羽根ペン作りのロザリンド〜その子爵令嬢と王弟殿下が出会ったら〜

佐倉涼@10/30もふペコ料理人発売

序章

第1話 三年前①

 子爵令嬢ロザリンド・ランカスターは、脇目も振らずに工房で作業に没頭していた。

 金色の鷲の羽根の先端をナイフで削って細く整え、中心に一本、縦に切り込みを入れる。

 それから裏側を斜めに削り、インクを吸いやすい形状に整えた。


「……できた」


 ロザリンドはふぅ、と息を吐き出して張り詰めていた緊張の糸を解きほぐし、出来具合を確かめた。

 羽根の軸が緩やかなカーブを描く、金鷲の羽を使用して作った羽根ペン。

 我ながらいい出来栄えと思いつつ眺め、机の上の装飾を施した箱の中へそっと置く。箱は二本のペンが入るように出来ているが、まだ二本目は作っていない。

 真鍮製の箱は豪奢な作りで、内部には運んでいる最中にペンが破損しないよう、ビロードの布が敷き詰められていた。

 ふと、深い谷間に強い風が吹き抜ける。

 ロザリンドは窓を揺らす風の音に、思わず立ち上がった。

 窓を開けると工房中のものが飛んでしまうので、廊下に出てから扉を開く。

 ーー途端、ロザリンドの腰まで伸びた艶やかなセピア色の髪が豪快に風になぶられた。

 そうして扉を開けた先は峡谷で、抜けるような青空が見える一方、下には清涼な川が流れている。 

 崖の上から工房までをつなぐ細長い階段を降りてくる、一人の人物と目があった。ロザリンドと同じ工房で働いている、羽根ペン職人のランドだ。壮年の職人はロザリンドを見るなりにこりと微笑んだ。


「おはようございます、ロザリンド様」

「おはようランドさん。今日は一段と風が強いわね」

「ええ。とびがよく飛んでいます」

「本当だわ」


 ロザリンドが空を見上げると、鳶が数羽、輪を描いている。

 上昇気流に乗って自由に飛空する鳥をロザリンドは目を細めて見つめた。


「おとーさーん!!」


 階段から一人、勢いよく駆け降りてくる女の子の姿が見えた。


「ミューレ」

「おとーさん、お弁当忘れてるよ!」

「おぉ、すまんすまん」

「はい、どーぞ! あっ、ロザリンド様、こんにちは!」

「こんにちはミューレ」


 ロザリンドの姿を見るなり慌てて姿勢を正してお辞儀をする女の子に、優しく微笑みかけた。

 ランドの娘のミューレは、今年で八歳になる。溌剌とした元気が取り柄で、一緒にいるとこちらもつられて笑顔になってしまうような力を持った子だった。


「ねえ、ロザリンド様! 今、新国王陛下にお贈りする羽根ペンを作っているんでしょう? 出来具合はどうですか?」

「なかなか上手くいきそうよ」

「ほんと? 何の鳥の羽を使うの?」

「一本は金鷲、もう一本はサファイアミミズク」

「やっぱり!」


 ロザリンドの返事を聞くと、ミューレはパチンと手を叩いた。


「綺麗な色をしてますもんね、サファイアミミズク! あぁ、いいなあ……アタシも早く、ロザリンド様に弟子入りをして、工房で働きたい!」


 ロザリンドに憧れに眼差しを送るミューレだったが、横から飛んできたのは父であるランドの声だった。


「お前にはあと二年は早い。それまでに、落ち着きのなさをなんとかするんだな」

「はぁーい。じゃあね、おとーさんにロザリンド様!」


 ミューレはぶんぶん手を振って、再び階段を駆け上がっていく。


「やれやれ……やかましい娘で申し訳ない」

「私はミューレのこと好きよ。二年後に工房に来るのを楽しみにしているの」

「そう言ってもらえると有難いです。して、出来具合は上々のようですな」

「ええ。金鷲のものは今、仕上げたばかり。これからサファイアミミズクの方に取り掛かるつもり」

「それは何よりで。では、俺も自分の作業分を仕上げに行きます」


 ランドは扉を開けて工房の中へと入って行った。

 ロザリンドは外に留まったまま、空を見上げる。

 鳶に混じってサファイアミミズクが姿を現した。その名の通りにサファイアのように青い羽を持つミミズクは希少な種類で、このヴァルモーデン王国の中でもランカスター子爵領地にしか存在していない鳥だった。

 珍しい昼行性のミミズクは鮮やかな青色をしており、空に溶け込むようにして飛翔し獲物を狩るのだ。

 ロザリンドの生家、ランカスター子爵領は少々変わった場所に存在している。

 トアイユの森の中に存在する子爵領は、崖と崖の合間に街を築き上げていた。

 街を分断するように横たわる深い谷間には天然の洞窟がいくつもあり、その洞窟は工房として羽根ペン職人たちが使用していた。

 森と谷、川というやや特殊なこの場所には、年中「峡谷風きょうこくふう」と呼ばれる強い風が吹く。この風に乗って種々の鳥がやって来るのだが、子爵領地は鳥達からの羽で羽根ペンを作って収入を得ていた。

 良質な羽根ペンを作るには、春、生きた鳥の風切り羽根を切って使用する必要がある。

 一羽からあまりに何本もの羽根を切ってしまうと飛べなくなってしまうので、生け捕りにした鳥から一、二本、羽根を切ると空へ帰す。

 ランカスター子爵領で作られる羽根ペンは質が良いことで評判で、おまけに希少なサファイアミミズクの羽根を使った羽根ペンは見た目の美しさから貴族に好まれる代物だったのだが、鳥を乱獲しない方針により生産量は限られている。

 その中でも、子爵令嬢にして職人としても働く十六歳のロザリンドには、とある特殊な才能があった。

 ーーロザリンドの作った羽根ペンで文字を書くと、それが現実のものになる、と言われている。

 無論、書いたこと全てが実現するわけではない。悪しきことを書いても、叶うことなどありはしない。

 ただ、そうなることが多いという評判だった。

 例えば、病気の家族を見舞う手紙を書いた時。

 例えば、豊穣を願う文章をしたためた時。

 あるいは、荒れ狂う天候が静まるよう願いを込めて書いた時。

 全ては文章に書いたまま実現した、という噂がまことしやかに貴族の間を駆け巡り、評判となった。

 だからこその、大役を任されている。


「新国王レナード陛下にお贈りする羽根ペンを作れ、か……大仕事だわ」


 先代国王が崩御して半年。

 正妃との間に生まれたレナード王太子が国王の座に就任することとなる。

 まもなく就任式典が王城にて開かれるのだが、各貴族はこれに贈り物を持って参加することとなっていた。

 ランカスター子爵領からは当然、特産品である羽根ペンを持参する。しかしまさかロザリンドが作ることになるなどとは夢にも思っていなかった。


「任された以上は、頑張らないと」


 ロザリンドはグッと両手を握って気合いを入れる。

 金鷲の羽根ペンは作った。あとはサファイアミミズクのものだ。

 父と母、兄のフィルと共に王都へ行き、ロザリンドが作った羽根ペンを献上する……震えるほどの役目だが、やりおおせなければという責任感の方が強い。


「子爵令嬢としても、職人としても、これほど名誉なことはないわ」


 たくさんの職人がいる中で、自分が選ばれた。

 責任重大だが、自分にならできる、とロザリンドは言い聞かせる。


「よし、もう一本の羽根ペン作りに取り掛かりましょ」


 ロザリンドはもう一度空を見上げ、それから工房の中へと入って行く。

 快晴の空には、悠々と泳ぐように羽根を広げて優雅に飛ぶ鳥の姿が何羽もあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る