回りまた人間に被害を及ぼすに違いない。
「にしてもすごい数ですね。どれだけ卵を産んだのやら」
「ああ。全滅させるには森ごと焼き払う以外に方法はないだろうな」
そんなことは実際には不可能なので、ランカスター子爵領は魔鳥と共存する術を探るしかないだろう。レクスは眉根を寄せて顔を顰める。
領民たちに、戦闘の心得はない。
誰かが指揮を取らなければ、あっという間に魔鳥にやられて全滅だ。
ひとまずの危機は脱したものの根本的な解決にはなっておらず、この先も魔鳥は子爵領地を襲い続けるし、対抗する手段を確立する必要がある。
レクスが森の中を見回りながらそう考えていると、ディックも同じことを思っていたらしく、難しい声を出した。
「ここまで酷いだなんて……俺一人で戦って、どうにかなるかどうか。レクスさんはいつまで子爵領にいるつもりですか?」
「わからん。だがもう少しいるつもりだ。せめて対抗手段が確立するまでは。ディックは公爵領に帰らないのか?」
レクスは上を向いて木々の状態と魔鳥の雛を数えるのを止め、ディックを見た。
「こんな状態を見せつけられて、帰れるわけないでしょう。聞いていた話と全然違いますし、放っといたらまたあっという間に子爵領は壊滅です」
「なるほど。意見が一致している」
「……不躾な質問ですけど、レクスさんはこんなところに長々と滞在していて良いんですか? 他の人に任せて、さっさと城に帰った方が……」
レクスの正体を知っているディックが気遣わしげな視線を送ってきた。レクスは首を横に振り、話を遮る。
「城に戻る気はないから、問題ない」
「はぁ」
それ以上の返答は得られないと悟ったのか、それきりディックは何も聞かず、黙々と森と魔鳥の確認作業に没頭した。
丸二日をかけて二人はあらかた森の様子を確認し終えた。
日が傾き、夕刻になって子爵領地に戻ったレクスとディックは、ひとまずロザリンドの工房に赴く。昨日はずっと森の中にいたのだが、夜になって領主館に戻った時にはロザリンドの方がいなかった。どうやら工房でずっと何かの作業をしているらしい。職人肌なのだろうな、と思い、もう夜更けだったこともありその日は領主館に勝手に入り込んで勝手に眠りについた。ディックは非常に落ち着かなさそうだった。
「そういえば昨日はどこで休んでたんだ?」
「親切な領民の方に招かれて、家にお邪魔してました」
「適応力が高いな」
「結構どこででもくつろげるたちなんですよ。あったかいご飯までもらえて、なんか申し訳ない気持ちになりました」
笑いながら言うディックと街に入ると、領民たちに挨拶をされる。
「レクス様、お加減いかがですか?」
「もうすっかり良くなった」
「それは何より」
「やあ、ディック君。今夜もうちにどうだい?」
「良いんですか?」
「そりゃあ勿論。君は私たちの命の恩人だからね」
朗らかに笑う領民たちはすっかり窮地を脱したと思い込んでいるのだろう。実はまだまだ脅威は去っていないばかりか、今後はあの魔鳥共と共存する道を探らなければならないと知ったら、一体どう思うのだろうか。
崖下に続く階段を下りたレクスがロザリンドの工房の扉を開けて驚いたのは、工房内の熱気と湿度だ。
湯気と共に熱波が押し寄せ、思わず顔をしかめた。
「あっ、レクスにディック」
ロザリンドは今しがた入ってきたレクスたちに目を留めて、湯気がもうもうと立ち込める工房内で何かを手に近づいてきた。
「見て、これ。魔鳥の羽根で羽根ペンを作ってみたの」
「……羽根ペン?」
「そう。結構良いものが出来上がったのよ。大きさがちょうどいいし、軸もしっかりしている。それに大群で押し寄せてきた時には悍ましいと思ったけれど、こうして一本一本良く見てみると、案外綺麗な色の羽をしているのよね。全体的に茶色いけれど先端にいくにつれて赤みがかっていて、珍しい色合いだわ。原料ならたくさんあるし、これなら当分の間は収入に困らなさそう」
魔鳥の羽根を手に、嬉々として語るロザリンドの思考回路が理解できなかった。レクスは不快になって顔をしかめ、ロザリンドに向かって思ったままの言葉をぶつける。
「正気か?」
放たれた言葉に、ロザリンドの表情が凍りついた。
「その鳥は、お前たちの領地をめちゃくちゃにして、家族の命を奪った敵だろう。なぜそんな奴らの羽根をもぎ取り、道具を作ろうなどと思えるんだ? 焼き捨てて、二度と目にしたくないと思うほうが自然だ」
レクスは各地を放浪し、さまざまなものを見た。
この子爵領地のように、魔鳥や魔獣に襲われて被害を被った町に出会ったことも一度や二度ではない。
そうした時、退治した獣は焼き払われるのが常だった。放置していても良いことなど何もなく、焼却処分するしかない死体を、人々は嬉々として、あるいは憎しみを込めて燃やした。
恨みつらみの対象であるはずの魔鳥の羽根を使って何かを作ろうなど、土台普通の感覚であるとは思えなかった。
束の間の静寂が訪れる。
工房の奥で湯が煮える音以外、何もしない。鍋のそばにうずくまる少女が、一連のやり取りをみじろぎもせずに見守っていた。
レクスの考えを読んだであろうロザリンドは、手にしていた羽根ペンをキュッと握りしめ、口を開いた。
「確かにレクスの言う通りよ。魔鳥は私たちの住む場所を踏みにじり、罪もない人たちの命を奪い去った。本当なら見たくもないくらい、大嫌いだわ」
「なら、なぜ……」
「でもね、私たちはここから前を向いて生きていかなきゃいけないの。お金を稼いで、領民たちが食べられるようになって、そうして初めて領地が再生したと言えるのだわ。そのためには使えるものはなんでも使わないと。魔鳥の羽根が使えそうなら、抜いて、加工して、お金に変えないと。だってそうでもしないと、この地を守るために死んでいった他の領民たちに申し訳ないと思わない?」
「…………!」
ロザリンドはなおも力強く言葉を続ける。
「憎しみに駆られて全部を燃やしたら、後に残るのは灰だけよ。そうしてうつむいてくよくよしていたって、領地は再生しないから。だから私が先に立って、進まないといけないの。だって私はこの地を統べるランカスター子爵家に生まれた、子爵家の娘なんだから」
この決意をするために、ロザリンドはどれほど悩んだのだろうか。いや、悩む暇もないほどに逼迫した事態に直面したのだろう。
貴族として領民を守るため、私情を捨てたロザリンドの判断は正しい。
魔鳥に利用価値を見出し、昇華したロザリンドの手腕は見事の一言だ。
正しく人の上に立ち、人々を導こうとするロザリンドに、あるべき貴族としての姿を見出しレクスは思わず眩しくなって目を細めた。
「あの……私、やっぱり変かしら」
「いや。正しいと思う。その年でその覚悟ができる人間はそうはいないだろう」
「お父様もお母様もいなくなって、お兄様は伏せっている。なら、当主代行として、精一杯やらなくちゃって。せめてお兄様が戻るまでに、領地が生き残る手段を確保しようって」
「立派だな」
「私にできるのは、これくらいだから」
そう言って笑うロザリンドは、相変わらず髪は不揃いでざんばらなままだし、衣服は工房での作業により薄汚れている。手指の皮は弓の握りすぎで剥けて血が滲んだままになっていて、とても令嬢には見えなかった。
それでも。レクスの目に映るロザリンドは、かつて王城で見たことのある数多くの美姫よりも美しく見えた。髪を結い、化粧を施し、宝石で身を飾りドレスを纏った令嬢たちよりも、よほど魅力的に見えた。
城を出て以来かけ続けている色のついたレンズ越し、全てが薄水色に見える景色の中、なぜかロザリンドの姿だけが鮮やかに色づいて見えるのだった。
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