第46話 その力はなんのために
王都の見張りにつく兵士たちは、その日不可解な光景を目撃した。
常ならば何の影も見えない平野に、蠢く獣の姿がある。平野だけではない。空にもまた、獰猛な雄叫びを上げる鳥の姿が目撃できた。
普通ならば、あり得ない出来事。
「……魔鳥と魔獣が群れをなして王都に近づいて来ている!!」
見張りはすぐさま櫓に登り、緊急事態を知らせる鐘を鳴らした。
王都中に聞こえるように。一刻も早く民が逃げられるように。
◇
痛いほどの沈黙が落ちる鐘塔の一室で、静寂を破ったのは鐘の音だった。
忙しなく鳴り響く鐘の音にロザリンドは視線を窓の外へと向ける。
「……何?」
「これは……危急を告げる鐘の音か?」
レクスが訝しげに眉根を寄せると、レナードが声を上げた。
「ノア教皇、一旦この件は保留にして、ひとまず私を離してくれないか。何か非常事態が起こったなら、城に戻って事態を把握し指示をしなければならない」
「だが……」
レナードの頼みにノアが渋る。窓の外を見ていたロザリンドは、異変の正体にいち早く気がついた。
「魔鳥よ。それも、かなりの数の」
「何……!?」
「魔鳥、だと!? しかし王都はカラドリウス様の領域、魔鳥や魔獣の類は現れないはず……!」
レナードの焦った声に、ロザリンドは瞬時に非常事態がなぜ起こったのかを理解した。
自分がいるからだ。
ロザリンドを求めて魔鳥は王都まで遥々やって来た。
発露したロザリンドの『魔の乙女』としての力を欲して、神鳥カラドリウスの縄張りすらも容易く超え、魔に連なるものたちが押し寄せている。もしかしたら地上には、魔獣も来ているかもしれない。
「……カラ様、私を乗せて飛んで!」
「承知の上じゃ」
「待てロザリー、一人で行く気か!? カラ様から落ちるぞ、俺も行く!」
カラドリウスにしがみつくロザリンドにそう声をかけ、レクスが駆け寄って来た。確かに言われてみればロザリンドが一人でカラドリウスに乗ったことはない。いつでもレクスが一緒だった。
レクスは部屋の中で呆然としている人々を順繰りに見つめた。皆、先ほどレクスが口にした真実の衝撃から抜け出せておらず、加えてこの緊急事態にどうすればいいかわからない状態だった。
レクスが最後にレナードに視線を送ると、レナードの青い瞳は何とも言えない複雑な感情を宿していた。
「また後で来る」
そんな場違いとも思える一言を残し、壊した窓から再び空へと飛翔する。
「レナード国王陛下、拘束されたまま残して大丈夫かしら」
「すぐに殺されるようなことはないだろう。それより、とんでもない数だな」
レクスに言われて視線を前方へ送ると、晴れわたる青空いっぱいに蠢く黒い魔鳥の群れと、平野から押し寄せる魔獣の大群が見えた。カラドリウスが低く唸る。
「ぬぅ。お主の力の強さをみくびっていたようじゃ。……どうやら発露した力に惹き寄せられておるのじゃろう。先に平野でわしの力を使うたせいやもしれぬ」
「そんな……」
「五百年ぶりの『魔の乙女』の再来じゃからな。魔獣どもも力に当てられて錯乱しているのじゃろう」
ロザリンドは視線を前へと送る。
殺到する彼らをどうにかしなければ、王都は蹂躙されつくしてしまうだろう。
耳には非常事態を告げる忙しない鐘の音が聞こえ、眼下では慌てふためく人々の様子が見える。
「カラ様、もっと高く飛んでもらえますか」
「あいわかった」
ロザリンドの呼びかけに応じてカラドリウスがより上空に向けて飛ぶ。
遮るものが何もなくなった。王都で最も高い建物、聖教会の鐘楼よりも上、吹き付ける強い風に体がぐらつくと、レクスが背後から抱きしめて体を固定してくれる。
「レクス、ありがとう」
「いや。何をするつもりだ?」
ロザリンドはポケットを探り一本の羽根ペンを取り出した。万が一にも誰かに盗まれないように、肌身離さず持ち歩いていた魔鳥の羽根ペン。
「これで、彼らに手紙を書くわ」
「羽根ペンだけでか?」
「そう」
幾度か力を使ったロザリンドは、なんとなく力の本質を理解し始めていた。
『魔の乙女』の力を使うのに必要なのは、意志の強さだ。そこに羊皮紙やインクといった道具は要らない。ただただ思いを込めてペンを操れば、自然に文字は生み出される。
ロザリンドは目を瞑り、しばし心を落ち着けてから右手を上げる。そして空中に向けて文字を綴り始めた。
言葉は単純でいい。
この地から去り、元いた場所に戻るように。
ただそれだけを願えばいいのだ。
魔獣にも魔鳥にも、難しい命令はできないだろう。
ロザリンドが羽根ペンを操れば、虚空に文字が出現する。青白い光を帯びた文字はごく小さいものだけれど、力強い輝きを放っている。
空を飛ぶ魔鳥と、地を蹴る魔獣。双方に向けて同じ文を二つ書く。
最後の一文字を書き記した時、一際強い光が弾けた。
淡く輝く光の粒をまといながら、文字が飛んでいく。
レクスのロザリンドを抱く手が強くなった。
ごく短いその文に、一体どれほどの力があるのだろうか。見る人によっては、なんて滑稽なのかと思うだろう。
けれどロザリンドは知っていた。文の長さが思いを伝えるわけではない。込められた思いの分だけ、力は増すのだと。
この力が一体何のためにあるのか、ロザリンドにはわからない。
ロザリンドの中に流れる『魔の乙女』の血のせいで人々を無用な混乱に陥れるのだとしたら、ないほうがマシだと思う。
ーーけれども。
もしこの力で魔の生き物を退けることができるのだとしたら。
子爵領地を襲った悲劇を未然に防げるのだとしたら。
それは、使うに値するものだろうとも思う。
魔鳥も魔獣も、王都に来る前の平野で動きを止めた。それまで猛り狂ったように一直線に王都を目指していた足が嘘のようにピタリと止まり、城壁に詰めかけた兵士たちは戸惑ったようだった。ロザリンドはレクスに抱き抱えられながら、カラドリウスの上でその光景を固唾を飲んで見守る。
やがて魔鳥も魔獣も、方向転換をして去っていく。空の彼方へ、あるいは街道を外れて森の奥へ。操られているかのように自然に。
「……伝わった、のかしら」
「そのようだな」
「ぬう、お見事じゃのう」
カラドリウスの陽気な声に、ずっと上げ続けたままだったロザリンドの右手がぱたりと落ちた。
◇
「まさに、奇跡の光景だ……」
教皇ノア・ノーフォークは、つい今しがた自分が目にした光景を信じられずにいた。
カラドリウスに乗った乙女がその力を使って王都に押し寄せる厄災を退けた。
伝承に残る一節を、まさかこの目で見られる日が来ようとは夢にも思っていなかった。
そして同時に、広く人々に乙女の存在が知れ渡ったであろうと確信する。
王都の中心から放たれた光、それが魔の生き物に向かうところを目撃した王都民は多数いる。これほど目撃者がいれば、存在を隠し通すことなど不可能。
あとはノアが、次の説教で歴史から葬り去られた『乙女』の存在をつまびらかにすればいい。
「問題は王弟に関することだが……」
未だ椅子に縛り付けられたまま、唖然と窓の外の光景を見やる国王にちらりと視線を送った。
まさかレナード国王とアレクシス王弟殿下が実は逆の順で生まれていたなどと、露ほども思っていなかった。戸惑う視線を感じたのか、レナードはノアを見据え言う。
「ノア教皇、此度のことは公にせず、よくよく話し合うべきだと私は思う。……どうやら確かに私も聖教会に無理を押し付けたようだ。それに……アレクシスの話に、思うところもある」
「……はい」
「ひとまずは、縄を解いてもらえないだろうか?」
レナードの声は強さがありつつも、穏やかだ。
度量の広さを見せつけられたような気がし、ノアは自然と動き、縄を解いていた。
「……ご無礼を働き、大変申し訳ありませんでした」
「いや。私も性急に過ぎた。なぜかわからないが、使者からの手紙を読んだ途端、従わなければならないような気持ちになってしまって」
縄を解かれ椅子から立ち上がったレナードは、窓に近寄る。つられてノアも外を見た。
上空では、『魔の乙女』の末裔と、運命のいたずらにより王弟にさせられてしまった青年とが、神鳥カラドリウスに乗って身を寄せ合っていた。
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