第2話 三年前②
真夜中まで続いた新国王レナードを祝う就任式典がようやく終わり、ヴァルモーデン王国の王都中心にある城の中は、静けさに満ちていた。
王弟アレクシス・ヴァルモーデンは丸一日かけて行われた式典による疲れを癒さず、自室にて旅の支度を整えた。
正装を脱ぎ捨て、おおよそ王族らしからぬ軽装に身を包み、腰には剣を帯びる。
母より受け継いだ特徴的な瞳を隠すために、薄青色のレンズが嵌まった色付き眼鏡さえも用意してあった。
テーブルの上には一通の手紙。
先立っての式典で献上された、ランカスター子爵領の令嬢が作ったという羽根ペンを使って書いたものだった。
曰く、その令嬢が作ったペンを使うと、書いた文字が力を持ち、現実のものになるらしい。
ならばこの手紙に書いた思いも、具現化するだろうか。
そんなことを少し考えたアレクシスは、ふいとテーブルから目を離し窓辺に近づいた。
ーー全ての準備は整った。
アレクシスが部屋の窓を開けると、見越していたかのように一羽の鳥が夜空を飛んで近づいて来て、すーっと音もなく窓辺に着地した。
「カラ様」
アレクシスがカラ様と呼んだ鳥は、暗闇の中でもはっきりと視認できるほど白く輝いていた。
鳥は黒いつぶらな瞳でじっとアレクシスを見つめている。嘴が動いた。
「本当に行くのかのう」
「ええ」
「ふむぅ。城でレナードを支えてやろうという気はないのか」
アレクシスはじっと鳥の瞳を見つめ返す。
「……何度も考えました。けれど、俺の答えは変わりません」
「ならばわしもお主に付きおうてやるとする」
「カラ様が?」
「いれば何かと役に立つじゃろう」
アレクシスはこの言葉にたじろいだ。
「国の守り神でもある神鳥カラドリウス様に同行いただくのは、恐れ多いです。それほど大それた目的のある旅ではありませんし……どちらかというとこれは、俺の逃げに近い」
「なればこそ。お前さんは放っておいたら死んでしまいそうな雰囲気がある。それにわしがいれば、城とのやりとりも容易じゃ。……そうじゃ! 伝書鳩に扮するというのはどうじゃろう?」
「カラ様が伝書鳩?」
アレクシスは耳を疑った。
目の前にいる伝説の鳥カラドリウスは、どう考えても鳩には見えない。
白く発光する羽根は神々しく、大きさは鳩の十倍ほどはあり、威厳に満ちた佇まいだった。
しかしカラドリウスは翼を広げて胸を反らしてから、自信満々に言った。
「なぁに、鳩に擬態するなど、神のわしからすれば容易いものじゃ。ほぉれ」
カラドリウスがくるりと一回転すると、途端に体の大きさが縮み、鳩と変わらないサイズになった。
「どうじゃ!」
「どうじゃ、と言われても……」
アレクシスはたじろぐ。
「確かに大きさは鳩くらいになってますけど、その他の特徴がそのままです」
「なぬっ」
カラドリウスはバサバサと羽ばたいて鏡の前まで行くと、自身の姿を確かめふむぅと唸った。
「まぁ、真っ白い鳩もいることじゃし、問題なかろう。行くぞ。さあ、わしの脚に掴まるが良い」
「…………では、失礼します」
アレクシスは細かいことを考えるのを放棄した。カラドリウスの細い脚に手をかけ、掴む。カラドリウスは両翼を羽ばたかせ、窓から空へと飛翔した。
「カラ様、バランスが悪い気がします。変身するのは街に着いてからでもよかったのでは?」
「うむぅ、確かに。神鳥たるわしにとっておぬしの重さは問題ないのだが、細すぎるせいで脚がもげそうじゃわい」
鳩サイズのカラドリウスの脚にアレクシスが捕まるのは無理がある。
カラドリウスはせっかく縮めた体をぐぐっと元に戻した。
「ふぅ。これで良いかのう。ところでどこへ行くつもりじゃ」
「ひとまず東へお願いします」
「承知した」
「あと、街に着いたら俺は正体を隠します」
「ならばわしもじゃ。わしのことは、そうじゃのう……伝書鳩のシロと呼ぶように!」
「伝書鳩のシロ……」
「そうじゃ! わしは手紙を運ぶ伝書鳩になる。ポッポー」
「楽しそうですね」
「大真面目じゃわい。ポッポー」
建国当時より生きている伝説の神鳥カラドリウスは、大真面目に鳩の鳴き真似を繰り返した。
アレクシスはひとまずカラドリウスに関しては考えないようにして、これからの身の振り方に思いを馳せる。
城を出たのはアレクシスのエゴだ。
腹違いの兄弟レナードはアレクシスと同じくまだ二十歳。これから先何かと国政に関して行き詰まることもあるだろうし、そうした時にアレクシスが支えてやらなければならないということは重々承知している。
ーー王弟としていずれ王位を継ぐレナード王太子をお支えするように。
幼い頃より言い聞かされて育ってきた。
自分でもそうするのが当然だと思っていた。
(……だが……)
今となってはもう、城でレナードの補佐をするなど考えられない未来だった。
だからアレクシスは城を出て、城にいては見えない景色を見てみようと、王国を旅することに決めた。
誰にも相談していない。
明日、自分が部屋にいないことに気がつけば、城中は大騒ぎになるだろう。
手紙は残してある。
それを読んだレナードが何を思うのかは、正直考えたくもない。
王になるべく教育を施されてきたレナードは、王の補佐をするべく育てられてきたアレクシスに全幅の信頼を置いていたから、きっと手酷い裏切りにあったと感じるに違いない。
それでも、考えは変わらなかった。
結局は逃げである。重々承知だ。
国を旅した先にある未来はわからないけれど、答えが出ないまま野垂れ死ぬのであればそれはそれで良いと思っていた。
「カラ様」
「なんじゃ」
「俺が死んだら、死体はそのまま捨て置いてくれないか」
「馬鹿者。わしがついていながらみすみす死なせるわけがないじゃろう」
頼もしい言葉にアレクシスはふっと笑みを漏らした。
どうやらアレクシスのあてのない旅には、頼もしい相棒ができたようだった。
夜空に、鳥が飛翔する。
月明かりに照らされて、白い鳥と一人の青年が、誰にも見られずひっそりと城を出て東に向かっていた。
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